第38話 番外編 ソム姉さん猛獣と出会う

「堀さん。その話は本当なのか?」

「ボス。私に敬称は必要ございません」

「相変わらずの堅さだな。で、どうなんだ?」

「本人の希望ですし」

「それにしても、降格してまでする事か?」

「私とて今の立場で無ければ、同じ事をしたでしょう」

「どの道、俺は人事に口出す謂れはねぇ」

「そう仰って頂けると助かります」

「たけしは俺が抑える。そっちの手綱は、ちゃんと握っとけ」

「畏まりました」


 株式会社MGHOには三つの部門が有り、それぞれに担当役員がついている。

 一つ目はコンサルタント部門。それは、代表取締役の源吾が担当している。二つ目の飲食部門は、創業時に忠勝がスカウトし専務取締役に就かせた、堀という男が担当している。

 三つ目は、少し特殊な業務を担う警備部門。当時、一番喧嘩が強かった、大迫という男が担当している。


 MGHOにおいて、たけしの存在は特別だ。何しろ忠勝が、唯一舎弟にしたのだから。故に役員は、たけしを幹部候補の様に扱う。そして一般社員は、上役の様に接する。

 そんなMGHOの中で、唯一たけしを特別扱いしないのが栗原京、かつて忠勝が救った女性である。


 それは数年前の事、街には正義の鉄槌を振りかざす少女がいた。


 ある時は、海外マフィアと通じて、麻薬の売買をする二十人の男を、鉄パイプを用いて伸した。またある時は、犯罪集団の本拠地に乗り込み、破壊の限りを尽くした。更にある時は、反社会的勢力と対峙し、幾人もの構成員を再起不能にした。

 

 そこまでの事をすれば、当然ながら報復される。人知れず闇に葬られる。無論、少年院等で保護すれば、一定期間は報復から逃れられるだろう。だが、得てして警察の対応より、反社集団の方が素早く反応する。


 栗原は、拳銃を持った男達に拉致された。拘束されて、ビルの一室に監禁された。そして地獄が始まった。

 四肢を折られ、全身を蹴られ、顔の形が変わる程に殴られた。そして、意識が朦朧とする中、レイプされそうになる。しかし最後の力を振り絞り、栗原は男のイチモツを噛み千切った。


 怒った男達は、拳銃で栗原の頭を撃ち抜こうとする。その時、栗原を救ったのは、警察では無く忠勝だった。

 忠勝は、拳銃を持った男達を無力化すると、栗原を病院へ運んだ。それ以来、栗原は忠勝を崇拝する様になった。成長し働く様になった今でも、それは変わらない。


 ☆ ☆ ☆


「ようやく、カレー屋さんの店長が決まったそうですね」

「なんだ倉川。青山から聞いたのか?」

「はい。何でも彼女、エリアマネージャーを降りて、店長と商店街のサポートを兼任するとか」

「ソム姉さん、待って欲しいっす。その先は、聞きたく無いっす。兄貴は知ってたんすか?」

「堀から連絡が来た」

「兄さん連中を、止めなかったんすか?」

「決まった事を、蒸し返そうとすんな!」

「嫌っす! それなら、逃げるっす!」

「たけし君、何なのその反応?」

「あれは猛獣っす。例えるなら、時速三百キロで動いて、火を吹くライオンっす」

「それって何のSF? ロボ?」

「ロボットだとしたら、AIが狂って、人を抹殺する系のやつっす」

「凄く仕事が出来る人だって聞いたけど?」

「あぁ優秀な奴だ。一年足らずで、先輩連中を追い抜いて、エリアマネージャーになった」

「へぇ、そんな人が来てくれるなんて、頼もしいですね」

「倉川。お前なら、あいつと上手くやれる筈だ。でも、何か有ったら、遠慮なく俺に言え」

「ありがとうございます、宮川さん。じゃあ、今日はこれで」 

「おう。また遊びに来い」


 ビルを出た倉川は、少し困惑していた。栗原の功績は、青山から教えて貰った。それ以上の事に関して、青山は口を濁した。

 彼女とは、深い付き合いになるはずだ。良好な関係を築く為には、少しでも彼女の事を知っておきたい。

 倉川は、元来の活発さ故か、人付き合いが下手では無い。しかし、誰とでも上手くやれる程、器用では無い。故に倉川は、忠勝の下を訪れた。


 しかし、大した情報を得る事は出来なかった。しかも、たけしの反応を見る限り、一筋縄ではいかない存在だとすら思える。


「どうしよっかな。女子会でもするかな」

「女子会でしょ? 歓迎会もまだだったし、丁度いいじゃない」

「美里さん? いつからそこに?」

「いつからも何も。未雅ちゃんが、店の前で難しい顔してたんじゃない」


 突然の事に驚き、倉川のトーンが何段階も上がる。辺りを見回すと、パン屋の店先にいる事に気が付く。また、顔が熱くなっているのがわかる。そんな倉川に、美里は柔らかな笑顔を向けた。


「未雅ちゃんは、お酒を飲める方?」

「程々です」

「じゃあ決まりね。未雅ちゃんと京ちゃん、それに私と肉屋の奥さん。そうだ、知世ちゃんにも声をかけよっか」

「知世ちゃんって?」

「政さんの彼女さんよ。最近、仲良くなったの」

「そうですか」

「場所はどうしよっか。女子会だと、マスターが嫌がるわね。宮川さんの所、貸して貰うおうかしら」

「いや、待って下さい美里さん。流石にそれは」

「大丈夫、私に任せといて。京ちゃんの事は、良く知ってるから」


 だから、京ちゃんって誰よ。私は知らないんだけど。

 倉川は、その言葉を呑み込んだ。寧ろ、呆気に取られていたと言っても、過言では無い。


 他人の考えを察して行動する事は、そう簡単に出来はしない。だからこそ、それが出来る者に畏怖の念を感じる。そして美里の行為は、善意から出たものだろう。


 例え善意で有ろうと、柔和な表情をしていようと、反論させない様な強引さは癪に障る。しかし、従うのが自然だと思わされるのは、彼女が纏う雰囲気に有るのだろう。


「美里さんて怖いね。でもな〜、腹の探り合いって、苦手だしな〜。上手くやっていけるかな〜。まぁ何とかなるよね。良い人には変わりないだろうし」


 パン屋から離れた後、倉川は吐き出す様に呟いていた。

 今の関係が歪で有る事は、充分過ぎる程わかっている。その呟きが、自身を納得させるだけで有る事も含めて。

 知っている。自分には足りない物だらけだ。何もかもが不安だらけだ。


 どれだけ笑顔を振りまいても、どれだけ元気で有ろうとしても、簡単に見透かされる。お前のそれは、張りぼてだ。お前の不安なんて、俺達はとうに乗り越えた。早く俺達の場所まで上って来い。そう、言われてる様に感じる。


 それが、劣等感故の感覚なのかは、わからない。少なくとも、商店街を訪れる様になって知ったのは、生き抜こうとする人達が放つ、眩いばかりの煌めき。それは、知識を披露するだけの自分に足りない、本物の強さに他なるまい。


 自分の店を持つのが夢だった。その夢は、忠勝が叶えさせてくれた。理想を現実にしてくれた。何より、自分が必要だと言ってくれた。

 確かに、少しは貢献出来る自信が有る。だが、自分の手で商店街を救えるなんて、思い上がってはいない。少なくとも、忠勝が声をかけてくれなければ、夢を叶える為に踏み出す勇気さえ無かった。

 自分に出来るのは、多少なりとも有る知名度で、広告塔になる事だけ。結局は、独りの力で何一つ出来ていない。それが現実だ。


 そんな倉川の葛藤は、慌しさの中で置き去りにさせられる。そして、時間は否応なしに過ぎ去る。

 幾つかの飲食店を提示したが、女子会は美里の提案通り、忠勝のビルで行われる事になった。そして倉川は、件の女性と対面する。


「はじめまして、倉川です。よろしくお願いします」

「あなたが倉川さん……。栗原です、よろしく」


 紹介され挨拶を交わす。倉川は月並みの笑顔を浮かべ、栗原は値踏みする様な視線を飛ばした。いたたまれなくなり、倉川は美里に視線を送る。だが当の本人は、ただ苦笑いをするだけで、取り持とうとはしない。

 この時、笑みを崩さなかったのは、場数の所以か。幾ら自身を低く評価しようが、倉川が著名なのは確かなのだから。


 僅かな沈黙が、永遠の苦痛に感じる。やがて栗原は、フンと鼻から息をもらし、倉川に背を向けた。


「はじめまして、倉川です。よろしくお願いします」

「あ、あの。こちらこそ、はじめましてです」


 続いて倉川は、知世を紹介された。栗原に比べると、女の子然とした感じだ。歳上だと聞いていたが、一見する限りそうは思えない。男性は、こんな守ってあげたくなる女性が、好きなのかも知れない。

 そんな事を思いながら、栗原は知世とも挨拶を交わす。


 挨拶が終われば、いよいよ女子会の始まりだ。しかし、すんなりといく訳が無い。ここには、仇敵が集ったのだから。

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