第壱拾漆話:ばくち   一

 来た道を戻る。またDRに跨るのは、抵抗なかった。思い返せば、ときに妙な挙動があるものの、普通のバイクと何ら変わりない。口を利くわけでない。


 ――話せたほうがもっとええけど。

 敵意を持つあやかしは、本当に危険だ。慣れた相手だからと舐めてかかれば、命を失うこともある。

 そうでなければ、竜弥には人間よりもよほど心安い相手だ。嘘を吐いたり、感情や気紛れも持っている。打算もある。

 だが、あやかしたちはとても正直だ。何にかと言えば、己の存在理由に。だからおさんは「探すのを手伝うてくれん?」という頼みを断った。


「どうしてあたしが、食いもしない人間を探さなきゃいけないのさ」


 女の色香で男を惑わし、草陰で喰う。そうしなければ彼女は消滅してしまう。空腹が理由でなく、おさん狐とはそういうものだから。

 それでも「食いもしない」と。竜弥が関わる者は喰わないと決めてくれている。いやそれどころか、竜弥と出逢ってからは悪人しか喰っていない。

 本気で好いたなどと滝の精は冗談を言っていたが、人間と価値観が違うはずの誠意をありがたく思う。


「奥さん、まだ起きとってじゃろうか」


 腕時計は、午後十一時を指そうとしていた。セイコーのダイバーズウォッチ、の模造品は五千円だったが、なかなか正確だ。

 女性だけと知っている家に訪ねて良い時間ではない。しかしそうも言っていられなかった。木場が失踪してから、生存限界と言われる三日目に突入しているのだ。

 道路に面した駐在所の前を素通りし、脇の小道から住居側の入り口へ。本来こちらを玄関と呼ぶべきなのだろうが、半間の扉はいかにも安っぽい。


「寝てしもうたかのう」


 チャイムを鳴らして一、二分待ったが、扉の開く気配はない。

 公衆電話まで移動して起こすことも出来るが、どうするか。その場で悩んでいると、僅かな軋み音を聞いた。


 ――誰か居る。

 灯りも点かぬ扉の向こうで何者かが、息を殺しこちらを窺っている。

 まさか夫の居なくなった隙に妻を狙う暴漢か。とは、荒唐無稽な妄想でなかった。

 駐在所の警察官が居るのか、近所の者には筒抜けだ。日常では親切にしてくれていた近隣の住民に、留守を襲われた例は少なくない。

 しかし。


「若蔵です。夜分にすみません」


 おそらくは、そんな実情も知る夫人がこちらを見ているのだろう。街灯も門灯もないここで、きっと判別つくまいが。

 名を言って、懐中電灯で自分の顔を照らす。怪談をするときのように、不気味に見えたかもしれない。


「若蔵さん――こんな時間にどうしたんです?」


 おそるおそる。十センチほど、扉は開いた。細く若干頼りないドアチェーンは、掛けられたままだ。


「あの、変なことを聞いてしまうんですが」

「変なこと?」


 切り出し方を間違えたかもしれない。夫人の声に警戒はなかったが、扉は閉まるほうへ僅か動く。


「ええと。やっぱり木場さんが心配で、僕のせいじゃと思うし。手がかりがないか探しとるんです」


 動揺させまいと思うと、竜弥のほうがあたふたとした話し方になってしまう。


「昼間も捜してくださったのに。明日もお仕事があるんでしょう?」


 夫人も廣島の人間だが、廣島弁の気配は薄かった。イントネーションだけがそうで、もしも文字に書き起こしたとすれば区別はつくまい。

 それでも夫と話すときには結構な頻度で、語尾を「じゃろ」とか、一人称を「うち」と言っている。

 きっと対外的にきちんとすると、こうなるのだ。その通りだが、部外者だと宣言された気がして寂しく思う。


「いえ明日は公休です。でも、じゃけえってことじゃのうて。早く捜さんといけん思うんです」

「それはありがとうございます」


 一瞬の沈黙があり、夫人は「ちょっと待ってくださいね」と扉を閉めた。

 急にどうしたのか怪訝に思ったが、すぐに屋内の明かりが点く。がちゃがちゃ音がして、チェーンを外した扉も大きく開けられた。


「聞きたいことって何です? 夫を探すヒントになるんなら、何でも聞いてください」


 グレーの長袖トレーナーに、柔らかそうな生地のゆったりとしたズボン。昼間とは違うが、そのまま外に出られる格好だ。

 化粧は落としたようだが、あまり印象が変わらない。アイドルや女優とはまた違ったタイプの綺麗な人だとあらためて感じる。


「ヒントというか。木場さんって、何か好きなことありますか? 三度の飯よりもっていう」

「好きなこと? 趣味とかそういうものですか」


 そうですと頷くと、夫人は首を捻った。「あの人の趣味……」と呟きながら、家の中を振り返ったりして思い出そうとしている。

 我を忘れて熱中するようなことなら、すぐに頭へ浮かぶはずだ。

 どうやら、ばくちが憑いたのではない。もういいと断りを言おうとしたとき、夫人が先に口を開いた。


「すみません、ちょっと思い付かないです」

「そうなんですね、じゃあ――」

「なので、上がって見てみてください。私は素人なので、警察官の若蔵さんに見てもらったほうが」

「ええ?」


 愛妻が知らぬことを、竜弥に気付けるはずがない。歴戦の刑事とかなら違うのかもしれないが、まだ新米も甚だしい。

 だが警察官なら、と夫人が言ったことで断れなくなった。これ以上、信用を落としてはいけない気がした。

 誰の、かを考えてもよく分からなかったけれど。


「どうでしょう?」


 女だけの家に上がって、後で木場に何か言われないか。心配しつつも、狭い框を上がる。

 正面は襖が閉まっていて、娘が寝ているようだ。部屋にあるのも寝具や衣服ばかりで、とても見るべき物はないと。

 二畳分の廊下を突き当たると、台所だ。四人がけのテーブルもあって、一応はダイニングキッチンということになるのか。


「ここもこれっていう物はなさそうですね。奥へ行ってもいいんですか?」


 タイル張りの古そうな流しの横へ、独り暮らしにちょうどいい冷蔵庫。対面にある水屋も、炊飯器とポットだけで手一杯という風情だ。アンティーク家具などには見えず、食器もよく見るような物しかない。


「ええ、開けてください」


 その裏にも、襖がある。水屋に片面を殺された格好で。花の形に切った千代紙で、破れた箇所の補修がされていた。

 深夜でもあり、ゆっくりと遠慮しつつ開ける。素早かろうが結果に変わりはないけれども、心意気の問題だ。


「これは――」


 六畳の和室。娘の為の、遊び部屋なのだろう。さっきまで使っていた様子で、ぬいぐるみがいくつも転がっている。名前の書かれたおもちゃ箱も、部屋の隅に。

 だが、それだけでない。全ての段にガラス戸の付いた、棚があった。

 上から三段は、酒の瓶ばかり。凝った形の洋酒や美しい色合いの焼酎などが、ひしめき合うという雰囲気で。


「お酒が好きなんですね。これだけ集めとってなら、趣味と言っていいんじゃ?」

「趣味というだけならそうですね。でも旅行先なんかで買うだけで、わざわざ集めたりは」


 なるほどたしかに、その程度なら熱中とは呼べない。ばくちの好みは知れないが、とてもその域でなかろう。

 では、と下を見る。残るは二段で、どちらもカメラ関係の物が置かれていた。

 本体が二つ、レンズが三本、他に三脚やバッグ。興味のない竜弥でも、必要だと思い付く物ばかりだ。


「よく撮ってんです?」

「うぅん。やっぱり旅行に行ったときとか、綺麗に撮ってくれますよ。でも休みのたびにカメラを持ち出すとかじゃないです」

「じゃあ基本的に投げっぱなしなんです?」

「そうですね」


 その程度なら、やはりお眼鏡には適うまい。となると、ばくちに憑かれたのが理由ではなくなってしまう。


 ――ならどうして、木場さんは居らんようになったんじゃ。

 何か手がかりがないか。失礼を申しわけないと思いながら、部屋の中を見回す。すると棚の上に、平たい何かが重ねられているのに気付いた。


「奥さん、あれは何です?」

「うちの人が昔撮った写真ですね。気に入ったのか、パネルにしてあったんです。見てもらっていいですよ」


 手を伸ばし、B四サイズくらいのパネルを取る。薄いのに木枠がしっかりしていて、意外と重かった。


「あれ、これって……」


 見覚えのある写真。いや写真そのものでなく、写った中身を竜弥は知っている。

 それは父方の実家、尾朝の神社で行われる神楽舞の写真だった。

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