婚約者SIDE:(分岐点1の結果、封鎖されています)

 窓際にアネモネが飾られている。

たった一本の寂しげな赤色が窓からそよぐ風に揺れる。

雲間から差し込む光が時折、透明なガラスの花瓶を通して、揺らぐ水影を磨かれた床の上に映し出している。


「花言葉を知っているか?」


 背中を向けた女が、笑いを含んで、問いかける。

それは俺様が聞きたい言葉ではなかった。

人間は皆自分の言いたいことだけを言う。

自分勝手だ。

誰も俺様のために生きてはくれない。

それなら、俺様も自分のために生きるだけだ。


「その知識に何の価値がある?

 俺様は貴様のように暇人ではないんだ。

 わかっているのか?

 俺様は、この国の王だぞ!」


 一体、どの使用人か。

使用人の顔も名前も覚える価値もないから知らないが、高貴な部屋に似つかわしくない花だ。


「では、この花はいかが?」


 差し出されたのは棘のない赤い薔薇。

花さえ、人間の都合に振り回されるのか。

くだらない!!

握りしめた拳に薔薇の花弁が散る。

この花が愛の花など笑えた話だ。

動脈から流れる血の色をしている分際で、愛だなどとふざけるな!


「ふざけているのはおぬしの方ではないか」

「俺様のどこが…!」


 怒鳴る俺様の前に突き出されるたのは、紫色のスカビオサ。

窓辺を背にした女の顔は、逆光で見えない。


「夢の中でくらい、素直になったらどうだ?」





 目が覚める。






 心地よい朝の日差しが、目覚めと同時に喪失感を連れてくる。

今日も、あいつのいないまま、日が昇る。


 何度か、選択を間違えた。

胸を張って、他者に誇れる人生を歩んでいるはずだったが、どういうわけか、振り返ると後悔の嵐が渦巻いている。

切り捨てるのは簡単だった。

情などない、と思い込んでいた。

だけれど、あいつといた年月の重みが俺様の知らないうちに、知らない何かを育んでいた。

それに名前を付けることは、もうできない。

失ったものを嘆き、だけれど取り戻すこともできず、苦しさばかりが募る。

だけれど、この苦痛こそが、あいつを失ってしまった今となっては、面影をおえる全てなのだ。

痛み、血を流し続けても、失ったことを嘆き、怒ろうと、もう、何も失いたくはない。

あいつの全てを抱えて、このまま眠りにつきたい。


「陛下」


 瞼を閉じて、玉座に座る。

目を開いていても、いなくても、変わらない日常だ。

怯えた貴族どもが俺様の顔色を伺い、媚びへつらう。

あいつがいなくなって、素通りしていくだけの有象無象。

こんなにも人間がいるというのに、何故、あいつの代わりはいないのだろうか?

そして、何故俺様はあの時、あいつの代わりなどいくらでもいると勘違いしたのだろうか。


「陛下、助けてください、陛下っ!!」


 あいつがいなくなって、十数年がたった。

果たして俺様は、あいつと再会して、あいつを認識できるのだろうか。

そんな愚にもつかない心配をしている。

我ながら呆れた妄想だ。

再会などできるはずもないのだから。

あいつへの恐れが、再会の可能性を塗りつぶしている。

追放した俺様を、あいつがどう思い、恨み、妬み、嫉み、嫌い、憎んだか。

案外あいつのことだから、何とも思っていないかも知れないなどと、俺様らしくもない楽観的推測まで出ては来るが、過去のように会話などできまい。

俺様が会いたいのは、選択を間違えなかった末のあいつなのだ。

俺様が間違える前の過去のあいつに。


「殺せ」


 近衛隊に手を挙げると、見苦しく騒ぐ男を囲む。

まるで夢の中の俺様だ。

みっともなく、あいつにすがりつき、許しを乞う。

俺様が間違っていたと。

ずっと一緒にいてほしいと。

そういうとあいつはいつだって、俺様に微笑み、手を差し伸べる。


 自身の手を見つめる。

温度も感触も残っていない。


「…陛下、準備が整いました」


 傍らに控えていた神官が、耳元へ囁く。

緩慢な動きで玉座から立ち上がり、窓辺へと向かう。

ここからでも城下町の広場に築かれた門が見える。

遠くから見てもどす黒い色をしたそれは、近寄れば鼻を塞いでも異臭がするだろう。


 信じてもいない神にでも…悪魔にでも縋りたかった。

失ったものを取り戻すために、何かをせずにはいられなかった。

全てを犠牲にしてでも手に入れたかった。

あの門の先に行けば、俺様は取り戻せるのだ。



 誰かが地獄の門だと叫んだ。

これが俺様が握りつぶした愛だと言ったら、あいつはまた笑ってくれるだろうか。





















「わはは!笑えるではないか!

『これがお前に捧げる薔薇の花…』などと、いたたたた!腹筋が割れたらどう責任をとるつもりなのだ?

『血の色が愛の証』?

中2病の頃を思い出して、私の心臓も血を流しているぞ!出血大サービスだな!」

「うるさいうるさいうるさい!二度と笑えない体にしてやる!」

「俺様好みの体に変えてやる?(幻聴)」

「頭を殴って記憶を消す」

「そんな都合の良い記憶喪失などない。

まったく、おぬしは自分の都合の良いことばかり信じたがるな」


 その結果、国が滅びるとか、他に止める人間はいなかったのか?

魔法があるから何とでも説明がつくとでもいいたいのか?

魔法設定便利だな!!


「あのペテン神官のせいだ!!

供物を捧げれば、門が開かれ、天の国へと通ずるなどと大嘘をつきやがって…!」

「それで、生贄で門を作れば一石二鳥!などと発想に至るか?

どういう頭をしているのだ?」

「天に行けば、神が願いを叶えてくれるという甘言に唆された!」

「どんな神だ。死神か?」


 人気の絶えた静まり返った広場で地団駄を踏むネロ。


「もういい!信じた俺様が馬鹿だった!最善がなくなったのなら、次だ。

過去に戻れないなら、もう後戻りなどできない」

「最善…?辞書を引いたらどうだ?」

「貴様は今、一体どこにいる!!!」


 ネロ以外、その広場に生きている者は誰もいない。

全員、ネロが殺したのだ。

魔法って便利だな~!!

便利なのだから、私の居場所ぐらい探せそうなものだが。


「…貴様に俺様の魔法は効かない」

「ネロは愛の魔法をもっと極めるべきだったな」

「ふざけるな!!」


 そんな無茶な。

ふざけているのがではないか。

記憶の中のは常にふざけた人間だろ?


「地道に探すしかないな」

「もう何も怖いものなどない」

「貴様以外の人類を殺せば、出会えるだろ?」


 正気ではないな。

遠い昔の失くしものをしらみ潰しに探すなど、狂人にしかできぬ所業だ。


「だが、おぬし、私の顔を覚えておるのか…?」


 顔のないにネロは笑った。


「それこそ、愛の魔法があるかどうかの証明になるだろ!!」


 さっき信じて馬鹿を見たくせに、またありもしないものを信じたがる!

全くこりぬ男だ!





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