第弐拾壱話:まつり   一

 夜も遅いことだし、お礼なども後日。と竜弥は追い出されるように、剛人の家を後にした。

 警察官の義務として「消防に連絡しないと」と言ったが、もう消えたのだからと押し切られてしまった。

 どんなボヤであろうと、意図せぬ出火は届け出の義務がある。ましてや警察官は、警職法けいしょくほうに協力の義務まで付加されている。


「若蔵さん、こりゃあ野焼きですわ。今年は虫がようけ居るけえ、こうでもせにゃあ追いきれんのです。ええですね?」


 そう言われては、竜弥も重ねる言葉がない。不法行為なのかグレーゾーンの判断は、警察官に付きものだ。このような田舎では現行法と慣習とがそぐわない不一致も頻発する。


「分かりました、野焼きですね」


 呑み込んだ竜弥を、剛人は満足そうに微笑んで見送った。集まっていた近所の男たちも、それとなく顔を隠すように家の中へと消えていく。

 剛人と同年くらいの面子が多いが、三十前の若い層も混じっている。


 ――怪しさ満点じゃ。

 何となく駐在所へ戻る方向にDRを走らせると、剛人の家が見えなくなった辺りで馳大が待っていた。

 もしも反対方向へ進んでいても、同じように木にもたれて片手を上げて見せたろう。驚くことではない。


「どうじゃった?」

「真っ黒だな」


 DRのエンジンを止め、辺りを見回す。馳大でもなければ、車も使わず追い付ける者は居ない。

 馳大は胸のワイシャツの胸ポケットから、十センチ四方ほどの薄い物を取り出してみせる。鑑識でもよく使う、インスタントカメラの写真だ。


「麻雀と花札はまあ――」


 賭博行為は、常習性が問われる。正月に親戚が集まってマッチ棒を賭けるくらい、大抵は罪に問われない。その賞品として、洋酒の一本程度が提供されてもだ。

 娯楽の少ない田舎であれば、それが週末毎でも珍しくはなかろう。都会でゴルフをやる者が、チョコを握るのと同じで。

 だが見せられた写真には、大量の現金が写っていた。


「これ、いくらあるん……?」

「さあな。一人当たり、ひと束くらいは持ってきてるんじゃないか?」


 今日は使っていないのだろう。部屋の隅にルーレットやバカラの台も見える。手前に写ったテーブルには、手に汗ならぬ手に金握った風のしわくちゃな一万円紙幣があった。

 その写真一枚だけでも、十万円やそこらでない。二枚目には点数表らしい黒板が見えて、個人名ごとに勝ち負けが記されている。


「剛人さん、プラス三十二万。こっちはマイナス十五万」


 これはもう、言い逃れのしようがない常習賭博だ。この写真だけで立件は出来ないが、家宅捜索の理由には十分だ。

 どうやって写したのか、合法的な説明がつけばだが。


「えぇっと、ばくちも見つけたん?」


 構えていたよりも情報量が多すぎる。どうしたものか考えるのを休んで、分かりやすいほうを聞いた。

 そも、そちらが本命でもある。


「いや、居なかった」

「居らん? じゃあ臭いは? 勘違いだったん?」

今は・・居なかったってことだ。ばくちはやっぱり、木場に憑いて行ったんだろうさ。しかし一つ生まれた以上、また次が生まれたっておかしくない」


 次。

 次の犠牲者が出る。そう考えてしまって、ぶんぶんと首を振った。木場の命運がどうなったか、まだ何一つ分かっていないのだ。


「そんな簡単に、あやかしが生まれるもんなん?」

「簡単じゃない。だが生まれるときは生まれる。人間の強い想いがあればな。それが清々しいものとは限らない、って知ってるだろ」


 知っている。何千何万という人間が口先揃えて謳っても、新新興宗教の神などなかなか生まれ出るものでない。

 対してたった一人。喩えば小さな子どもが、買い与えられたぬいぐるみを親友だと想う。それだけで付喪となるのは現実にある。

 そんな純粋な気持ちを例に取れば、邪気を実らす田畑を見ているようで、気持ちが悪い。


「じゃあ早く賭場をやめさせんと」

「そうだな。人間のやり方か、あやかしのやり方か、どっちにする?」


 冷やにするか燗にするか。馳大が言うと、そんな選択に聞こえる。臭いを嗅いだだけで酔ってしまう竜弥としては、選択しないという選択肢が欲しかった。


「賭博は犯罪じゃけえ」

「そうか。任せる」


 人間が決めた法律を人間が破っている。その行為を止めれば、害をもたらすあやかしも生まれない。


 ――なら、最初の誤りを正すべきじゃ。

 二年半前よりも、竜弥は大人になった。感情と現実を切り離す術も、未熟ながら備えた。

 皮肉にも警察官とは、そういった判断を迫られる職業だ。もしも目の前に居る犯罪者が親や兄弟であったとしても、取るべき行動が決まっている。


「それなら現像して、また届けてやる。でも明日、ってか今日は休みなんだろ? とりあえず帰って寝ろ」


 馳大の大きな手に収まるライカ。あれにはもっと多くの証拠が写されているはずだ。

 すぐにも見たいが、現像しないフィルムから像を見る手段などない。


「木場さんを捜す方法は――」

「ある。でも寝不足で倒れるようじゃ、教えてやれない」


 体力はまだまだ十分だった。消火で多少は疲れたが、缶ジュースの一本も飲めば元通りだ。

 だから今すぐに。そう言ったとして、馳大は聞いてくれまい。他の者には酷くドライな面もあるこの男が、竜弥にだけは気遣ってくれる。

 ばくちを追った先で何かあれば、それこそ徹夜をするかもしれない。その体調を整えろと言っているのだ。


 ――逆に言えば、それまで木場さんは大丈夫ってことじゃ。

 どうしてそう判断できるのか、聞いてみたかった。だがその辺りへ、迂闊に踏み込んではならない。

 開けてはならぬ戸を開ければ、二度と会えぬ未来に繋がっているかもしれないのだから。


「分かった。官舎に帰って、おとなしく寝るけえ」

「そうしろ。また連絡する」


 DRのエンジンをかけると、馳大は「ああそうだ」とひと声。ひょいと何かを放り投げた。


「っとっとっ――と。何これ?」


 危うく受け止めそこねて、落とすところだった。胸に抱きかかえるようにしたそれは、石だ。

 絵の具の黄土色をべったりと塗ったようで、大きさと形は鶏の卵に似ている。

 つるつると滑らかな感触。ただ、底と言おうか、一箇所が鑢で削ったようにざらざらしていた。棒状になった先を折り取ったようにも見える。


「それは彩芽から預かってるもんだ。お前に渡しとく。失くしたら、彩芽に叱られるからな」

「そんなん、渡さんとってくださいや!」


 突き返そうとした石を、馳大はニヤと笑って押し戻す。


「いいから持っとけ。ずっと離すな」

「ええ?」


 そうまで言うなら、持つべき意味があるに違いない。彩芽からなら、お守りとかそういうものかも。と、受け取ることにした。


 ――でもやっぱり、石なんじゃけど。

 もう一度視線を落とす。すると地面を打つ風の音がした。

 バサァッ!

 慌てて上げた視界に、もはや馳大の姿はない。見えるのは夜に沈んだ山と森、切り開かれた田畑の平面だけだった。


 ◆ ◆ ◆


 ポロロロ、ポロロロ。

 闇の中を、おもちゃのような電子音が鳴る。

 ポロロロ、ポロロロ。


 ――なんじゃ、さっき寝たばっかりじゃのに。

 あれこれ気になって落ち着かなく、眠れるものか。そう思っていたが、意外にあっさりと眠ってしまった。

 しかし官舎に戻って汗を流し、布団に入ったのが午前三時ころ。感覚的には、まだ数分しか眠っていない。


 ポロロロ、ポロロロ。

 もうさほど珍しくはないが、割高なプッシュ式の電話機。形が格好いいと思って買ったのに、呼び出し音が可愛らしくて落ち着かない。

 枕もとの目覚まし時計を見ると、九時過ぎを示していた。


「もう朝か……」


 ぼんやりする頭のまま、受話器を取った。窓を見れば、たしかに朝の色がカーテンに透けている。


『お、若蔵くん。休みのとこ悪いの』

「はい。あ、いえ。所長、どうされたんですか」


 電話をかけてきたのは、主幹派出所の所長だった。何でもないときは平坦な口調なのだが、今日は機嫌良く聞こえる。


『ほんま悪いんじゃが。どうしても今日、教えてほしいことがあるんよ。出てこれんかいね』

「えっ、と。分かりました、派出所へ行けばええですか」


 警察官の非番や公休日に、仕事の連絡があるのは日常茶飯事だ。送検や裁判に関わる書類に不備があれば、個人の都合など後回しになる。

 ほとんどはそんな大事でなく、明日でもいいだろうという用事だが。


『ほうか、悪いの。ほしたら派出所の近くへ、喫茶店があろうが。あっこへ頼むわ』

「喫茶店ですか。分かりました」


 電話は本署か派出所かからだ。背後に無線の声が聞こえていた。

 それなのに喫茶店へ来いと言う。そんな呼ばれ方は初めてだ。


「まあ休みでも、よう出てきてじゃし。今日もそうじゃろ」


 休みの日に家で寝ているようでは、一人前になれない。その言葉を実践する所長に半分は敬服して、竜弥は出かける準備を始めた。

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