第47話 兄貴とさよならの日

 誰も彼も、忙しい毎日の中で忘れ去る。唯一無二とは名ばかりで、数年も過ぎれば思い出にもならず、過去の遺物は顧みられる事すら無い。それは一つの証明になる。


 世の中に、代わりが利かないものは無い。

 

 それでも、そこには意志があった。敢えて茨の道を進む者達と、導く者の戦いがあった。


 ☆ ☆ ☆


 イベントから一ヶ月が過ぎた吉日に、商店街の面々はMGHOの本社に呼び出された。

 忠勝の不在により、最近の会合はMGHOの会議室を利用していた。故に、少しは慣れたつもりだった。しかし、足を踏み入れる度に尻込みをする。


 機能的なビル、従業員の立ち居振る舞い、そして挨拶。どれをとっても、自分達とは全く違う。同じ人間、年若い経営者、なのに見ている物が異なる様に感じる。

 それは、個人と企業の違いなのか、それとも理念の違いなのか。少なくとも資金力の差だけなら、ここまで圧倒はされまい。


 ただ、それ以前に違和感が有った。

 集められた目的を聞いていない。集合時間が午後十時、店主は家族を同伴させる、告げられたのはこの二つだけ。


 閉店時間が異なる為、集まって向かう事は無い。時間に遅れない様、各々が本社ビルへ向かう。

 肉屋の主人が妻と共にビルを訪れたのは、午後九時半を少し回った頃だった。そして、MGHOの社員に案内されたのは、会議室では無かった。

 不可思議に感じた肉屋の主人は、社員に問いかける。


「あのさ。こっちは会議室じゃ無いよな?」

「はい。本日は別室にご案内致します」

「もう一つ良いか? もしかして、来るのが早すぎたか?」

「いえ。三番目でいらっしゃいます」

「あの、もう一つ」

「あんた。その位にしておけば?」

「お気遣い、ありがとうございます」


 タネを暴く様な無粋をして欲しく無い。肉屋の奥さんが口を挟んだのは、そんな空気を感じたから。

 機微を感じず、肉屋の主人は少し悶々とする。しかし、目的の部屋が見えた瞬間に、それ等の感情は消し飛んだ。


「久しぶりっすね、おっちゃん」

「た、たけし! おい、たけし! 何だよ、たけし!」

「そんなに連呼しないでも、愛しのたけしっす」

「そんな事より、今まで何してたんだ?」

「スルーっすか? 取り敢えずおっちゃん達は、奥の方に座るっす」

「はぁ?」

「じじばば順っす」

「年功序列って言え!」

「二名様、ごあんな〜い!」

「おい! 緊張感を返せ!」


 この瞬間、肉屋の主人は驚くよりも、安堵をしていた。

 久方ぶりに見た顔は、相変わらずの笑顔だった。何よりも脳天気な会話が、安らぎを与えてくれる。

 辛い時、この脳天気な子供に、どれだけ救われただろう。この笑顔に、どれだけ励まされただろう。

 思い出せば涙腺が緩む。しかし、そんな感傷は一瞬に過ぎなかった。


 たけしが扉を開ける。すると、広い座敷が目に飛び込んで来る。そこにはMGHOの幹部達、続いて宗岡と栗原が並ぶ。そして最奥には、忠勝の姿があった。

 

「気が早いのか? それとも、せっかちなのか?」

「何であんちゃんが? って、たけしが居るんだし」

「たけしと俺をセットにすんな!」

「いや、でもよ」

「お前達は、先代達の次に座れ!」

「待て待て、何かの席なら着替えて来るぞ!」

「余計な気遣いは要らねぇよ。早く座れ!」


 一人、また一人と到着する度に、同じ様な反応をした。

 それも仕方無い。一ヶ月も姿を消していたと思えば、突然に現れた。また、黒のスーツに白のワイシャツとくれば、別の何かに見えて来る。


 幹部達は無言で時間を待つ、宗岡でさえ真剣な表情をしている。その脇で、栗原が緊張した面持ちになっている。

 恐らく事情を聞いても、答えてはくれないだろう。緊張感が漂う中、口を開くのも憚られる。

 たけしの朗らかな声だけが、ほんの少し皆の緊張を和らげていた。


「店長と守島さんが最後っす。じいちゃん達は、もうおネムっす」

「誰がじいちゃんだ、馬鹿者! 先代方に失礼だろ!」

「うぉう。一番のじいちゃんが、怒ったっす!」

「堀ぃ、そこまでにしろ! たけし、お前は栗原の隣に座れ!」

「え〜、嫌っす。兄貴みたいに、お誕生日席が」

「たけし! てめぇ、ボスのお言葉に従えないのか!」

「姉さんは相変わらず、洒落がわからないっすね」

 

 忠勝を中心にして、左手に商店街の面々が並び、右手にMGHOの幹部達が並ぶ。そして入り口付近に、たけしが腰を下ろした。

 忠勝は、ゆっくりと全体を見渡し、静かに口を開く。


「どいつもこいつも、随分とマシになったな。ちっと前は、貧乏臭ぇ面してたのにな」

「何が言いたいんだよ、あんちゃん」

「恐縮ですが、ボスのお言葉を遮らないで下さい」

「良いんだ源吾。こいつ等は、端からこんな感じだ」

「そう言えばボスは、皆さんと地上げ交渉をなさったとか」

「あぁ。こいつ等は、俺に意地を通したんだ。言う事を聞いてりゃ、楽が出来たのにな」

「開発計画を白紙にさせてまで、ご助力なさったと」

「そんな上等なもんじゃねぇよ」


 商店街の面々が邁進する裏で、忠勝は多くの苦労を背負って来た。それを少しでも知って欲しい。故に源吾は、彼らの知らない事情を口にした。


 だが、忠勝の想いはもっとシンプルだ。

 自分を利用して旨味だけ攫う連中より、自分に牙を剥いてまで意地を通す連中と仕事がしたい、それだけだ。

 だからこそ、その言葉には重みが有った。


「お前等、この現状を想像出来たか? 行列が出来て、通りにも人が溢れる光景だ」


 いつからだろう、叶わない理想に手が届くと思い始めたのは。いつからだろう、逃げようと思わなくなったのは。

 挑む心、戦う魂を見せてくれた。だから出来ると思った。


「頑張ったな」


 その一言は、皆の涙を誘う。その柔らかな笑顔は、どんな称賛よりも心に染み渡る。


「俺の役目はここまでだ。栗原、来い!」


 その言葉で、商店街の面々は全てを理解した。

 巣立ちの時が来た。この偉大な男に、守られるだけの時間は終わった。

 

 そして栗原は立ち上がると、おずおずとした様子で進むと、忠勝の目の前に座る。そんな栗原を少し見つめた後、忠勝は深々と頭を下げた。


「お止め下さい、ボス!」

「栗原、俺はお前を買ってる。だから、お前に頼みたい。馬鹿共の面倒を、これからも見てやってくれ。頼む!」

「仰せのままに」

「ありがとう」


 これは契約という、紙切れ上の約束では無い。意志を引き継ぐ魂の儀式。それは、盃の交換で締め括られる。

 頭を上げた忠勝の前に、たけしが盃台を置く。そして、宗岡が盃に日本酒を注ぐ。


「いいか、俺達は渡世人じゃねぇ。こんな儀式に意味はねぇ。だけど俺にはお前が必要だ。栗原、俺の子になってくれ」


 言葉通り渡世人では無い。その行為は真似事に近く、儀式的な意味合いを持たない。しかし込められた想いは、決して軽く無い。

 当の栗原は、慌ててMGHOの幹部に視線を送る。幹部を差し置いて、自分がそんな名誉を貰う訳にはいかない。

 その栗原の視線に応え、源吾が静かに口を開く。


「栗原。お前さえ構わなければ、盃を受け取れ。難しく考えなくて良い。所謂、引き抜き交渉ってやつだ」

「社長の仰る通り。お前の引き抜きに関しては、役員全員が了承している。後はお前の気持ち次第だ」

「ほんと、兄さん方は甘いっすね。反対してくれて良いんすよ。商店街が一段落したら、手元に呼び寄せるつもりなんす。姉さんて呼ばせるのは、百年早いっす」

「この場合、ツンは無しだよ。たけし君」

「京ちゃん。良かったね」

「そうだな。姉ちゃんは頼りになるしな」

「政、甘えるだけじゃ駄目だ!」

「どちらにしても、僕等の新たなスタートだよ」


 寂しさを紛らわせる様に、銘々が言葉を紡いでいく。お祝いムードに変えようとする。


 わかってる、旅立つのだ。もう商店街で、忠勝とたけしを見る事が無いのだ。でも、栗原という繋がりが残れば、いずれ再会出来る。

 だから別れでは無い、そう自分に言い聞かせる。涙を堪えて。


「昇太の言う通りだ。お前等は、目を離すと直ぐにサボりやがる。暫くは目付役が必要だ」

「ボス……」

「栗原、受けてくれるか?」

「はい。喜んで!」


 忠勝が盃に口を付け、その後に栗原が口を付ける。こうして名実共に、栗原が意志を継ぎ、忠勝の名代となる。

 それからは、忠勝とたけしを囲み、宴会が始まった。それは、夜が更けるまで続いた。


 ☆ ☆ ☆


「もう、行っちまったのか?」

「そうみたいですね」

「所でよ。あんちゃんのビルは、どうすんだ?」

「僕が、家具込みで譲り受けました」

「軽く言うけど、幾らでだよ!」

「政。そんな事、聞くなよ」

「僕はこれでも忙しくて。出来たら、皆さんに使って貰えると助かります」

「それは何か? 掃除や管理込みって事か?」

「そうなりますね。それと商店街に店舗が増えたら、組合にお譲りしますよ」

「そしたら、あんちゃん達は何処にどう住むんだ?」

「そんなの、僕が全部手配済みですよ」

「宗岡さん。あんた、意外とやるな」


 明け方には、忠勝とたけしは旅立っていた。車内には荷物が無く、二人と一匹の犬が乗っているだけ。

 真っさらのスタートなら、それで良い。


 高速を降りて市街地を抜けると、山道に差し掛かる。長くうねった山道を抜けると、開けた光景が広がる。

 そこは都会と異なり、緑に囲まれた場所。広い畑と豊かに実った作物が、目を喜ばせる。


 自然の豊かさ。その代償が、朽ちた建物群と人気の無さかもしれない。

 

「兄貴、サバイバルっすか?」

「馬鹿、畑が有るだろ? この作物は誰が育てたと思うんだ?」

「それは、遠くにちっこく見える、じいちゃんっすか?」

「あの人だけで、出来ると思うのか?」

「じゃあ神様?」

「まぁ、似た様なもんだ」


 所々がひび割れ、ガタついた道路を進み、車は古めかしいビルの前で停まる。

 忠勝はたけしを連れて、ビルの入り口を潜った。入り口近くの扉を開くと、受け付けカウンターが見える。その向こうには、二人の男が座っていた。


 一人は忠勝より少し歳上、もう一人は外国人だろうか。日本人の男は忠勝達を見ると、爽やかな笑顔で声をかけた。

 

「よう、久しぶり。忠勝」

「ここは良い所だな、あんたも元気そうだ」

「たけしは、相変わらず能天気か?」

「それはないすっよ、宮川の兄さん」

「その呼び方はって、まあ良いか。所でお前達、畑は見たか?」

「あぁ、上々だ」

「ほら見ろ、言わんこっちゃない。この村と契約してくれれば良かったのに」

「仕方無いっす。大企業が関わってるだけで、胡散臭いっす」

「馬鹿野郎! 敏和は、珍しく善良な奴だ!」

「それより、そちらの兄さんは、どちらさんっすか?」

「たけし。この人は、本物の修羅場を潜ってるぞ」

「でも、兄貴とは少し違う感じっすね」

「悪いなお前ら、こいつは俺の弟だ」

「はじめまして、私はクミルです。信川村へようこそ」

「この人が例の? いろいろ納得っす」

「そう言う事か。たけし、失礼な事はすんなよ!」

「わかってるっす」

「忠勝、たけし。よろしく頼むな」

「あぁ。どこまで役に立てるか、わからねぇけどな」

「開発計画の始まりっすね」

「皆さん。よろしく、おねがいします」


 かつて姥捨山と呼ばれた場所で、数多の伝説を刻んだ場所で、忠勝とたけしの新しい挑戦が始まる。

 その軌跡を辿るのは、また別の話し。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

兄貴とたけし 東郷 珠 @tama69

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ