第2話「確かにそれは父でした」
その少女の名は、
確かに彼女はそう名乗った。
僕の姉だとも言い切ったのだ。
そして、そのことに僕はあまり
驚いていない僕を見て、季央はびっくりしたようではあった。
「へえ、
我が家のリビングを見渡し、季央は小さく口笛を鳴らした。
なんだか立ち話で済ませていい相手じゃない気がして、僕はとりあえず季央を家に招いた。
極めて庶民的な一戸建てだが、季央は珍しげにぐるぐると部屋を歩き回っていた。
「えっと、ツェントルムさん。外国人さんって、麦茶は大丈夫なのかな。
僕はリビングと直結したダイニングキッチンに立つ。
今日の家事の予定は
僕の呼びかけに、季央は少し考え込むような仕草を見せた。
少し小首を
そんなちょっとした仕草さえ、季央は絵になる。
やがて彼女は、ウンと自分に納得するように
「なんでもOKだぞ? 冷たいものをお願い」
「うん」
「それと……
僕と四人の姉で少し
「あれがパパの研究室、ね? ふむふむ……ちょっと、いいかな?」
そう、彼女は僕を
冷蔵庫から危うく僕は、麦茶と間違えて姉さんの好きな炭酸抜きコーラを取り出すところだった。
うん、僕の姉は四人が全員、個性の
僕は季央の問いに、正直に言葉を返した。
「そうですけど……見ます?」
「んっ、
「いや別に……姉様たちも頻繁に出入りしてますし」
「……姉様? ボクの他にもいるの?」
「ええ。四人ほど」
僕はとりあえず、簡潔に自分の生活環境と家族を話しておこうと思った。
そういう人は、大半がインチキか
でも、時々本物っぽい人が来て、気付けば五人暮らしになっていた。
だが、僕があれこれ言う前に季央は思考の海に
「……姉を名乗る者が、もう四人。四人? 多くないかな、これ」
「いや、まあ」
「ま、いいわ。まずはパパの遺産を確保しなくちゃ」
「父の……遺産?」
僕の父、
大企業の顧問とか大学の教授とか、色々やっていたらしいが……父個人は、自分を発明家、科学者だと定義していたらしい。
その父が亡くなったのが、今から十年前。
二人ぼっちの父子家庭だった幼少期の僕は、莫大な遺産を相続した、らしい。
らしいというのは、実際にそれをあまり見たことがないからだ。
当時三歳だった頃の記憶も、あまり覚えていなかった。
「ああ、そういう。えっと、いいですよ? 研究室、入ってみますか?」
「ちょ、ちょっと! なんでそう警戒心ガバガバかな、キミ」
「え、だって……ツェントルムさんも僕の姉なんですよね?」
「そう! でもね、ボクはキミを守るためにここに来たの。で、でも、まあ……その、パパが仕事してた場所でしょ? み、みっ! 見たいっ!」
季央は
姉の威厳とかいうやつを、見せたいんだろう。同じようなことを姉様も姉貴もするし、姉さんもお姉ちゃんもよく見せる。
そして、まあ……僕はこういう姉的な人たちの気持ちに弱い。
縁側から降りてサンダルを履き、十歩足らずの距離の研究室に歩く。
「あ、そこのサンダルどうぞ。姉貴のでもお姉ちゃんのでも平気ですから」
「
すぐに季央はサンダルをひっかけて、僕に追いついてきた。
そして僕は、木造の平屋建て……というか、小さな小屋の引き戸をガタピシを開く。
「ちょっと、鍵が掛かってない!? え、待って、ここってパパの研究室よね」
「まあ、そうですね。あと、姉たちが物置にしてます」
「……信じられない。世界をひっくり返せるだけの発明が、ここに沢山あるかもしれないのに!」
「そういうのを欲しがってる人は、昔はよく来ましたね。でも、本当になにもないというか……なににもならないものしかないんですよ」
「そうなの? どういうことかな……待って、うーん」
季央は難しい顔で考え込んでしまった。
けど、僕は構わず室内に入って明かりを
朝でも室内は薄暗くて、小さな窓はまるでスポットライトみたいに光を絞り込んで落とす。そんな中に歩み出て、僕は振り返った。
「この小屋が父の……高定の研究室です。どうぞ、好きなだけ見てみてください」
そう、この場所が父の残した全てだ。
雑然と並んだ木箱にダンボール、とにかく物の山、山、山。
奥の机には今も難しい本が積んであって、時間を
本棚にはびっちりと古今東西の奇書や希少本が並び、何台かの年代物のパソコンも沈黙で僕たちを迎えてくれた。
特にこれといって、目を引くようなものはない。
どれも
だが、季央は真っ直ぐ机に向かって歩き、そっと手を触れる。
「パパはここで、生きてたのね」
「ええ、まあ」
「パパ……生きてるパパに、会いたかった。ボクもだけど、きっとママも」
さっきの
納得だし、別段不思議に思う理由はない。
僕は、自分の父親に関してあまり記憶がないが、一つだけはっきりしてることがある。
それは、父親が……高定が無類の女好きだったらしいということだ。
探求の徒として研究に没頭する
そう、姉たちは皆、
「えっと、ツェントルムさんは」
「ん、ああ、それ! それよ、それ! ねえ、キミ……よそよそしくない?」
「えっと、なにが」
「仮にも姉のボクが来てあげたのに、なに? ……ま、まあ、ママの家名は継ぐわ。これからも永久に。だからいいのだけど。でも!」
振り返った季央は、腰に手を当てプンスカと僕を
正直、ちょっと
けど、姉たちのこじらせた面倒臭さに比べたら、むしろほほえましいものだ。
「じゃあ……季央さん?」
「まだ他人行儀ね」
「困ったなあ。えっと、季央……き、お……季央、ねえ。季央ねえ」
「えっ、なにそれ! ああ、まって、大丈夫……日本語も完璧だから。季央姉さんで、季央ねえ」
「姉さん、って呼び方には先客がいるから――」
その時だった。
突然、耳障りなノイズが室内に広がる。
僕と季央だけの部屋に、
それが古ぼけたパソコンのシーク音だと気付いたのは、数秒後だ。
だが、突如勝手に電源の入ったアンティークに、季央は駆け寄る。
「なに……え、ちょっと待って、動いてる! これ……OS、古っ!」
「昔のだから。こんな大きなタワー型端末、今どきちょっと見ないよね」
「それはいいけど、なに? なんなの? モニターの電源も入って、これは」
突然、古びたブラウン管型のモニターに光が走る。無数の文字列が、その意味を読み取らせる間もなく流れて消えた。
だが、何かしらのプログラムが走ったのが僕にはわかる。
季央が目を瞬かせてる中、僕にはそれがはっきりと見えた。
そして突然、スピーカーまでもが忘れていた仕事を思い出した。
『この声を聴いているということは……私の息子、麟児に危機が迫っている状況だと思う。私は御暁麟児の父、御暁高定。今これを聴いている者に望む……息子を助けてくれ』
不思議な懐かしさを感じる声だった。
そして、記憶にないのに覚えている。
間違いなく父の声だと、僕には感じられた。
ふと隣を見やれば、季央の
『私の最高の発明を、その
僕は驚いた……さして僕に優しかった記憶もない、どこか遠くで死んだ人のように思っていた父の言葉。再生された音声は劣悪な音質なのに、不思議と
季央の涙が、それを証明している気がした。
そして、メッセージの再生が終了して僕は想像する。
父がなにかを
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