第肆拾伍話:後の祀り 三
「理由?」
意気込む竜弥を見上げつつ、座卓を挟んだ奥に彩芽。竜弥の隣に馳大は腰を下ろす。
「前にここで聞いたじゃろ」
「ああ聞いたが」
「それが分かったんよ」
聞いてほしい。早く言いたい。ようやく膝立ちにはなったものの、尻を座布団に付ける間も待てない。
己のことでここまで高揚するとは、ない経験だ。それなのに馳大は「まあ待て」と、落ち着くよう手振りで示す。
「竜弥。お前が話したいのは、そのことだけか? こいつはまったく勘なんだが、もっと大事な何かを、まとめて言おうとしてないか?」
――何で分かるんじゃろ。
ぎくり。驚いた。質問への遅すぎる答えと一緒に、これからの自分のことを話そうと思っている。
けれども別に、悪いことではない。そう思ったのにも、馳大は首を横に振った。人間の心を読む力にでも、急に目覚めたのかと思う。
「何もかもまぜこぜに、ぶちまけちまっていい話か? 尻の穴をぎゅっと締めて、落ち着いて話さないで、後で悔やまないか?」
膨れていく想いを、とにかく見てもらいたいと思った。
だが馳大の言うように、それでは後で「あのとき何を、どう話したっけ?」となってしまう。
――そんなんじゃ、いけんわ。
言う通りだと、馳大に頭を下げる。それから彩芽にも。
「きちっとせんとね」
「私も?」
うわばみが気配もなく置いたお冷やを、視界に入れぬよう彩芽は遠ざける。もちろん会話は聞いていて、頭を下げた理由を問うた。
「順序良く、一つずつ。思ったこと、感じたことを言わんとね。枇杷の木が憑いとったおかげで、今まで有耶無耶にしてしもうたことも、いっぱいあるけえね」
枇杷の木の精。幼いころの竜弥が言った、実が生るのを楽しみにしている。という言葉を、彼女は頼りにした。本体は木に残したまま、分身のようなものを竜弥の中に隠したのだろう。
どうやらその分身が、竜弥の感情の起伏を抑え込んでいたらしい。本体に栄養として送る為と、竜弥が他の何かに
「そうね」
短く切り上げるように肯定した彩芽の表情が、僅か曇る。何かあると分かっていながら、正体を見破れなかったことを悔いているに違いない。
――そんなん全然、彩芽さんのせいじゃないのに。
思うが、こちらから言っては責めているようで言えなかった。
「馳大さん、木場さんを見つけてくれてありがとう。どこに居ったん?」
もう一度深く下げた頭を小突かれた。「そこまでされることじゃない」と。
「本殿にでも居るかと思ったんだが、違ったよ。その隣にある倉庫だ。神楽の道具なんかが収められてるな」
「ああ……」
やはり木場は後輩を大切にしようという想いを、ばくちに冒されたのだ。竜弥が好きだと言った神楽舞のことを知ろうとして、無意識のまま忍び込んだ。
情の深く、真面目な人だと改めて思う。それだけに、自分が何をしていたのか知らないほうが良いとも。
温情を噛みしめていると、馳大は「フッ」と笑う。
「どうしたん」
「いや、木場って男も苦労性だと思ってな」
「どういうこと?」
「あいつ、倉庫で何してたと思う?」
さも愉快そうに、馳大は笑いを堪える。ということは、良くない惨状を見たわけではなさそうだ。痴態ではあったのかもしれないが。
「掃除だよ」
「掃除?」
収まらなかったのだろう。答える前に、馳大は先走った。しかし掃除とは、居なくなった数日間をずっとやっていたのか。移動の時間もあるとは言え、それほど広い倉庫などあるはずもない。
「神楽に使う物って細かいんだな。壊れやすそうだし、絡まる物も多い。そういうのを全部引っ張り出して、磨いて、並べ直してたんだろうぜ。見つけたときにはぶっ倒れてたけど、八割がた終わってた」
「ああ――」
何と言えば良いか、また言葉が見つからなかった。苦労性と言ったのが、まさにという気がする。
「はいはい、お待ちどう」
三者三様に苦笑を浮かべていた。その何とも言えない空気を、食事を運んだうわばみの朗らかな声が壊してくれる。
「急に拵えたから、大したもんじゃないけど」
「そんなことないです」
それぞれの前にお膳を置きつつ、ウインクをするうわばみ。漫画などでは見るけれども、本当にする人が居るんだなとか。瞬膜じゃないんだなとか。余計なことを考えながらも否定した。
お世辞でなく「大したもん」だ。馳大には鯖とみそ汁。彩芽には山菜のたっぷり載ったきつねうどんに、塩で焼いたハツ。竜弥にはバター焼きの鮭と豚汁。
「飲んでもいい?」
淡雪の舞う透明なグラス。にごり酒を持った彩芽は、今にも口を付けんと待ち構えた。
「ええと彩芽さんには、枇杷の木の世界で助けてもろうた」
霧に隔離された空間でのことは、しっかりと記憶にある。あのときは枇杷の木の言葉が正しいと思っていたのも。
「あれは竜弥くんが自分で切り抜けたのよ」
「ううん。そうじゃないんよ」
だから知ったのだ。利己的に動くのは、人間の専売特許でないと。
強すぎる欲望。強すぎる想いが、偏りを生むのだと。
ただ、知ったとは彩芽と馳大に言えない。二人とも当然に知っている事実であろうが、竜弥の口からは言えない。あやかしである二人には。
あやかしは、強い想いから生まれるのだから。
「じゃけえ今日は、僕が助けてもろうてありがとうってことよ。乾杯!」
「何だそりゃ。乾杯」
「よく分からないけど。乾杯」
三人が持ったグラスを寄せ合い。軽く触れて、チンと小気味の良い音がする。そして三つは離れ、それぞれの喉に飲み物を流し込む。
キリンレモンを飲み干した竜弥は、げっぷを喉の奥で打ち消した。それからそっと、グラスを膳に戻す。
――手を放したら、言うんじゃ。
そう決めて。
つかんだまま、一回。深呼吸。まばたきをして。
手を放す。
「僕。彩芽さんと馳大さんみたいになりたかったんよ」
「ええ?」
ビール臭いげっぷに紛れて、馳大は問い返す。
「誰か守る相手が居って、その力もあって。でも、どうってことないいうて謙遜じゃなく思うて」
「実際やばかったことなんか、ほとんどないからな」
例外はあったようだ。どれがそうだったのか、基準のない竜弥に察しはつけられない。昨夜がそうなのかもだ。
「でも僕には、そういう力はないんよ。じゃけえ警察官になったんじゃと思う。逮捕できたりとか拳銃とか、分かりやすいけえ」
「たしかに就職するだけで強い力を借りられるわね。法律を守る為だけっていう枷はあるけど」
「そうなんよ――」
次に言おうとしたことを、彩芽に先んじられた。
警察学校で警察官に必要な教養を与えられるうち、どうしてここに居るのか、どんどん分からなくなっていった。理由がその、枷だ。
警察官は法を守る立場で、法に権限を後ろ盾されている。しかし逆に、法に定められていないことを何一つできない。通りがかりに道を教えるのだって、ちゃんと条文があるのだ。
「それでも続けたら、何を守りたいんか分かる思うたんじゃけど」
「まだ分かりそうにないか?」
馳大の声は温かで、すぐに分からなくてもいいと暗に言っていた。焦る必要などないと。しかし違う。
「分かったんよ」
「へえ」
口に含まれたビールが、ごくっと音を立てて流れていった。喉ごしに馳大は唸り、「で?」と促す。
「もしかして」
半端に問うた彩芽はグラスを両手で持ち、くうっと宙に掲げていく。少しずつ、湖が引いていくように、にごり酒は水位を減らす。やがてすっかり涸れるまで。
「あやかしを守ってあげようというの?」
よく最近は、そうも思っていた。
たとえばシイは、牛を殺せるほどの力を持つ。しかし人間が危険な獣が居ると集団で狩れば、たやすく死んでしまう。あやかしにはシイよりもっと弱い者も多い。
「ううん。似とるけどちょっと違う」
「そう」
だとしたら止めた、とでも言いそうな彩芽。聞いてもそうとは言うまいが。竜弥の視線を外し、にごり酒のお代わりをうわばみに要求している。
「あやかしが何かしたら、すぐに人間の領域にはみだしてしまうじゃろ」
「そうしなきゃ意義の果たせない奴らも多いからな」
人間の想いから生まれたあやかしは、素性に沿った行動をしなければ消滅してしまうのだそうだ。彩芽たちのように確固たる存在になれば別だが。そうなるまでに決まった手順があるでなく、すぐに到達できるものでない。
「それに人間も、知らんうちにあやかしの世界に踏み込むんよ」
「まあな」
「そうね」
ここまで言えば、もう伝わったのかもしれない。彩芽も馳大も、素知らぬ顔で相槌だけを打った。
しかしこの後を省略はできない。これを言わずして、その道を歩むことなどできない。だからこそ二人は、先を聞かないに決まっている。
――できるかは分からんけど、やってみる。やりたいいうのだけは、間違うとらん。
もう一度振り返り。頷いて、言った。
「僕はその境界を守りたい。立ち位置の偏り過ぎたあやかしと人間を、押し戻すんよ」
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