第弐拾参話:まつり 三
事実を認めず、自主退職も拒む。それなら処分も相応の、重いものとなる。
そんな事実などない竜弥には、脅迫でしかなかった。しかし馳大のことや、あやかしが云々と言うわけにはいかない。
「当面、体調不良いうことで休みんさい。年休届けは儂が出しとくけえ」
その言葉を最後に、面談は終わった。事実上の謹慎だ。
帰れと言われ、おとなしく官舎への帰途に着いた。DRを操る腕が、気のせいでなく重い。
――木場さんを捜すこともできんのか。
二年目で二十一日しかない年次休暇が消費されるのは構わない。どうせよほどの高熱でもなければ、受理されない代物だ。
だが何もすることのない時間があるなら、木場の捜索に充てたかった。謹慎となると、それもできない。
「……いや。帰れ言われただけで、外へ出るなとは言われんかったか」
これは屁理屈だ。豊山町へ行けば、今日も投げやりな捜索をしている先輩たちに会うだろう。すると体調不良という建て前が、意味を失くす。
けれどももはや、千切れること前提の首の皮一枚という状況。どうでもいいという気にもなってくる。
「馳大さん、早う連絡くれんかのう」
連絡というからには、電話をかけてくるのだろう。こうしている間にも、かかっているかもしれない。
そう思うと、だらだらしている気分ではなくなった。制限速度をほんの少し、超過する程度にアクセルを回す。
決してその程度だ、回しすぎてはいない。だのになぜかエンジンが吹け上がり、前輪が浮いた。
「うわっ!」
ウイリー走行など、やったことがない。しかし妙に安定して、そのまま五十メートルほども走った。
信号に引っかかり、またひとりでに前輪が降りる。
「おいおい、景気付けなんか? 急にされたらびっくりするじゃろうが」
意識はどこに持っているのか、何となくDRのメーター辺りに向けて言った。
するとアイドリングが心持ち上がって、次には落ちた。エンストだ。
「拗ねんなや。励ましてくれたんは分かっとるけえ」
タンクを撫で、スターターを蹴る。何ごともなかったように機嫌良く、エンジンはかかった。
おさんの言っていた、ひかげ。意識を持って間もないこのあやかしは、人間で言うところのやんちゃな盛りなのかもしれない。
好いてくれているようだし憎めないが、公道でウイリーはダメだ。
――きちっと教えんといけんのんかな。
苦笑しつつ考える目の前を、軽く手を上げた馳大が横切った。
◆ ◆ ◆
「あ。悪い、持ってくるの忘れた」
「ええ? 写真を待っとったのに」
腹が減ってないかと聞かれて、チェーンのうどん店に入った。国道百九十一号線沿い。先日の料理屋は、昼間は営業していない。
正午までまだ少しある店内は、空いていた。今日は土曜日で、半ドンで終わった会社員などが押し寄せてもいいのだが。
「何だ。俺自身には用がないってことか、寂しいことを言われたもんだ」
「い、いや、そういうわけじゃ。でも馳大さん、意外と忘れ物とかせん人じゃろ。珍しうて」
「意外と、ってのはどういう意味だ?」
馳大が細かなことを察するのは、意外とでない。気落ちしているのを隠そうとしても、「何かあったか?」と直球で聞いてくる。
だから今日も気付いているはずなのに、問うてこなかった。約束の写真を忘れたというのも合わせて、どうもおかしい。
「無駄足になってしもうたねえ」
「そうでもないさ」
ずぞぞぞ。と遠慮のない音で、肉うどんが啜られる。そうしながら器用に、胸元から紙片が取り出された。
八つ折りにされたそれは、黒の毛筆で書かれたチラシを複製印刷したものだ。内容は豊山町の神社が執り行う、例大祭について。
「ああ、そういえば今日と明日だったんじゃ。なんで馳大さんが、このチラシ持っとるん?」
「昨夜見つけた」
「剛人さんの家で?」
事もなげに馳大は頷く。時価も付かないチラシなので、立件されても不起訴処分とはなろうが、立派な窃盗だ。
そう考えるのは、竜弥の警察官としての倫理でだが。実際にはこの程度を訴え出る人は居ないし、賭博の現場からとはますます言えまい。
――問題なんは写真を忘れて、チラシは忘れんかったことじゃ。
こうなるといよいよ、忘れ物は故意と考えざるを得ない。むしろ懐には持っていて、出さないだけではないか。
「このお祭りがどうしたん?」
諸々呑み込んで、無難に問い返す。
祭りがあるのは知っていた。だが来賓で呼ばれるのは木場だけで、あまり意識になかった。雑踏警備の必要もない、小規模なものだ。
この祭りが何だと言うのか、そこにも興味がある。
「どうした、って。祭りは行って楽しむもんだろ?」
「え? いやまあ、そうじゃけど」
本来は別の意義があるはずだが、祭りを訪れる者のほとんどはそういう認識に違いない。
戸惑った竜弥とてそうだ。このタイミングで祭りへ行って遊ぼうなどと、思ってもみなかっただけで。
「しばらく暇になったんだろ? 心置きなく行って遊ぼうぜ」
「なんで――」
休みを命じられたと知っている。今朝からの行動も監視していたとして、話したのは喫茶店の中だったのに。
不思議ではあるが、馳大に対して今さらだ。それよりもやはり、どうして今「遊ぼう」なのか。
「行ったら何か、いいことがあるん?」
「分からんが、そんな気はする」
こう言われては、断る理由がない。うどんとおはぎを食った二人は、それぞれに豊山町へと向かった。
――まだ、ちらほらじゃねえ。
三十分後、例大祭の行われる神社の参道へ着いた。通勤時間でなかったせいで、普段通うより早かった。
出店もまだ揃ってなく、見物客よりも準備に動く人のほうが多い。本番は夕方から、明日の昼までだ。
馳大を探すと既に変身ヒーローのお面を頭に載せ、焼きそばを啜っている。
「馳大さん、まだ食べるん?」
「お、早かったな」
狛犬の足下には、まだたこ焼きも見える。大食いではなかったはずだが、認識を改めるべきだろうか。
「これだけ色々あると、どうにも味見くらいはしなきゃって思えてな。職業病ってやつだ」
八つ入りのたこ焼きを一つ取って、残りをパックごと渡された。
ついさっき満腹になった後では、食える気がしない。けれども祭りの空気がそうさせるのか、濃いソースの匂いが食欲をそそる。
「職業は関係ないじゃろ」
ひと口食べると、火傷しそうに熱い。頬の内側に触れぬよう、はふはふと舌で転がす。
少し冷めてようやく噛み潰すと、とろり。ソースの塩辛い旨みに、たこやき生地の素朴な甘みが混ざり合う。
青のりのケチられた、よくある屋台のたこ焼き。これを食う間、竜弥の脳裏に他の何ごとも浮かんではいなかった。
「そっち」
「ん?」
何だかんだ、あらかた食い終わったころ。馳大の持つ割り箸が、竜弥の死角を指した。
眼を向けても、変わった何かがあるでもない。まだ準備中のイカ焼き、金魚すくい、二重焼き。他の地方では、今川焼きと言うのだったか。
「あれ?」
透明なビニールで風除けをした金魚すくいの隣に、少々場違いな白いパラソルがあった。
その下には、白いロングスカートのタイトスーツ。高いヒールを履いた脚が大胆に組まれて、前を通る男たちの足取りを遅くさせている。
「彩芽さん、今日はここに居るん?」
「そうらしいな」
よくよく見れば、話す相手も知った相手だ。人数は二人。姓はどちらも下河内。
剛人と聡司が、並んで占われているところだった。
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