第39話 番外編 雨降って地固まる的な

 美里の顔を立てたのだろう。倉川と知世の挨拶を、栗原は黙って見つめていた。そして美里が、知世をリビングへ誘う。

 今回の女子会は、忠勝の自宅を借りている。当然、飲み食いする物は、全て持ち込みだ。お酒は、美里達が用意する事になっている。肝心な料理は、倉川が引き受けた。


 倉川が、キッチンに向かう。そんな倉川の背を、栗原の視線が追う。そして次の瞬間、視線は更に鋭くなった。


「てめぇは、ここで何してやがる! ボスからお借りした貴重な時間を、てめぇ如きが汚すんじゃねぇよ!」


 鋭い眼光と荒々しい怒声は、知世を縮こませる。肉屋の奥さんは、関係ないとばかりに手荷物を片付け、美里は知世を背に隠し微笑んでいた。

 そして倉川は立ち止まり、呆然としながら栗原を眺める。倉川はこの時、何が起きたのか理解出来なかった。


 栗原から歓迎されてないのは、訝しげな視線でわかっていた。しかし、それだけの事だ。

 気に入らなくても、作業は出来る。それこそ、上っ面の笑みすら、浮かべる必要すらない。だが、それで何が得られる?


 当たり前だ。栗原の態度は、仲良くしましょうと伸ばした手を、払い除ける様なものだ。初対面の相手にそんな態度を取ればどうなるのか、わからない歳でもあるまい。

 ましてや、声を荒らげ罵られる様な謂れは無い。


 だが白けた空気は、何とかしなければならない。せっかく美里が、機会をくれたのだ。幾ら気に入らなくても構わない、意地でも仲良くなってやる。


 倉川は、葛藤の末に一歩を踏み出す。そして栗原に近付いた時、その目が何を映しているのか気が付いた。

 あの怒声は、倉川に向けられたものでは無かった。


「相変わらずっすね。いつまで喧嘩上等なんすか?」

「生意気なんだよ、ガキが!」

「どっちがっすかね。息巻いて、威して、何になるんすか?」

「黙れよ! 早く消えろ! それとも、消されてぇか!」

「あんたに出来るんすか?」

「姐さんと呼べよ」

「嫌っすよ。今のあんたには、姐さんなんて勿体無いっす」


 それは、唐突に始まった。否。もしかすると、これが自然なのかも知れない。

 美里と肉屋の奥さんは視線を交わすと、互いに苦笑いを浮かべる。そして、放っておけとばかりに、知世を連れてテーブルへ移動する。

 事態を把握出来ず、呆気に取られたのは、倉川だろう。だが、倉川が本領を発揮するのは、ここからであった。


 互いに詰め寄り、威嚇し合う。僅かなきっかけさえ有れば、殴り合いに発展するだろう。緊張感が辺りを包む。

 その緊張に耐えかね、泣きそうになる知世を、美里が慰める。


 次の瞬間、パンっと大きな音が鳴る。威嚇し合う二人は、反射的に姿勢を低くし身構えた。それもその筈、二人は身を守れる様に訓練されている。

 だが、その音は二人の知る音では無い。ただ、倉川が手を叩いただけ。それでも、二人を黙らせるには充分だった。


「ほら、喧嘩しないの! 暴れたければ、道場に行って発散してね! 二人共、宮川さんから何か習ってるんでしょ!」

「ソム姉さん……」


 冷静さを取り戻させる、そんな方法は知らない。仮に知っていても、この場において適切かわからない。だから倉川は、出来るだけ明るく振る舞った。


 関わった時間の長さが、相互理解に代わるなら、たけしを抑えるのは、そう難しい事では無いだろう。そもそも倉川は、たけしの優しさと純粋さを、ちゃんと理解しているのだから。


「たけし君は、私を守ろうとしてくれたのよね。ありがとう。でも、相手は女の子なのよ」

「ごめんなさいっす。ソム姉さんに、迷惑をかけるつもりは無いっす」

「うん、いい子ね。今は、私に任せて貰える?」

「わかったっす。何か有ったら、呼んで欲しいっす」

「ありがとう」


 たけしは、倉川の意図を汲んで、リビングから出ていく。これで少しは、栗原の溜飲が下っただろうか? だが、彼女の本質を倉川は知らない。それでは、怒りは収められまい。

 助けを求める様に、倉川は美里に視線を送ろうとする。しかし倉川は、思い直した様に栗原に向き合った。


「クソガキ! 二度と舐めた真似すんじゃねぇぞ!」

「ほら、あなたも。せっかく頑張って、認められたんでしょ? 意見を通せる立場になったんでしょ? こんな所で、評価を下げてどうするの? 相手は、年下の子なんだよ」

「なっ、あんたに何がわかる!」

「何言ってんの? 私達、初対面なんだよ。あなたの気持ちが、わかるはず無いでしょ?」

「お前!」

「あのね。それを理解する為の、集まりなんでしょ?」

「それは……」

「あなたも言ってたじゃない。ボスからお借りした、貴重な時間だって」

「だから相応しくない! あのバカは!」

「そんな意地悪、言わないで。あなた、強いんだもん。弱っちい男の子には、優しくしてあげて」


 そもそも栗原は、倉川に敵意を向けるつもりは無かった。その証拠に、怒声を上げていない。

 振り上げた拳の、もって行き場が無かっただけ。そして、図星をつかれて、余計に引っ込みがつかなくなった。


 たぶん、彼女は素直なんだ。だから、警戒心を感じ取り反応した。

 それがわかれば、後は簡単だ。大丈夫だと、味方なんだと、教えて上げればいい。それだけで充分だ、きっとわかり合える。

 

「ふふ、京ちゃんの負けね。それじゃ、早く準備を終わらせて、女子会を始めよう! 罰として、京ちゃんは未雅ちゃんのお手いね」

「美里さん、今更ですか? 仲裁のタイミングが、遅すぎませんか? 美味しい所だけ持っていくの、ムカつくんですけど」

「ごめんね、未雅ちゃん。でも、仲良くなれそうでしょ?」


 言われてみればそうだ。いつの間にか、栗原に対する懸念どころか、美里に対して遠慮が無くなっている。

 

「全く。一番怖いのは、美里さんだよ」

「誰が鬼ババアですって?」

「誰もそんな事、言ってないし」

「あはは。美里ちゃんは、商店街の裏ボスだからね」

「やだな、その座は奥さんの物ですよ」

「いやいや、美里ちゃん」

「いやいや、奥さん」


 何だかんだと始まったのは、何て事の無いやり取り。毒気を抜かれるとは、こんな状況かも知れない。

 少し脱力感を感じ、倉川は料理に取り掛かる。手早く材料の下ごしらえをしている時、倉川の背後から声がかかった。


「倉川さん、申し訳有りませんでした」

「いや、そんな。私の方こそ、勝手な事を言って」

「大切なボスのお客様に対し、不躾な態度を取りました」

「まぁまぁ、別に怒って無いよ。美里さんには、文句を言い足りないけど」

「姐さんに反撃するなら、お力になります」

「あははっ、頼もしいね。で、やっぱり美里さんは、裏ボス?」

「なんて言うか。いつの間にか、手のひらの上で転がされてます」

「あ〜。良い人なんだけどね」

「それは、わかります」

「ねぇ栗原さん。未雅で良いよ」

「それなら、私も京と」

「あははっ。うん、何か良いね」

「ええ」


 栗原は会話をしつつも、倉川の作業を見ながら、次の行動を察して補助をする。それこそ、たけしの出番が不要な位に。それを隣で感じ、倉川の心は平穏を取り戻していた。

 少し前の緊迫感が嘘の様に、両者の表情は和らいでいく。その後、栗原はサポートに徹した。

 

 倉川の様子を見ながら調味料等を渡し、美里達の様子を見ながら食器類を並べていく。

 栗原独りで、全てを熟すのではないか。そう思える程に素早く的確な動きは、現場で培ったものだろう。

 勿論、少しゆったりとした、知世のサポートも含めて。


「あ、あの。栗原さん、ありがとう」

「いえ。謝罪が遅れました、先程は申し訳有りません」

「そんな、畏まらないでも」

「おっと、白馬の王子様の登場かい?」

「やぁね、幾ら知世ちゃんでも。って、嘘? あ〜、ヤンキーの優しい一面を見ちゃったか」

「こりゃあ、いよいよ政は頑張らないとね」

「止めて下さい二人共!」

「そうです姐さん方、良くないです」

「まぁ、本当にナイトなの?」

「いいですか、姐さん方。私には、強力な味方が出来たんです! この商店街で、でかい面させるのも、今の内ですから!」

「いいわよ、そんなの。裏ボスなんて、勝手に呼ばれてるだけだし」

「駄目です、きっちり方を付けないと」


 知世は頬を赤く染め、栗原が庇う。手練の女性陣にからかわれ、知世の顔は更に赤くなる。

 それは、挨拶の時点では、想像し得なかった状況だろう。美里の思惑通りなのかは、胸の内にしかない。一つ言えるのは、構えた状態で腹の探り合いをするより、腹を割って話した方が楽しい。


「せめてドッキリ位にしといてね、京ちゃん」

「未雅さん? 何故にドッキリ?」

「その方が、面白いでしょ?」

「うふ、ふふふ。倉川さんったら」

「うふふ、楽しみね」

「あはは、こりゃ良いね」

「ははっ、流石は未雅さん」


 賑やかになったテーブルに、未雅が料理を運んで来る。多少の非肉を含んだ、未雅の台詞が周囲の笑いを誘う。こうして、女子会は始まった。

 恋、家庭、仕事、将来、商店街の行く末、話題なら幾らでも有る。酒が入ったからか、料理が美味かったから、話しは弾んだ。そして、いつの間にか時間は過ぎ去る。


「美里さん。ありがとうございます」

「未雅ちゃん。本当にそう思ってる?」

「正直、半分位?」

「うふふ、それで良いのよ」

「でも、たけし君には悪い事をしましたね」

「あの子は今頃、宮川さんと一緒に、美味しい物を食べてるわよ」

「それなら良いんですけど」

「なんれすか? たけし? あいつの事なんか、放っておきましょうよ!」

「京ちゃん、酔ってるの?」

「帰れる? それとも泊まってく?」

「駄目れす。ボスに、みっともない所は、見せられないれす」

「わたしも、お泊りしたいです〜」

「じゃあ、飲み明かす?」

「いや、奥さん。私は朝から仕事。奥さんもでしょ?」

「たまには良いじゃない。男連中が、頑張ってくれるよ」

「はぁ。仕方ない」


 そうして夜は更けていく。彼女達が、朝まで飲み明かしたかどうかは、また別の話し。

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