第43話 兄貴と美女と雑誌の取材
今回、初めて店舗を構えるという事ですが、何かコンセプトはございますか?
はい。野菜の美味しさを、再確認して頂きたいと考えています。
野菜の美味しさですか?
野菜が嫌いな方でも、本物を味わって頂ければ、認識は変わると思います。
それは、新鮮な野菜だから?
そのまま食べて美味しい、サラダにして美味しいのは、新鮮な証です。しかし野菜の味は、調理の仕方次第で様々な表情を見せてくれます。
だから、軽食コーナーも設けたんですね?
はい。軽食コーナーでお出しする料理は、私の考案したレシピで調理しています。満足頂けると自負しております。
因みに、そのレシピを教えて頂く事は?
定期的に開いている、料理教室でレシピをお伝えしています。是非そちらにも、足を運んで頂けると嬉しいです。
☆ ☆ ☆
倉川は女子会以降、一階の事務所ではなく、二階のリビングに通される様になった。それは、忠勝の中で倉川の存在が、仕事の関係者から仲間に変わった事を意味している。
この日、目の回る忙しさの中、倉川は一冊の雑誌を片手に、忠勝のビルを訪れた。
入口を抜けて階段を登り、倉川はリビングのドアを開ける。中では、忠勝とたけしが、談笑している。そして、テーブルの上には、とある雑誌が置かれているのが見えた。
はっとした倉川は、急いでテーブルに近づき、雑誌を覗き込む様にして見る。開かれたページには、倉川の写真とインタビュー記事が載っている。
それは正しく、倉川の手に有る雑誌と同じ物であった。
「せっかく持って来たのに、買っちゃったんですか?」
「いいから座れ」
「はい。って、たけし君! 本人が居るのに、熟読する?」
「兄貴。ソム姉さんって、相変わらずかっこいいっすね」
「写真も、よく撮れてるだろ?」
「綺麗っすね。切り取って、額に飾ると良いっす」
「宗岡に言えば、等身大のやつをくれるぞ」
「おぉ! それにサインして貰って、オークションやらないっすか?」
「たけしぃ。たまには、良いこと言うじゃねか」
「いや、待ってよ! やらないよ、サイン会とか!」
「サイン会なんて、言ってないっすよ。ソム姉さん位の人気者になると、勘違いしちゃうっすか?」
「たけし君、意地悪だね」
「これ以上、倉川を苛めるな。これでも取材の前は、緊張してたんだぞ。漏らしそうな顔してたぞ」
「ほんとっすか? ちびったすか?」
「漏らしてないよ! 馬鹿! セクハラ!」
無論、尿意に関しては、忠勝の作り話である。しかし、流石に恥ずかしいのか、倉川は顔を赤くする。
倉川は、取材に慣れている、テレビに出演した事も有る。加えて、多くの人を前に講座をしている。多少なりとも緊張はすれど、ガチガチに固まる程ではない。
しかし、仲間から褒められるのには、慣れていない。
仕事の関係者から言われるのは、お世辞や社交辞令の類だろう。ファンから掛けられるのは、敬愛や尊敬の類だろう。
だが、仲間が語るのは、紛う事なく本音だ。故に照れくさくなる。それだけ倉川も、忠勝等に心を許しているのだろう。
倉川をからかい満足したのか、忠勝はたけしに視線を送る。視線に応え、たけしは駆ける様にキッチンへ急ぐ。
忠勝にも、照れくさい気持ちは有るのだろう。たけしが側を離れてから、穏やかな口調で倉川に声をかける。
「悪いな、こんな事しか出来なくてよ」
「充分です。寧ろ、私が頑張らないと。手を借りてばかりじゃなくて」
「気を張り過ぎるなよ。お前がお前らしくしてくれるだけで、周りに良い影響を与えるはずだ」
「そうですか?」
「約束通り、暫くたけしを手伝いに行かせる。本物の仕事を、教えてやってくれ」
「はい。頑張ります!」
快活な答えに合わせて、忠勝は柔らかな笑顔を浮かべる。そして、滅多に見せない忠勝の笑顔は、倉川の胸を高鳴らせた。
それが、来たる開店への期待なのか、それとも別の何かか、倉川自身は気が付いていない。
それでも胸の中には、温かい何かが芽生えていた。
少し歓談していると、たけしが戻って来る。それと同時に、忠勝は立ち上がる。
「倉川、少し休憩していけ」
「ありがとうございます」
「たけし。留守は頼むぞ」
「わかったっす。おもてなしは、お任せっす」
忠勝は手をヒラヒラと振り、リビングを後にする。その後ろ姿を眺め、倉川は少し残念そうに顔を曇らせる。
そんな倉川へ、たけしなりの心遣いなのだろう。蒸らしていた紅茶を、丁寧にカップへ注ぐ。それを倉川の前へそっと置き、対面のソファーに腰を下ろした。
「そう言えば、兄貴の予定を聞いてなかったっす」
「そうなの? 今日は取材の付き添いだって聞いたけど」
「取材? 姉さんのっすか?」
「それなら、私も一緒に出かけたでしょ?」
「他に、誰が取材なんて受けるんすか?」
「京ちゃんよ」
その瞬間たけしは、取ろうとしたカップを落とす。そして、あんぐりと口を開け、暫く固まっていた。やがて沈黙が終わり口にした言葉は、悲鳴に近いトーンだった。
「え〜! あれの写真が、雑誌に載るんすか?」
「たけし君。あれなんて言っちゃ駄目! 姉弟子なんでしょ?」
「雑誌に載せていい人と、駄目な人が居ると思うんす」
「京ちゃんは美人じゃない! 私なんかより、よっぽど写真映えするよ!」
その時たけしは、目を丸くした。因みに倉川からは、文字通りまんまるに見えていたとか。そして、たけしの声は、更にトーンが高くなる。
「はぁ? どこがっすか?」
「凛々しい感じで、凄く綺麗だし」
「人付き合いが苦手で、無口なだけっすね」
「すらっとしてるし」
「胸が足んないだけっす」
「足も細くて長いし」
「蹴りが得意だからっすね」
「もう! 何でそんなこと言うの?」
「そもそも、あいつがヒールを履かないのは、蹴り辛いからっすよ」
「そうなの?」
「スカートを履かないのも、蹴り辛いからっす」
「嘘でしょ?」
「そして付けられた二つ名は、ケリノグリン。ジャンルの奥地に住む、伝説のUMAっす!」
「実は好きなんでしょ? 大好きなんでしょ!」
倉川は、少し困惑していた。
恐らくたけしは、敢えて冗談を言いう事で、気遣ってくれているのだろう。幾ら罵倒しようが、本心では栗原を嫌ってはいまい。
寧ろたけしは、自分に好意を持っている様にも感じる。
自意識過剰だろうか、全て勘違いだろうか。何れにしても、たけしという存在を掴みきれてない。何処までが本気なのか、わかりかねるのが正直な所だ。
そんな倉川の葛藤を知ってか知らずか、たけしが放った言葉は、この日一番の衝撃であった。
「姐さんを好きなのは、宗岡の兄さんっすよ!」
「へっ?」
「だから、凶姐さんの付き添いが、兄貴になったっす」
「何処から突っ込めばいい?」
「大凶姐さんは、宗岡の兄さんを避けてるっす」
「不吉な呼び方しないの! 名前は京でしょ!」
「どうでもいいっす」
「全く。それで、何処までが本当なの?」
「兄さんの話は本当っす。後は、姐さんが蹴りで、バットを折るって所っすね」
「バットの話はしてないよ! どの道、どっちも嘘くさいけど」
「前にも言ったっす。あれは猛獣っす。兄貴には懐いてるけど、他には牙を剥くっす」
「確かに、最初は感じ悪かったね」
「仕方無いんす」
その時、たけしは真顔になっていた。
いつも笑顔を絶やさない、だから気が付かない。幾らちゃらけても、気遣いを忘れない子なのだ。他人の痛みを知る事が出来る、優しい子なのだ。
「色々有ったんす。恐怖症の類を患っても、おかしく無かったんす。姐さんは乗り越えて、頑張ってるんす。本当は、人前に出るのが好きじゃないんす。多分、今でも怖いんす。だから、兄貴が気にかけてるんす」
「そう……。ごめんね、言いたくない事を言わせたね」
「良いんす。姉さんにも、知って貰いたかったんす。暴力的で、意地っ張りで、頑固っすけど、本当は壊れやすいんす。だから、よろしくして欲しいっす」
忠勝は寄り添い、たけしはぶつかる。そうして、栗原を支えて来たのだろう。
心というのは、ままならない物。また、自分でもわからないのに、どうして他人が理解出来ようか。
もし、理解出来たとしても、それは表層を知ったに過ぎまい。故に振り回される。
それなら自分はどうしたらいい? 簡単だ。偏見をせず、友人として隣に居ればいい。
そして、ゆっくりと栗原を理解すればいい。
「うん、勿論だよ。でも、付き合い方を変える気は無いよ」
「助かるっす」
「そんな風に思ってるなら、優しくしてあげれば良いのに」
「それは無理っす。兄貴の隣は譲らないっす」
「もう! 大人なんだか、子供なんだか」
「まだまだ未熟なガキっす」
そうして倉川は、爽やかな笑顔を見せた。
束の間に訪れた休憩は、終わりを告げる。そして倉川は、慌ただしさの中に消えていく。
オープンの日は、直ぐそこまで来ている。商店街にとって、真の戦いが始まろうとしていた。
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