第弐拾陸話:おさん   一

 仲違い。いや、一方的な嫌悪を押し付けた二年半前を思い出しながら、彩芽の撤収を手伝った。と言っても、折り畳みの椅子とサイドテーブルをセルボに載せるだけだが。


「彩芽さん」

「何かしら?」

「どうして聡司さんを巻き込んだん?」


 これは憶測だが、剛人と聡司が連れ立って訪れるのを、彩芽は知っていたに違いない。

 でなければ、ああまで剛人を煽るような言い方をしなかったのでは。そう思えてならなかった。


「よく分かったわね」


 ハッチバックをしっかりと閉め、運転席に回りながら彩芽は言った。

 クスリ。小さな吐息と共に笑って、悪戯がばれてしまったというように。だが「乗りなさい」と、中身を言わぬままセルボに乗り込んだ。


「何で剛人さんがああまで怒るんか、僕にはよう分からんけど。聡司さんが余計なことを言うた、いうて思わせたんよね?」

「思わせた、わけじゃないわ」


 キュゥン。音域で言えばソプラノのスターター音を、今日は助手席で聞く。すぐに走り始めたセルボは、アコースティックギターを掻き鳴らしたように唄う。


「どうしてお祭りと言うのか、分かる?」


 剛人に聞いたのと同じ問い。

 すぐには答えず、改めて記憶を探り、想像も働かせてみて、返す。


「剛人さんが言った以上には分からんよ」


 また笑った。決して嘲笑などでなく、我が子の幼い失敗に微笑む母親のように。


「意地悪で言ってるんじゃないの。話すには、順序というものがあるのよ」

「意地悪とは思うてないけど。順序?」


 そんなに困ったと、やり込められた風な顔でもしていたのか。覚えているはずもなく、これは作った苦笑を浮かべるしかなかった。


「まつろう」

「まつろう?」

「順序の順と書いて、まつろう。服従すること、何かの後に続くことよ」


 話す順序、ではなく。祭りとは順序のことである。そういう意味らしい。

 なるほど祭りと順う、語感は似ている。しかし同じと言われても、頷けない。


「お祭りって、豊作や一年無事に過ごせたことを神さまに感謝するものでしょう? それは同時に、来年も同じでいいか。違うなら、どの手順を変えればいいか。問うものなのよ」

「ああ――」


 昔の人間は太陽が昇るとか、季節の変わり目とか、自然の流れに沿って生活を組み立てていた。

 だから何もかも、行動するには順番が必要なのだ。現代人のように時間を計って、自分でペースを作ってしまうのとは異なる。


「聡司さんが竜弥くんに相談してきたのは、構わないと思うわ。それがお仕事だし、誰かに助けを求めるのは自然なことよ」

「ん、最初の話?」


 駐在所へ彩芽が訪ねたとき、ちょうど聡司が相談に来ていた。剛人との取り引きをして良いものかと。

 時速三十キロ制限の道を、セルボは二十キロにメーターを示して走る。

 十時十分にハンドルを持つ彩芽は、頷いた。横顔に緊張や気負いは見えない。


「結果、纏まったからいいけど。あのまま揉めていたら彼は、竜弥くんに文句を言ったわ」

「そんなこと……」


 愚痴を聞かされるだけなら、どれほどもない。構わないと言おうとして、そうではないと悟る。

 あのとき聡司は、にしんに憑かれていた。欲望を爆発的に膨らませるばくちとは違うが、表に出したのと正反対の、ふたつ目の心を持たせるあやかし。


「責任を取れ、言うたいうこと?」

「ばくちは人間の外に生まれて憑くけど、にしんは人間の中に生まれるのよ」


 賠償問題になったかもしれない。想いを強めたのはあったろうが、にしんが捏造したものではない。

 たくさん野菜をくれた聡司。連絡会で「何でも言え」と強気で請け負っていた剛人。

 のんびりとした空気の、平和な田舎の駐在員。そう思っていたのが、随分と殺伐としたものだ。


「しんどいのう」


 だから詰め腹を切らせた。ということなら、因果応報かもしれないが気も重い。


「目には目を、じゃなくてね。結局みんなに原因があったのよ、その件は。最初に表面的なことだけ見て済ませた、私もそう」

「彩芽さんは別に悪くないじゃろ」


 占いを職業にしていると名乗って、百円という破格で見たのだ。しかも彩芽の言った条件を違えなければ、必ず当たる占いを。


「ありがと。でもね、やっぱりいちばん深いところからひっくり返さないとダメだと思うのよ。そうでないと聡司さんも、自分の悪かったところに気付けない」

「そういうことなんじゃ」


 自分の責任を他人に押し付けよう。程度の差こそあれ、誰だって少しくらいは考えたことがあるはずだ。

 うっかり実行してしまった報いが、家に帰れなくなるほどの剛人の怒りとは。相応なのか、竜弥には判断がつかない。


「深いところって、どれほどなん?」


 判断つかぬものはとりあえず置くとして、剛人は何をしてくるのだろう。聡司には、自宅へ誰かが待ち受けている未来があったに違いない。

 ならば彩芽には。

 賭博のことを知られていると、剛人は気付いたようだ。露見した理由を疑うなら、まずは昨夜の火事が怪しい。

 あそこに彩芽も居たと、剛人は考えたのではないか。


「これ。深山くんが撮ったの」


 コンソールの小物入れに置いた小さなバッグから、彩芽は数枚の写真を取り出した。

 インスタントカメラでなく、印画紙に定着させた白黒写真だった。


「細かいとこまで綺麗に写っとりますね」


 一枚ずつに時間をかけず、さっさっと捲っていった。動いている金額は羨ましいほどだが、所詮写っているのは賭場の証拠とひと言で括れるものだ。

 だが、ある一枚で手を止めた。

 自分の眼を疑い、手を止めざるを得なかった。その写真には、大学ノートのページがアップで見える。


「何で……いや、これ。えぇ?」


 書かれた内容はプロ野球のチーム名と、最近の試合結果や得点差など。それぞれに配当の倍率も設定されていた。

 のみ行為。平たく言えば、野球賭博だ。

 誰もが思い付き、夕食や飲み代を賭ける程度ならば、やったことがある者も多いであろう。そういう意味では珍しくもない。

 問題は、同じページに書かれている参加者の名前。勝っていようが負けていようが関係ない。そこに、あってはならぬ名前がある。


「これ、間違いないんよね。同じ名前の別人じゃないんよね」

「下河内剛人の知人に、同姓同名の人物は居ないわ」


 吐く息が震えた。急に酷く、喉の乾いた気もする。

 人間である以上、誰がどんな罪を犯してもおかしくない。竜弥がこれまで出会った中にも、どうしてこの人がと信じられない行いをする者はあった。

 だが、よりによって。


「何で所長が――」


 主幹派出所の所長。竜弥の上司。即ち、現職の警察官。その名前が、写真のノートには書かれていた。


「剛人の欄を見て」


 竜弥の驚愕には何も言わず、彩芽は見る箇所を指定した。所長の名の幾つか上に、剛人の名もある。


 ――二百八十七万三千五百円。この金額って?

 勝ち配当の数字に見覚え、ではなく聞き覚えがあった。ほんの数時間前、占いの料金として彩芽が請求した額だ。


「彩芽さん。どういうことなん」

「どうもこうも、私はそのノートを見たって宣言したのよ。竜弥くんを知っている私がね」


 まさしく、どうもこうもなかった。落ち着いて考えれば、そんなことは理解できる。剛人にも、所長にも。


「さあ。今晩は何を飲もうかしら?」


 時刻は午後七時前。神社から幹線道路へ繋がる、狭い一本道。

 竜弥と彩芽の乗ったセルボが行く先。警察官による検問が、竜弥の眼に映った。

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