第捌話:かくげん  四

 国道四百三十三号線を北東へ十数キロ。そこに尾朝おあさという町がある。廣島市内からは豊山町よりも遠いが、旧街道沿いで昔は栄えていた。竜弥からすると、父方の実家がある町だ。

 父の父。即ち竜弥の祖父は早くに亡くなり、顔も覚えていない。三年前までは祖母が一人で住んでいて、正月や盆には親戚一同が集った。父は末っ子なので兄や姉、その子どもたちが。


「タッくんは小さいけえ、バアちゃんと残っときんさい」


 伯父、伯母、いとこ。誰もが竜弥を、タッくんと呼んだ。呼び方も含め、何に不満を感じてもいなかった。

 けれども今から思うと、邪魔者扱いされていたのかもしれない。夏、いとこたちが揃って川へ泳ぎに行くとき。冬、近くの丘でソリに乗るとき。必ず置いていかれた。

 仕方がないとは分かる。末っ子の子であるから、一同で最も幼い。最も年の近い従兄で、四つも上だった。


「タッくんは邪魔ばっかりするねえ。かくげんさんに、見張っといてもらおうてえ」


 邪魔をしているつもりはなかった。だが台所で母に着いて回る姿が、鬱陶しかったのだろう。二番目の伯母に、いつも離れへと連れられた。

 一階が物置きになっている二階。大小二つの部屋があって、大きなほうは子どもたちの遊び部屋だった。小さなほうは高価な置き物や、掛け軸などが保管してある。

 いつ見ても同じように片付いて、壁の向こうから年長たちの楽しげな声が聞こえる。隔離された場所という空気が濃い。


 ――かくげんさんが、今日も居る。

 目立つ位置に掛けっぱなしの。いわゆる鬼に似た姿で、全身が青黒い。長く伸びた白髪は振り乱され、ところどころ赤いのは血だと聞いた。足下に人間を踏みつけ、棍棒のような指で頭まで押さえつける。

 日本画でも、幽霊画の範疇だ。地獄だか戦場だか暗く荒涼とした場所に、おどろおどろしい筆致で描かれていた。幼い竜弥にはしばらく、何よりも怖い存在となった。


「かくげんさんは、嘘を吐いたり人の邪魔をする人間が嫌いなんよ。おとなしうしとかんと、タッくんも喰われてしまうけえね」


 ご丁寧にそんな脅し文句まで加えられては、恐怖に泣き叫ぶことさえできない。いい子にしているから置いていかないでと、願う言葉も封殺された。

 この扱いを、父も母も止めない。後に聞くと華族とも交流のある分限者の家で、家族と言えど上下関係が絶対だったとか。

 戦後の財閥解体やらの煽りで、財産のほとんどを失ったそうだけれども。


 ――本を読むなら、ええ子じゃろ。

 恨むべき仕打ちだったのかもしれない。しかし竜弥は、その部屋にあった本に目を付ける。

 広辞苑や、数万円以上もする百科事典、いかにも難解な歴史書、詩集、文学書。親戚たちの誰も触れない書籍群が収められていた。

 最初に閉じ込められたのは、四歳のとき。普通は記憶にない年ごろだが、かくげんさんが強烈すぎて覚えている。そんな子どもに難しすぎる内容でも、他にどうすることもできない。

 読める漢字とひらがなを拾い、その意味は広辞苑に書かれていると分かった。似た漢字は似た読みを持つことが多いと、応用も知った。


「僕は、かくげんさんのところに居るけえ」

「タッくんは、よう分かっとるね」


 いつしか自分から閉じこもるようになった竜弥を、伯父も伯母も満足げに見送る。身分が下の者は、上の者の意図を察し指示を守るのが当然と考えていたのだ。その辺りの心情が理解できたのは、警察官になってから。


 ――時代も違うし、落ちぶれとるのに。現実を受け止められんのじゃ。かわいそうに。

 今ではそうも思うが、これもまた生意気で思い上がった気持ちだと自戒している。

 ともあれ学校の科目で言う、国語や社会に類する学力が飛躍的に向上した。単なる読書に留まらず、解読とも呼ぶべき作業のおかげだ。


「かくげんさん、また来たけえ。元気じゃった?」


 件の掛け軸が、どうして掛けっぱなしにしてあったのか。それも価値が低くて、他の品々を隠す為と分かった。生涯売れることのなかった、土地の絵描きの手に依るとも。

 七歳か八歳くらいまではびくびくしていた姿にも慣れ、むしろリアリティがないなどと感じ始める。

 その絵が竜弥を喰らうという話も、脅しに過ぎないと分かった。

 掛け軸に描かれた、かくげん。それがあやかしとして見えるようになったのも、やはりそのころだ。


「かなり動けるようになったんじゃねえ」


 最初は眼が、まばたきをするだけだった。次に口が開いて閉じて、竜弥が十二のころ頭を左右へ振れるように。

 他の誰かが来ると、ただの画に戻ってしまう。意思を交わし、存在を秘密として共有した。あやかしの友人は、かくげんさんが初めてだったかもしれない。


「今晩は神楽舞を見に行くんじゃ」


 伯父も伯母も文化的な催しへの興味、嗜好は薄かったように思う。それこそテレビで放映される映画でさえ、「つまらん」と見なかった。


「僕はかくげんさんのおかげで、古典も分かるけえ。面白いんよ」


 毎度集まって何をするのかは、ひと言で表せる。酒を飲みながらの、おしゃべりだ。

 そんな彼らが近所で行われる神楽奉納だけは、なぜだか欠かさず見に行った。

 推測だが地元の上流階級だったころに、招待の扱いだったのだろう。だから今も、出来栄えを検めるような心持ちでいるのかもしれない。


 ――お話もええけど、音楽も何ともええ感じじゃ。

 演舞の始まる一時間前には、笛や太鼓の音が聞こえ始める。舞台は祖母の家から五百メートルほどの神社に常設されていた。

 竜弥の通った小学校にも中学校にも、吹奏楽部があった。毎日のように楽器の音が聞こえたけれども、それとは異なる和楽器の調べ。

 磐戸に篭った神さまも、それは気になって見にくるだろうと感じる心地よさがあった。


「タッくん、足元に気を付けんさい」


 奉納は十月十日と決まっている。父が亡くなってからも毎年とはいかなかったが、母も神楽が好きだと言って見物に行った。

 夜。夕食を終えて、祖母の家から国道の脇を歩く。歩道はなく、土の剥き出した路肩を。その隣は用水路で、就学前の子ならすっぽり嵌ってしまうほど深い。


「大丈夫よ。よう見えとるけえ」


 そんな道路に街灯などありはせず、灯りといえば伯父の手に懐中電灯が一つ。その光が竜弥の行く先を照らしたことはなかったが、星明かりで十分だった。

 曇ってしまえば自分の手も見えないほどの闇となるけれど、神楽舞を見に行った日は不思議と必ず晴れる。


銅拍子どびょうしが鳴っとるよ、はようはよう」

「最初は演奏だけじゃけえ、大丈夫よね」


 神社は小高い丘の上にある。その手前で国道も登りになった。丘を登る入り口は砂利が撒かれ、車を停めるのに使われた。

 軽トラばかりが並ぶ合間を縫うと、斜面のきわに一本の木が生えている。背丈は母の二倍ほど。三メートルくらいか。


「枇杷の木よ。実が生ったら、甘くておいしいんよ」


 神楽を見に来るときには、必ず会いに行った。どうしてそうするようになったか、自分では覚えていない。

 母の言った「甘くておいしい」を信じたからとは思う。しかし一度も、その木が実を付けることはなかった。母とてスーパーなどで売っている物の話をしただけで、生っているのを見たわけでないらしい。

 時期が五月か六月ころというのを調べて、何度か行ったことがある。行けなければ祖母に頼みもした。


「いつか生るとええね。楽しみにしとるよ」


 食べたいというのでなく、実が付いている様を見たかったのだ。だから心からの期待をこめて、楽しみだと告げる。

 いくつになっても最年少のまま。伯父に伯母、いとこたちに言われたことは絶対服従。そういう自分と重ね合わせ、無理をすることはないと。


「また会いに来るけえ」


 きちんと別れを言って、神楽舞を見る。そうしなければ落ち着かなかったし、その後一年は何とも好調な気がした。


 ――今年はまた、見に行ってみようかのう。

 祖母が亡くなったこともあり、高校二年のときが最後だ。

 自身の性格を思い出しただけのつもりが、神楽舞と枇杷の木を懐かしむこととなった。

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