第弐拾話:ばくち    四

 考えていても結論は出ない。馳大の言った通り、調べれば分かることだ。またDRを走らせ、歩けば三十分ほどかかる民家の前へ。

 昨日。もう正確には一昨日だが、所長たちと訪れた下河内剛人の家。敷地へ入るにはまだ、広い田んぼの間を行かなければならない。

 越えた向こうには、なまこ壁がぐるり巡らされた。田を堀、なまこ壁を城壁と思えば、納屋と並んで建てられた古民家が天守に見えてくる。玄関の門灯が点く他に、灯りは一つも見えなかった。


 ――所長はあれから、何か連絡したんじゃろうか。

 これみよがしに巡回連絡簿を調べさせ、住所や家族構成、電話番号などをメモさせていた。

 警察官の基本ではあるが、竜弥を同行させるなら必要なかったのでは。無駄になっても備えておくものと言われれば、それまでだが。


「どうした、妙な顔して」


 発進を見送ったはずの馳大が、大きめの石に座って、もうタバコを吹かしていた。


「くだらんことよ」

「そう卑下するほど、不細工じゃないと思うがな」

「そういう意味じゃないんじゃけど」


 美形でもないということだが、事実なので怒ることではない。何よりこれは馳大なりの、気分や体調に問題ないかという確認だろう。

 だからあえて、ムッとした顔を作る。


「そうか、そいつは失敬」

「で、どうやって調べるん? さっきと同じには難しい気がするよ」


 ばくちの臭いがするのは、剛人の家。おさんの話を聞いてから、そうだろうと予測をした範疇だった。豊山町にパチンコ店や雀荘はない。

 強いて感じたとすれば、予測が外れてくれれば良かったと、落胆だけだ。


「だなあ、何だか車が多い。親戚でも集まってんのかな」


 タバコを咥えたまま、馳大はスッと立ち上がる。竜弥よりも頭半分ほど高い彼は、そうしただけで格好になる。

 イメージとして、アルセーヌ・ルパンの孫と言うと近いかもしれない。いやその相棒の、銃の名手か。

 細いが無骨にごつごつとした手を庇に、剛人邸を眺める。夜に意味があるのか問おうと思ったが、なるほど竜弥も知らず同じようにしていた。


「ううん、近所の人じゃと思う。軽トラばっかりじゃもん」


 豊山町にある家のほとんどは、敷地の周りに塀を設けていない。農業をするのに長物を扱うことが多く、邪魔になるからだ。

 全くないわけでないが、少ない例外のほうに剛人の家は属した。まるでこの為かのように、なまこ壁の白い漆喰が、駐められた軽トラの印象を薄くしている。


「七、八台かね」

「八台あるな」


 一台に一人ずつでも、八人。剛人とその妻を入れて、十人以上がこの家に居る。

 駐在所のときは、目的の場所が分かっていた。だが今回はどんな間取りか、どこに誰が居るのか予想もつかない。


「こうすりゃあ、誰にも気付かれない」

「こうって――ええ!?」


 田を囲む畦に、刈られた草がそのままになっている。おそらく稲刈りの後、枯れたそれを田に投げ込むのだ。

 既にカラカラでよく燃えそうな枯れ草に、馳大はタバコの先を近付けた。

 ふうっ、と息を吹きかけると、頼りないながらも火が生まれる。そこへさらに枯れ草をひと掴み。可愛らしい焚き火となった。


「俺が見てくるから、竜弥は火を消してくれ」

「この火を?」

「そうだ。消せなくても畦を全部焼いたら消える、心配するな」


 放火は良くない。法的にも重要犯罪として取り扱われる。

 けれども何か意図があって点けたのだろうに、消せとは。これほど小さな火など、踏みつければすぐだ。

 意図を図りかねる間に、「じゃあな」と馳大は跳ぶ。素早く闇に紛れて、方向も分からなかった。

 ゴウ。と置き土産に、強風を残して。


「馳大さん、これはやり過ぎじゃあ……」


 目を離したのは、ほんの数秒だった。見失った馳大の行方を探す視界に、大挙したオレンジ色が侵食する。

 風に煽られた幼い火は、もはや竜弥よりも高い背丈に育った。刈られた足下に生えた新たな緑さえも焼いて、人の歩く速度で勢力を増していく。


「か、火事じゃ!」


 はっ、と気付いた。火事となれば、住人が総出で駆け出してくるに違いない。そうすれば馳大は、家の中を自由に見ることが出来る。

 無茶なことをと思うが、こうなった以上は乗るしかない。でなければ目的が果たせないのだから。


「何か、水を汲めるもんは」


 火事だと叫びつつ、バケツなどがないか探した。水は田の脇に、用水路がある。


「あった!」


 汚れた手を洗う為にか、ブリキのたらいが置いてあった。風呂場で使う洗面器よりも、もう少し大きい。

 二十歩ほどを走り、用水路を飛び越え、固定したビニール紐を引き千切る。

 すぐさま水を汲み、火の元へ――行こうと思ったが想像以上に重く、うまく走れない。


「僕は馬鹿か!」


 一旦その水を捨て、今度は汲んですぐに水をかけられる位置へ。と言っても、身長分ほどの距離が限界だった。それでさえ髪を焦がしそうだったし、不規則に伸びる炎の腕が肌を焼く。


「よい――しょぉっ!」


 広がった炎に対し、出来るだけ広範囲に。振り撒くようにした水は、まるで効果を示さなかった。


「違う。燃える先にかけんと」


 警察学校でも、初期消火くらいは習う。縦に割ったドラム缶を四つ繋いだ中に、ガソリンをかけられた組み木が燃やされる。

 それに比べれば、勢いは何でもない。しかしこちらは、訓練でないのだ。


「これでどうじゃ!」


 火の手に先回りし、燃え始めた付近を狙って水を浴びせた。

 ジュワァァッ。

 炎の悲鳴。まだ燃えていなかった所からも、白い煙が上がる。しかもそこから先、炎は攻めあぐねている。


「よっしゃ。これでいける」


 安心している暇はない。炎は点火された位置から、左右に両腕・・を伸ばしているのだ。

 一方を早く消してしまい、もう一方にもかからなければ。


「もう一回!」


 と五、六回繰り返した。それでようやく、あらかたの炎が黙り、口の中へ牙を収めた。

 あちらを消さねば。息吐く暇もなく、まだ自由の身の炎を睨み付ける。向かっているのは、剛人の家へ真っ直ぐに。


「やばい!」


 駆け出そうとして、柔らかな畦の土に足が取られる。その拍子に持っていたたらいが手を離れ、転がっていった。

 足はともかく、腕がかなり参っている。


 ――そんなこと言っとられん。

 あやかしが絡むと、人の常識では太刀打ちできないことも多い。そんなときに駐在所へ忍び込むくらいは、やむを得ない。

 もちろんこれは、他に良からぬことを企んでいないからだ。第三者にそんな理屈が通用しないのも覚悟のうえ。

 ゆえにこの炎で、間違っても実質的な被害を出してはならない。竜弥にどんな事情のある、何者であろうが。


「早う! バケツ持ってきんさい!」

「ホースがあるじゃろう! たわんかいの!」


 ようやく剛人の家から、人々が飛び出してくる。家の灯りも煌々と点き、シルエットになって正確に何人かは分からなかった。

 彼らのほうが炎に近い。早々に水がかけられ始めたのを見て、竜弥は走る脚を緩めた。


 ハア……ハア……。

 息が切れるはずもないのに、呼吸が乱れる。きっと罪悪感だと予想がついて、また走った。


「若蔵さん、火を見つけてくれたんじゃねえ! ありがとうさん!」

「いえ僕は」

「こんな時間まで、木場さんを捜しとったんかいね」


 一人が竜弥を見つけて駆け寄った。下河内剛人だ。

 肩に手をかけられ、あちらが立ち止まって話すので、立ち止まることとなる。


「まあそうです」

「そうなんじゃねえ。早う見つかるとええねえ。でもまあそのおかげで、大火事にならんで済んだんよ」


 多勢に無勢。炎はもう、ほとんどの色を失っていた。


 ――剛人さんの家が焼けんで良かった。

 緊張が緩んで、その場に誰が居るのか顔の区別がつくようになる。

 もう一つ、炎の行く手にも気付いた。

 炎には決して越えることの出来ない用水路は、剛人の家を囲うように奥へ伸びている。放っておいても、家屋へその舌が届くことはなかったのだ。


 ――そういうことじゃったんか。

 消せなくても問題はない。馳大の言った通りだった。

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