第弐拾肆話:まつり 四
彩芽の脚を眺め、のろのろと進む男たち。その合間に紛れ、何を話しているのか聞いた。
馳大は狛犬の下から動かない。「行ってみろよ」と、竜弥一人で。
「どうしてお祭りと言うのか、知っているかしら」
「そりゃあ姐さん、神さんを奉っとるけえじゃろ。そがいなことより、儂も占うてもらいたいんじゃが」
熱心に話しているのは、剛人らしい。聡司は隣で、所在なさそうに頷く。
「そうね、その通りよ。それなら、どうして尊いものを祀ると言うのか。知っているかしら?」
「そりゃあ神さんをご神体やら書きつけやらで奉って――いやそれじゃと同じか。まあよう分からんが、昔の人がそう決めんさったんじゃろ」
「そうよ。昔の人間が自分たちの周りをよく見て、観察して、そう呼ぶことに決めたの。昔は人間も、見える景色がどうやって作られるか知っていたわ」
それが問いの答え、ではなかろう。彩芽が何を言いたいのか、剛人の顔にわけの分からぬ不審がありありと浮かぶ。
「聡司さん、この姐さんに間違いないんよの?」
「お、おお、そうよ。この人が剛人さんとの話は必ずうまく行くいうて、教えてくれたんよ」
「ならやっぱり、儂も占うてほしいのう」
どうやら二人の取り引きは、話がまとまったようだ。あのとき彩芽は剛人に悪意はなく、問題は起きないと言った。あやかしの横槍が入ったと知らない聡司には、外れたと思えるはず。
しかし結果が合えば、経緯は問題ないのかもしれない。
「それに喩え知らなくても、知ろうとはした。いいの? そこにも書いているけど、占いの結果で料金が変わるけど」
「構わん。占いにかかる金くらい、いくらでもええ」
「そう? 払えない金額は決して言わないけれどね。それで私は、何を答えればいいかしら」
彩芽の占いに必要な術具は、占う相手そのもの。即ちひと目見れば、どんなことも読み取れる。
ただし何もかもでなく、彩芽が知りたいと明確に考えたことしか見えないらしい。
労力にさほどの違いはなく、相手がどのように聞くか。その態度によって対価が変わると、以前に彩芽は言った。
「そうじゃのう。何もかも教えてもらえるかいの」
剛人は顎と口許を撫で、どうするか考える素振りをした。その割りに、直ちに言葉が続いて、どうも格好だけと思える。
「何もかも?」
「そうよ、儂がこれから死ぬまで、ええことも悪いことも全部よ。難しいかいの?」
「難しくはないけど、高くなるわね。とりあえずざっくりと、これからのことを教えるわ。内容と値段を聞いて、その後を聞くか考えるといい」
自信たっぷりというのも違って、彩芽は当然のごとく占いを告げる。どこかにシナリオが書いてあって、読んでいるだけというように。
剛人も「頼もしい」と、好印象を持ったらしい。それを横目に、彩芽は脇に置いたサイドテーブルで何ごとか書きつける。
「これ、読める?」
驀地と。
白い用紙に筆ペンで、多少の癖はあるが綺麗な二文字が書かれた。地は分かるが、驀が読めない。
剛人も同じく、読みあぐねた。
「きょ、ば、ばくち?」
「そうとも読めるけど、違うわ。ましくらと読むの」
「ましくら? なんじゃそりゃ」
「現代の言い方だと、まっしぐらね。脇目も振らず、一つのことに突き進む」
「はあ、そんな字を書くんかいの。知らんかったわ」
竜弥も知らなかった。だがそれが今後とどう関わるのだろう。剛人も「ほいで?」と意図が見えず、先を促す。
「あなたの性格がそうね。こうだと決めると都合のいい面ばかりを見て、欠点やリスクを考えない」
「おほっ、こりゃあ耳が痛い。その通りよ」
的確だったらしく、剛人は喜色を示した。性格や癖を言い当てられるくらいは、まだ偶然や勘で説明がつく。誰しも手品を見るような感覚で、楽しむのだ。
「だから予定にない借金ができたとき、売る予定でなかったガラクタを、その物と言い張るようなこともする」
「ぬっ」
一転。怒気をも孕んだ、訝しむ表情。剛人の険しい視線は彩芽にだけでなく、隣へも向けられる。
睨まれた聡司は「わ、儂は何も」と両手と首を振った。心底驚いたように、目を丸くして。
「でも収まったようね。それがあなたの努力でないのは分かっているはず。今後そういった不義理をしないで、現状維持を目指しなさい。そうすれば逆に、あなたの家は栄えるから」
「ふぬぅ……」
剛人が声を失くした理由は、怒りだと明らかだ。二度ほど怒鳴りつけようと口を開いたが、なぜか堪えて黙る。
彩芽と聡司とを交互に睨み付け、「不愉快じゃ」と帰ろうとした。
「待ちなさい」
「ああ、見料か。払いとうないが、妙な言いがかりもつけられとうない。払うちゃる」
事情を知らずとも、誰も言いがかりめいたことは言っていない。こういう行動は慎めなどとは、占いによくある話だ。
――他の人らもそう思うじゃろう。
周囲の反応を見ようと、辺りを見回した。しかし誰も居ない。これから祭りの本番を控え、準備も追い込みの参道に、誰も居ない。
「二百八十七万三千五百円」
「はあ?」
「占い料は、二百八十七万三千五百円よ。払うんでしょう?」
「ふざけんさんな。誰がそんな馬鹿げた金額を――」
今度は怒声が発せられた。払えるものか、と言う直前まで。
剛人は何か察したように、顎をびくっと引いた。そのまま探る視線を、堂々と椅子にかけたままの彩芽に送る。
「あんたがまさか」
「何かしら」
「いや、何でもなあ。ともかくそんな詐欺まがいの金額は払えん」
「分かったわ。あなたがそう言うと知っていたし、構わない」
これも話がまとまったと言って良いのか。了承を得た剛人は、地団駄を踏んで帰っていった。
「聡司さん。あなた、奥さんは?」
「はあ、その辺を見て回っとるはずですわ」
「そう。今日はこれからすぐ、家へも戻らずにどこかよそへ泊まりなさい。息子さんの家とか」
有無を言わせぬ断言。聡司はどう解したのか、顎を震わせて唾を飲み込む。
「わ、分かった。見料を払わにゃいけんね」
「いいえ。この間お釣りを払わなかったから、それでいいわ」
「ほうか、ありがとのう」
縮こまった背を丸めるように頭を下げ、聡司は妻を探しに行こうとした。が、彩芽はそれを引き留める。
「ああ、ごめんなさい。一つだけ教えてほしいの」
「何じゃろうか」
「三人でお酒を飲んで、木場さんはその後どこへ行ったの?」
――木場さんの行方? 知っとってんか!
既に焦りの浮かんでいた聡司の顔が、みるみる歪んでいく。竜弥には何のことだか分からなかったが、あれこれと真実を言い当てられたようだ。
そんな相手に警察にも言わなかった秘密を問われては、黙っていられない。
沈黙の苦しさがこみ上げたのか、ぽろりぽろりと聡司は幾つかの涙を零す。
「分からんのじゃ。話しとったら木場先生の様子がおかしうなって、気分でも悪いんか思うて店の外へ出たんじゃけど。その後のことは分からんのじゃ」
「どっちへ行ったとか、何か言ってたとか。覚えていることはない?」
「国道を北へ行ったんじゃが。もう何日も経っとるし……」
俯いた聡司に「早くお逃げなさい」と。彩芽ははっきり、逃げろと言った。
涙と鼻水を一緒くたに拭って、聡司は深く頭を下げる。膝に両手を突いて、任侠ものの映画のごとく。
「彩芽さん。今の話って」
「聞いた通りよ。剛人は仲間うちの賭博で借金を作って、聡司さんに壊れたトラクターを売りつけようとした。でもばくちの支配が解けて、それはさすがにと思い留まった」
聡司が去るのを見送り、駆け寄った。彩芽は魔法瓶からカップにコーヒーを注ぎ、優雅に飲み始める。
「逃げろって」
「剛人の態度を見たでしょう?」
「見たけど、そんな乱暴なことまで?」
「さあ、どうかしら」
いつもと変わらない。怖ろしいまでにいつもと変わらぬ、彩芽の微笑み。
聡司に逃げろと言うなら、彩芽も危ういはずだ。それがどうして慌てずに居られるのか、とは理由が分かる。
けれども練習と本番が違うことは、あり過ぎるほどにある。いざという事態など、起きないほうがいいに決まっている。
「どういうことか、教えてもらえるん?」
「もちろんよ。でも今日のお仕事が終わってからね」
彩芽の指が、竜弥の後ろを指す。そこには順番を待つ行列ができていた。途絶えていた往来も戻って、かなり賑やかだ。
慌てて場所を譲り、馳大の下へ戻った。この男が写真を見せないのも、どうやら関係している。
「あそこで人目に晒されてりゃ、彩芽に危険はないさ」
やはり説明する気のない馳大の言うまま、竜弥は祭りの空気を存分に浴びた。
楽しめるはずがないと思っていたのに、やはり屋台巡りなどすれば童心に返ってしまう。
罪悪感を抱きながら馳大の言うまま付き合ったのは、彼のせいとばかり言いきれない。
「結局誰にも会わんかった」
「普通は会うもんなのか?」
「人が集まるところは、警備対象じゃし。地元の付き合いもあるけえね」
空が赤く染まっても、所長を始めとして、警察の先輩たちに出会うことはなかった。春の祭りのときは、その日の勤務員全員に会ったというのに。
「それはともかく、彩芽の片付けでも手伝ってやれよ」
「うん。馳大さんは行かんの?」
彩芽は酔客を嫌うので、日が暮れる前に店を畳む。だからそろそろとは合っているが、手伝いを不精すればお叱りがあるのでは。
心配する竜弥に、馳大は羽を擦りつけた。
「俺は上から見てる」
往来の端で、馳大は翼を広げた。伸びた両翼は、背丈の二倍ほども。顔面には先の鋭い嘴が生え、全身には艶めく闇の色が羽の形をして覆う。
巨大な鴉。
それが馳大の正体だ。この姿を初めて見たのは、二年半前。以後脳裏に焼き付いて、二度目という感覚は薄い。
背中にぞわりとした感触はあったが、密かに息を呑んで堪える。
――今度は間違えんのじゃ。
周囲の誰もがよそ見をする中、気高くも美しい巨鳥は大空へと舞い上がった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます