第壱拾肆話:ひかげ   二

 昨日の捜索は大きく分けて、あちこち分け入って捜す者と聞き込みをする者とに分かれた。

 前者の単独行動は危険なので、複数人で組むことになる。だから今日は聞き込みをする側にしてもらおうと思った。


 ――でもこの分じゃと、変に思われるだけかもしれん。

 巡査部長の人となりは、それなりに知っている。頼めば否とは言うまい。しかしどうしてそうしたいか問うだろう。場合によっては、あやかしが見えること。交流があることを言っても良いとまで考えていた。

 だが、やめた。


「若蔵くんは昨日、捜索のほうじゃったんか。ほしたら今日は聞き込みに行ってえや。あんたなら、違う話があるかもしれんけえ」

「は、はい。やってみます」


 同じ警察官と言っても全く知らない者が聞くのと、顔と名をよく知っている者とでは結果が異なることはある。警察に対する感情を考慮せぬとしても、やはり見知らぬ相手という緊張感の有無は大きい。

 だから受け持ちの駐在所管内では、基本的に交通取り締まりなどはしない。

 ただしこの土地へ住み込むでない竜弥は、他の先輩たちとそこまで変わらないと自覚していた。


 ――ただの可能性の話じゃ。

 要素がゼロよりはいい。そういうことだと理解しつつも、任されたと思うと気分が上がる。

 ともあれ単独行動の自由は確保した。竜弥は黒バイに跨り、早速聞き込みに出発する。


「あやかしに聞くのも、聞き込みには違いないじゃろ」


 秘策というより、どうしてもっと早く思いつかなかったか秘めておきたい策だ。だがきっと何か分かる。根拠のない期待に胸を踊らせた。

 しかし。


「……誰も居らん」


 使われていない農具小屋の案山子。住人の居なくなった廃屋に住む鏡。長年、山を見守り続ける猪。

 そういう人間の動きをよく見ている者を手始めに、つむじ風や化けモグラのような気ままな者の棲み処も当たった。

 果ては普段居ない猿猴えんこうの別荘までも。だのに、誰ひとり会うことが出来ない。


「シイも出てこんのなんか、初めてじゃ」


 遊び相手として好かれている自負のあった彼までも見ないとなると、いよいよ何かが起こっていると考えられる。

 全員が総出で旅行なども、ありはすまい。


 ――あ、でも神無月いうのはあるのう。

 神さまがこぞって動くなら、あやかしにもそういう行事があるのだろうか。考えても、知らぬことの結論は出ないが。


「馳大さん、見とるなら助けてえや――」


 いよいよ打つ手がない。天を仰ぎ、呟く。

 だが馳大も彩芽も助けてくれないと分かっている。あの二人は竜弥がはっきりと助けを求めなければ手を貸してくれない。

 例外はあやかし絡みと、命に関わるときだけ。今はあやかしに関してだが、竜弥に害がないので姿を見せないはずだ。


 ――あとは、ちょっと危ない奴らだけじゃ。

 出逢ったあやかしの全てと友好関係を結べてはいない。

 素性を知る術など持たないが、妖気とでもいうのか。危険な者には独特の空気が纏わりついている。そんな相手には近付かないようしていた。

 手がかりがないのだから、危険もやむなし。そう考え始めたところで、おさんを思い出した。


「気まぐれに、帰ってきてくれとらんじゃろうか」


 彼女も危険なあやかしの一人だった。しかも妖気を隠すタイプの。けれども竜弥には、最初から気安かった。


 ――いや、違うか。喰われそうになったんじゃった。でも急に、態度が変わったんじゃ。

 危険なあやかし、と知っている理由はそれだ。であるのに最初から気安かったと、好ましく思う相手の記憶を都合良く変えてしまう癖がある。


 ――伯父さんやら先輩やらを無責任に悪く言えんのう。

 冷たく自嘲して、お稲荷さんへ向かう。空が、ぐずり始めていた。


「おさん?」


 薄暗くなった境内をすり抜け、ほら穴に声をかける。やはり姿はなく、もちろん返事もない。

 本当にどこかへ行ってしまったのだなと寂しく思う。また誰かが棲みつきでもしない限り、もう訪れることはあるまい。

 最後にもう一度、ほら穴の中をじっくり覗いた。


「んん?」


 不自然に寄せ集められた落ち葉。それ自体は先回来たときにもあって、おさんの寝床だ。

 しかし写真に残してもいないが、明らかに分厚くなっている。


 ――戻ってきたんか?

 もう他の者が居着いただけかもしれない。分からないが、それなら分かるまで何度も来れば良い。

 本来与えられた役目である人間への聞き込みもこなしつつ。三度、訪れたにも関わらず会えなかった。

 もう日が暮れる。顔を合わせたくなくとも、一日の報告をしに戻らねばならない。


「じゃあ今日もお疲れさん。明日も来てくれるもんが居るんかな? ゆっくり休んでえや」


 労う巡査部長は、これから派出所へ戻って明日の朝までの当番勤務だ。年齢を考えると、気の毒に思う。

 その後ろで、木場の妻が深く頭を下げていた。昨日は瞬く間に解散したので見送れず、今日は待っていたらしい。


 ――どういう気持ちで居ってんじゃろう。

 自分の夫がどこに居るのか、食う物を食い眠れてさえいるのか分からぬ状況。

 その同僚たちは、日が暮れる前に安全安心な我が家へ帰っていく。個人の生命、身体及び財産の保護を使命とするはずの警察官が。


「若蔵さんも、気を付けて」

「あ、ありがとうございます」


 駐在所の執務室と居住部を分ける貧相な扉が、軽薄な音で閉じられた。内鍵を締めるボタンが、カチリ。できる限り静かにと気を使った風で押された。

 人の居なくなった天井で、翳り始めている蛍光灯がキンと鳴る。外は夕闇が半分もかかって、巣に帰るカラスの声が遠く響く。


 ――だめじゃ、早く見つけんと。

 遭難者の生存率は、三日を境にがくんと下がるという。今日、二日目が終わろうとしている。

 居ても立ってもいられない。竜弥は黒バイを走らせ、苛部警察署へと急いだ。


「こんなもん着とっても、何の役にも立たん」


 窮屈な制服を脱ぎたかった。それには、拳銃を保管庫へ返さねばならない。黒バイも署の備品だ、鍵を返す。

 官舎に戻ると駐輪場から、中古のスズキDR二百五十を引っ張り出した。愛車と言いたいが、乗り回すほどの暇を作れていない。

 毎朝エンジンをかけてやるだけだが、機嫌を損ねていまいか。おそるおそるペダルを出し、直立の状態から踏み込む。


「頼むで!」


 バフン、バフバフ――。咳き込み気味の回転音から、フォーストロークのリズミカルな息継ぎが始まった。


 ――急かせて悪いんじゃが。

 一分ほどのアイドリングで、アクセルを回した。官舎を出て、国道から県道へ。目指すは豊山町。

 明日は公休日。今から明後日の朝までは、全くの自由に動ける。私事外出の報告はしていないが、先輩たちもよくやっていることだ。


「お前なら、どこでも走れるけえの」


 デコボコとしたタイヤのオフロードバイク。白いガソリンタンクを撫で、話しかけた。

 俗に言う付喪神も、あやかしのうち。自分のバイクがそうなればいいなと願っている。


 フォーーン!

 急なアクセル操作や、クラッチに触れてはいない。それなのにマフラーから、高いエンジン音が聞こえた。

 竜弥はいつもより少しだけ、速度を超過ぎみに走らせた。

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