第壱拾捌話:ばくち   二

 パネルは四枚あった。それぞれ別の場所で撮られたものだ。


「これ全部、奥さんも一緒に?」

「そうですよ。これは大山だいせんで、それは鳥取砂丘。ええとこれは、津和野ですね」


 順番に示すと、夫人は淀みなく撮影した場所を答えた。どれも家族で訪れた先の、印象的な場面を収めたものらしい。

 竜弥に写真の良し悪しは分からないが、牧歌的な空気や厳かな佇まいがよく伝わると思った。


「これは、あれ? 歌舞伎。ううん、神楽かな」


 四枚目。神楽舞の写真に、夫人は躓いた。いつどこで撮ったものか、記憶に定かでないようだ。


「こんなパネル、あったかな――」

「最近新しく作ったんですかね」

「いえ、それはないと思います。たぶん」


 即座に否定したものの、自信がやや傾いたらしい。悩ましそうに首を捻るが、じきに解決を導き出した。


「ああ、そうだ。結婚する前に見に行ったことがあるので、たぶんそれですね。このパネルはどこかに片付けていたのを出したんだと思います」

「なるほど、それで埃もないんですね」


 棚の上もパネルにも、埃は積もっていなかった。これは木場の管理でなく、夫人の掃除によるものかもしれないが。


「ですね。この棚の上は、私も毎日見るわけじゃないので」


 尾朝の神楽祭は、地元だけの秘密の行事ではない。石見神楽の流れを汲む、尾朝神楽団と言えばそれなりに有名だ。県外からわざわざ見物に訪れる者も居ると聞いた。


「どうでしょう。何かヒントになりそうですか?」

「ええと……」


 正直に答えて良いものか。

 分かったのは、木場がばくちに憑かれた可能性が低くなったということだ。当てが外れたことになるし、あやかしの仕業を疑っているなどと信用してはもらえない。


「すみません。僕だけでは判断がつかんので、他の人の意見も聞いてみます」

「そうですか――」


 平静を持ち直したように見えた夫人が、肩を落とす。表情も気落ちしたのが明らかだ。「とても助かった、きっとこれで木場は見つかる」と言えば良かったのか。

 嘘も方便と言うが、嘘と確定してしまったら。その未来を否定できない中で、口にする勇気はない。


「まだこれから。あ、いえ、明日も捜してみますんで。どうしたら見付けられるか分からんですけど、とにかく頑張るんで」


 なるべく嘘のないよう、誠意を伝えたかった。そうして選りすぐった言葉が、単なる精神論と気付く。


 ――気休めにもならん。

 必ず見つけ出すと、誰かと同じく言えば良かった。落ち込ませるよりは、何倍も良かった。

 後悔をする竜弥に、木場の妻は潤んだ眼を向ける。


「若蔵さんは、絶対に見つける言うてくれんのですね」


 ――やっぱり間違えた。

 話すのとは別に、もごもごと唇が動く。泣き出しそうなのを堪えている。


「すみません。今はそれぐらいしか言えんで」


 若輩の無能と思われても、嘘を吐かれたと思わせるよりはましだ。

 訂正の機会に、やはりそう考えた。自分がどうしようもなく落ち込んだとき、責任のない気休めを言った人物をどう映すのか。

 答えはこうだ。


 ――僕は、卑怯者にはなりとうない。


「若蔵さん」


 いくつもの感情を押さえ込んだ声。どれほどの精神力で為しているのか、震えの大きさが示した。


「何でしょう」


 これから言われるであろう言葉に先手を取って、謝りたい。だが堪えて、無難に答える。


「あなたを信じます。どうか私の夫をお願いします」


 溢れ出した涙に混ざった僅かな笑みは、何だったのか。それが言葉通りの、期待によるものなら果てしなく重い。


「頑張ります」


 数拍。休むのに似た思考を巡らし、絞り出した文言はやはり無難だった。

 夫人は深々と頭を下げ。それをどうして良いか、竜弥も同じに腰を曲げる。


 そのまま無言で、駐在所を後にした。先行報酬に、UCCのロング缶一本を受け取って。

 これはやはり子ども扱いなのか、と。複雑な心境を抱えた。


   ◆ ◆ ◆


 時刻は午前零時を過ぎた。駐在所を離れ、人家の遠い農道の真ん中にDRを停める。

 途方に暮れていた。

 下河内剛人の家にも行きたかったが、さすがに難しい。情報をくれそうな相手に、あやかしを含めて当てがなくなった。後は闇雲に捜し回るしか出来ることはない。

 ただしそれは、竜弥だけならだ。


「彩芽さん、馳大さん、助けてもらえんじゃろうか」


 見上げる中天は、無数の星を抱えて輝いた。廣島市内よりも黒が深く、瞬きが眩い。

 その一角を、何か大きな影が塞ぐ。

 次いで、バサァッ。大樹が枝葉を揺らしたような、風を孕ませた音が間近に降りる。


「――やれやれ、いつ呼んでくれるかと待ってたんだがな。まったく水臭い奴だ」


 コツ。コツ。

 竜弥には見通せない闇の向こうから、革靴の音が静かに響く。やがてそれは黒の中に、黒い人の形を産み落としていく。

 濡れたような黒髪に、くたびれた黒のフォーマル。いつ点けたものか、口許にだけタバコの灯が赤く浮かぶ。


「馳大さん。やっぱり頼るのは、虫が良すぎるかと思うて。でも僕じゃあ、どうしてええか分からんのです」


 目の前。一歩の距離で、ようやくはっきりと顔が見て取れた。指にタバコを取り、唇の端から斜めに奔る紫煙が、くるくると幾つもの円を描く。


「任せとけ。言っただろうが、俺も彩芽もお前を守ってやりたい。そこに理由はない。そうしなきゃ、俺はお前をからかって遊べなくなる。それだけだ」


 自分などに、勿体なさの過ぎる言葉。

 竜弥が返せるのは、力いっぱい頭を下げることだけだった。


「あの、それで、僕の先輩の木場さんが――」

「ああ分かってる。見てたし、聞いてた。分からないのは、お前が駐在に入ってからのことだけだ。何かあったか?」


 思い出せる限り、こと細かく話した。木場の妻の様子、家屋の間取り、置かれていた品々。


「酒とカメラねえ」

「ばくちに憑かれるほどじゃないみたいなんよ」

「そうだなあ。聞く限りじゃそうらしいが、その二つは俺もちょっとうるさい」


 知っている。馳大は食に関して嫌いな物がなく、悪食と呼べるほどに何でも食う。だからといって味音痴ではなく、老舗の隠し味などもピタリと当てて見せたのは一度や二度でない。


 カメラも同じく。彼は本業をあくまでコーヒー店と言い張るが、収入の大半は写真に依っている。

 高い場所や雪山などの撮影困難な場所を得意とし、ヘリでも飛ばしたとしか思えない撮影点の不明な構図で業界では有名らしい。


「どうしょう。頼めば見せてくれる思うけど、奥さんもう寝とる思うし」


 起きていても、見知らぬ中年を連れて行ける時間ではない。とは、口に出せなかった。


「問題ない。早くしたほうがいいとは俺も思うしな」

「ええ? どういうことじゃろう」

「俺には問題ないが、お前には問題あるってことさ」


 含むところのある言い方に問うと、また謎かけめいた答えがある。

 それは同時に、決断を求める口調でもあった。覚悟を問うていると言い換えても良い。

 つまり謎かけの解は、警察官としてあるまじき行為に及ぶということだ。


「明日まで待ったらいけんのよね」

「俺は構わんさ。木場って男の生きて帰れる率が、低くなるだけでな」


 選択の余地はなかった。


「お願いします、馳大さん。何か問題になったら、またそれはそれです」

「応さ」


 DRを農道の端に寄せ、二人は暗闇を走る。警察官たる竜弥は、職場である駐在所へ忍び込む為に。

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