第2話「確かにそれは父でした」

 その少女の名は、季央キオ・ツェントルム。

 確かに彼女はそう名乗った。

 僕の姉だとも言い切ったのだ。

 そして、そのことに僕はあまりおどろいていない。

 驚いていない僕を見て、季央はびっくりしたようではあった。


「へえ、小綺麗こぎれいに暮らしてるじゃない。内装も家具もいいセンス」


 我が家のリビングを見渡し、季央は小さく口笛を鳴らした。

 なんだか立ち話で済ませていい相手じゃない気がして、僕はとりあえず季央を家に招いた。ちなみにこの瀟洒しょうしゃな一軒家は、庭付きの二階建てだ。インテリアは全部、四人の姉が適度に適当に増やしたり配置換えしたりしてる。

 極めて庶民的な一戸建てだが、季央は珍しげにぐるぐると部屋を歩き回っていた。


「えっと、ツェントルムさん。外国人さんって、麦茶は大丈夫なのかな。珈琲コーヒーも出せるけど」


 僕はリビングと直結したダイニングキッチンに立つ。

 今日の家事の予定は御破算ごはさんになってしまったが、姉たちが帰ってくる前に片付ける自信はある。それより今は、自称姉の季央だ。

 僕の呼びかけに、季央は少し考え込むような仕草を見せた。

 少し小首をかしげて、視線を宙へと放る。

 そんなちょっとした仕草さえ、季央は絵になる。

 やがて彼女は、ウンと自分に納得するようにうなずいた。


「なんでもOKだぞ? 冷たいものをお願い」

「うん」

「それと……麟児リンジクン」


 僕と四人の姉で少し手狭てぜまな、テーブルの上に季央は身を乗り出してくる。そうして、じっと僕を見詰めて庭を指差した。


「あれが、ね? ふむふむ……ちょっと、いいかな?」


 そう、彼女は僕を見据みすえて動かない。

 冷蔵庫から危うく僕は、麦茶と間違えて姉さんの好きな炭酸抜きコーラを取り出すところだった。

 うん、僕の姉は四人が全員、個性のかたまりというか……個性のふきだまり? みたいな特殊な人たちなんだ。みんな、冷蔵庫にマイボトルを入れてる。

 僕は季央の問いに、正直に言葉を返した。


「そうですけど……見ます?」

「んっ、かるっ! ちょっと待って、いいの?」

「いや別に……姉様たちも頻繁に出入りしてますし」

「……姉様? ボクの他にもいるの?」

「ええ。四人ほど」


 僕はとりあえず、簡潔に自分の生活環境と家族を話しておこうと思った。何故なぜって、季央も今は僕の姉を名乗っているから。

 そういう人は、大半がインチキか詐欺師さぎしだった。

 でも、時々本物っぽい人が来て、気付けば五人暮らしになっていた。

 だが、僕があれこれ言う前に季央は思考の海にもぐってゆく。


「……姉を名乗る者が、もう四人。四人? 多くないかな、これ」

「いや、まあ」

「ま、いいわ。まずはパパの遺産を確保しなくちゃ」

「父の……遺産?」


 僕の父、御暁高定ゴギョウタカサダは発明家だった。

 大企業の顧問とか大学の教授とか、色々やっていたらしいが……父個人は、自分を発明家、科学者だと定義していたらしい。

 その父が亡くなったのが、今から十年前。

 二人ぼっちの父子家庭だった幼少期の僕は、莫大な遺産を相続した、らしい。

 らしいというのは、実際にそれをあまり見たことがないからだ。

 当時三歳だった頃の記憶も、あまり覚えていなかった。


「ああ、そういう。えっと、いいですよ? 研究室、入ってみますか?」

「ちょ、ちょっと! なんでそう警戒心ガバガバかな、キミ」

「え、だって……ツェントルムさんも僕の姉なんですよね?」

「そう! でもね、ボクはキミを守るためにここに来たの。で、でも、まあ……その、パパが仕事してた場所でしょ? み、みっ! 見たいっ!」


 季央はほおを赤らめつつ、腕組みしてふんぞりかえった。

 姉の威厳とかいうやつを、見せたいんだろう。同じようなことを姉様も姉貴もするし、姉さんもお姉ちゃんもよく見せる。

 そして、まあ……僕はこういう姉的な人たちの気持ちに弱い。

 和洋折衷わようせっちゅうなこの家には、庭に面した縁側えんがわがリビング横にある。僕は飲み物の準備もそこそこに、ふらりと歩いて季央の前を横切った。

 縁側から降りてサンダルを履き、十歩足らずの距離の研究室に歩く。


「あ、そこのサンダルどうぞ。姉貴のでもお姉ちゃんのでも平気ですから」

Dankeダンケ……Dankeダンケ schonシェーン、麟児クン。あっ、なにこれ! このサンダル、かわいい!」


 すぐに季央はサンダルをひっかけて、僕に追いついてきた。

 そして僕は、木造の平屋建て……というか、小さな小屋の引き戸をガタピシを開く。


「ちょっと、鍵が掛かってない!? え、待って、ここってパパの研究室よね」

「まあ、そうですね。あと、姉たちが物置にしてます」

「……信じられない。世界をひっくり返せるだけの発明が、ここに沢山あるかもしれないのに!」

「そういうのを欲しがってる人は、昔はよく来ましたね。でも、本当になにもないというか……なににもならないものしかないんですよ」

「そうなの? どういうことかな……待って、うーん」


 季央は難しい顔で考え込んでしまった。

 けど、僕は構わず室内に入って明かりをける。

 朝でも室内は薄暗くて、小さな窓はまるでスポットライトみたいに光を絞り込んで落とす。そんな中に歩み出て、僕は振り返った。


「この小屋が父の……高定の研究室です。どうぞ、好きなだけ見てみてください」


 そう、この場所が父の残した全てだ。

 雑然と並んだ木箱にダンボール、とにかく物の山、山、山。

 奥の机には今も難しい本が積んであって、時間をしめほこりに埋もれている。

 本棚にはびっちりと古今東西の奇書や希少本が並び、何台かの年代物のパソコンも沈黙で僕たちを迎えてくれた。

 特にこれといって、目を引くようなものはない。

 どれも二束三文にそくさんもんだし、僕だって箱を一つ一つ開いてみてはいないのだ。

 だが、季央は真っ直ぐ机に向かって歩き、そっと手を触れる。


「パパはここで、生きてたのね」

「ええ、まあ」

「パパ……生きてるパパに、会いたかった。ボクもだけど、きっとママも」


 さっきの感謝の言葉Danke schonから考えても、きっと季央はドイツで生まれ育ったのだろう。

 納得だし、別段不思議に思う理由はない。

 僕は、自分の父親に関してあまり記憶がないが、一つだけはっきりしてることがある。

 それは、父親が……

 探求の徒として研究に没頭するかたわら、父は多くの女性と関係を持った。その相手の何割かは子を身籠みごもり、かくして僕には四人の姉が存在することになった。

 そう、姉たちは皆、異母姉弟いぼきょうだいだ。


「えっと、ツェントルムさんは」

「ん、ああ、それ! それよ、それ! ねえ、キミ……よそよそしくない?」

「えっと、なにが」

「仮にも姉のボクが来てあげたのに、なに? ……ま、まあ、ママの家名は継ぐわ。これからも永久に。だからいいのだけど。でも!」


 振り返った季央は、腰に手を当てプンスカと僕をすがめる。

 正直、ちょっと面倒臭めんどうくさい。

 けど、姉たちのこじらせた面倒臭さに比べたら、むしろほほえましいものだ。


「じゃあ……季央さん?」

「まだ他人行儀ね」

「困ったなあ。えっと、季央……き、お……季央、ねえ。季央ねえ」

「えっ、なにそれ! ああ、まって、大丈夫……日本語も完璧だから。季央姉さんで、季央ねえ」

「姉さん、って呼び方には先客がいるから――」


 その時だった。

 突然、耳障りなノイズが室内に広がる。

 僕と季央だけの部屋に、素人しろうとのバイオリンみたいな音が響いた。

 それが古ぼけたパソコンのシーク音だと気付いたのは、数秒後だ。

 だが、突如勝手に電源の入ったアンティークに、季央は駆け寄る。


「なに……え、ちょっと待って、動いてる! これ……OS、古っ!」

「昔のだから。こんな大きなタワー型端末、今どきちょっと見ないよね」

「それはいいけど、なに? なんなの? モニターの電源も入って、これは」


 突然、古びたブラウン管型のモニターに光が走る。無数の文字列が、その意味を読み取らせる間もなく流れて消えた。

 だが、何かしらのプログラムが走ったのが僕にはわかる。

 季央が目を瞬かせてる中、

 そして突然、スピーカーまでもが忘れていた仕事を思い出した。


『この声を聴いているということは……私の息子、麟児に危機が迫っている状況だと思う。私は御暁麟児の父、御暁高定。今これを聴いている者に望む……息子を助けてくれ』


 不思議な懐かしさを感じる声だった。

 そして、記憶にないのに覚えている。

 間違いなく父の声だと、僕には感じられた。

 ふと隣を見やれば、季央のほおを光のしずくが伝う。


『私の最高の発明を、その叡智えいちの結晶をこの場所に封印した。今の人類には、過ぎたるもの……ゆえに、狙う者も多い。しかし、これは麟児だけが手にするだろう。それを狙う者が多くとも、麟児は手に入れる。その時……私の家族に、同じ家族である麟児を守って欲しいと切に願う』


 僕は驚いた……さして僕に優しかった記憶もない、どこか遠くで死んだ人のように思っていた父の言葉。再生された音声は劣悪な音質なのに、不思議といつわりのない気持ちが感じられた。

 季央の涙が、それを証明している気がした。

 そして、メッセージの再生が終了して僕は想像する。

 父がなにかをのこしたことと……

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