第壱拾参話:ひかげ   一

 警察官が物を失くすと、大変な騒動になる。

 制服、階級章、帯革、警棒、手錠、無線機、警察手帳、拳銃。制服警官が身に着けている物は全て、厳重保管対象の貴重品だ。

 これらが紛失したとなると、失くした当人はもちろん。所属する警察署の人員が総出で捜すこととなる。特に無線機、手帳、拳銃に至っては、縣警総掛かりと言っても過言でない。

 竜弥はまだ経験していないが、過去にはいくらもあったと聞いている。


 ――人が居らんようになったいうのに、こんなんか。

 木場の失踪が判明して七時間。豊山駐在所に集まったのは、苛部警察署の警邏課からおよそ十五人だった。内訳は今日の勤務員の中で五人。公休を日勤に振り替えて出勤したのが五人。

 残りの五、六人ほどは非番であるのに、木場の為ならと自主的に駐在所へやってきた。つまり確実に集めたのは、たった十人。他の課からの応援は一人もない。

 昨日の今日どころか、今日の今日だ。仕方がないのかもしれないが。


「あのう、大したものないんですけど。皆さんで食べてください」


 ちょうど周辺の捜索を一巡して、全員が戻ってきたところだった。奥から木場の妻が顔を出し、手には大きなお盆がある。泣きはらした顔にまだ赤みは目立つが、どうにか落ち着いたらしい。


「こりゃあすんません。みんな、奥さんが握り飯を作ってくれちゃったで。いただこうやぁ」


 ざっと五十個。足下には大きなヤカンもあって、後ろの娘が重ねた紙コップを抱えていた。

 所長の声で捜索員たちは喜色を示し、わらわらと集まった。狭い執務室には収まらないので、受け取った者から外に出て頬張る。


「奥さん。ここで待っとくのもつらいんじゃあないです? 連絡先だけ教えてもらえりゃあ、ご実家とかへ戻ってもらっとってええんですよ。旦那さんは儂らが絶対に見つけ出しますけえ」


 自分も一つ手に取って、所長は木場の妻に言った。

 あくまでここは警察の施設であって、木場一家の本当の家ではない。近所の人々は優しいが、それが却ってつらいのはあるだろう。

 含むところを察し、竜弥は感心する。警部補とか派出所長とか、幹部の肩書きは伊達でないと。同じ歳、同じ階級にいつか成ったとして、同じようなことを言えるか自信がなかった。


「いえ、ここに居らせてください」


 作ってくれた人を目の前に、食わないのも失敬だろう。そう思って竜弥も握り飯を取る。自分のせいだと思い詰めて、食欲は全くなかったが。

 その耳へまた、重々しい覚悟を伴った声が聞こえた。


「私、主人の仕事のこと何も分からなくて。手伝いも何も出来てません。でもせめて、帰ったら沸かしたてのお風呂に入れて、すぐに冷たいビールが飲めて、おつまみに冷ややっこくらい食べられる。私はあの人に、いつでもそのくらいの用意はしてあげたいんです」

「はあ、そうですか……」


 健気とは、こういう人を言うのだろう。竜弥の胸に、ずしりと重石が加わった。

 対して所長の返答は、どこか空々しい。どうしたことか見当を付ける前に、言葉が続けられる。


「いやもう見上げたもんですなあ。うちのカミさんに聞かせたあですわ」


 なるほどそこまで深く想っているかと、驚いていたのか。木場の妻は褒められたことに照れ、「そんなことは」と引っ込んだ。


 ――どんなことをしても、捜さなきゃ。

 人家から離れた農具小屋に森や林、大小の川や用水路。人の入れる場所は限りなく存在した。

 時計は午後五時を回ろうとしている。ここからは照明や無線などを十分に確保しなければ、捜す側も危険だ。本署にはそういう備品もあるはずだが、もう手配されているのか。

 疲労はあったが、まだまだ動ける。意気込む竜弥は、所長からの指示を待った。


「ほしたらそろそろ、今日は終いにしょうか」

「えっ?」


 まさか捜索を打ち切って帰る、と。そう言ったのか。耳を疑い、思わず声を上げてしまった。

 だが先達の面々は当然とばかり、帰り支度を始める。中にはもう準備万端で、「お先に」と背を向けた者さえ。


「あの、もう終わりですか」

「おお、もう帰ってええで」

「打ち切りですか?」

「いや明日も来るで。夜は危ないじゃろ?」


 何を当たり前のことを聞いているのか。所長の顔には、そう書いてあった。


「明日は明日で動けるもんが来る。他の仕事をせんでええとはならんけえ、それ以上はやりようがないじゃろ」

「でも、夜の間に木場さんが――」

「あんたがやりたいんなら、残ってもええで? じゃけえ言うて、明日が休みにはならんけどの」


 勤務表で指示された竜弥の公休日は明後日だ。明日は今日と同じく日勤になっている。

 しかしそんなことを言っているのでない。休みを返上してでも捜すものではないのか、と。ほんの数分前、木場の妻に言っていたではないか。


「まあ、好きにしんさい」


 所長は自身の荷物を持ち、既にエンジンのかかったミニパトへ向かおうとした。が、「ああ、そうじゃった」と振り向く。


「若蔵くん。今朝のアレ、どうした?」

「今朝の?」

「木場くんに返してくれいうて、頼んだじゃろ」


 こんなときにどうしたのか、所長は周囲を憚るように声を潜めて問う。


「あれならまだ、僕のリュックにありますけど」

「ほうか。そしたら返してくれんか」

「ええ?」

「いやの、木場くんが居らんのじゃったら返せんけえ。まだ儂が預かっとこう思うて」


 それほど重要な物なら竜弥に預けもしまいが、よく分からない。とはいえ渡せというものを、断る理由もない。自分用の事務机にしまっていたリュックから、菓子袋を取り出す。


「あ、でも奥さんに渡せばいいんじゃないです?」


 早くに返したほうがいいとも言っていたのを思い出した。それなら木場の妻に渡せばいい。実家に帰るとでも言うならだが、駐在所へ残るのだから。


「あんたも鈍いのう。こりゃあ奥さんに見せたらいけんもんよ」

「奥さんに――どういうことです?」

「分からんかいの。裏よ、裏」


 ひときわ声を小さく、所長は菓子袋を丸めるようにして自身の鞄に突っ込んだ。


 ――裏?

 真実に辿り着けず、しばらく考えた。ミニパトも他の同僚たちも去って、ようやく悟る。


 ――裏って、そういう?

 木場の一大事に、よくもそんな気が回るものだ。警察官も人間で、少しはみ出すのを悪とまでは言わない。

 だがそれを、いま言うのか。


 どういう心境で出た言葉か理解できぬまま、一夜が過ぎた。

 あれこれ考えたが竜弥も官舎に戻って休み、また普通に出勤した。今日見つかれば良いが、そうでなければ明日も探すつもりだ。

 ならば徹夜などしては、すぐに動けなくなる。


 ――よう笑うとれるもんじゃ。

 きっと木場の妻は泣き明かしただろう。そもそもの原因を問うなら、竜弥のせいだ。

 それにしたところで、自分の部下が行方不明なのに。本署で見た所長の血色の良さに、悪寒さえ覚えそうになった。

 不満めいたことを言った割りに帰ったのかと言われる気もして、顔を背ける。


「今日、探し出そうで!」


 駐在所へ集まった中に、所長は居なかった。任されている派出所は、他の駐在所を纏める役割がある。それを連日、放るわけにはいかない。

 代わりに指揮を任されたのは、同じ派出所の巡査部長。定年まで僅かで、所長も敬語で話す人だ。


 ――部長さんは、ちゃんとやってくれそうじゃ。

 捜索の割り振りをする声に力がこもっていて、期待ができた。最も若輩の竜弥が言っては、生意気なことこの上ないけれども。


「あの、部長」


 昨夜、ただ安穏と休んでいたわけでない。一つ、秘策を思い付いていた。それをやらせてもらうべく、声をかける。

 しかし他の先輩警察官に割って入られた。


「部長、休憩場所とかはあるんです?」

「それがのう、ないんよ。便所だけは、駐在のを使わせてもらえるんじゃが」


 そうだ、駐在所の便所は居住側にある。それを使っていいと言ってくれただけでも、木場の妻に感謝すべきだ。

 巡査部長の申しわけなさそうな態度を、竜弥はそう弁護した。


「所長が実家に帰れぇ言うたそうなんじゃが、帰らんいうて。どっか行ってくれりゃあ、流しでも冷蔵庫でも使えたんじゃけどの。すまんのう」

「そりゃあ、つまらんことですねえ。まあ、しょうがないですわ」


 木場の妻が居なければ、流しや冷蔵庫を好きに使える。しかも夫が行方不明の妻を捕まえて、どこかに行ってくれれば。

 二人の会話を、どう受け止めれば良いか竜弥には分からない。


 ――つまらんこと?

 自分たちの都合良くならない者を、そんな風に言う人種には覚えがあった。

 木場への罪悪感と絶対に捜し出すという熱い気持ちに、氷の楔を打ち込まれた。そんな想いで、しばし呆然とする。

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