第35話 番外編 守島君の一歩
商店街に、新たな店舗がオープンする。それは、店主達を活気づけた。また、お客さんの期待値も、少なからず上がっているのだろう。
新店舗の話題で盛り上がる風景が、商店街のあちこちで見られる様になった。
更に、オープンイベントへ向けて、店主達は忙しくしている。どの店舗でも、来店数が増えている。
そんな中ラーメン屋では、勝司と宗岡の二人で、接客する日が増えていた。
忙しく店内を駆けずり回っていると、いつの間にか時間が過ぎている。仕事が終わると、充実感と共に心地良い疲れがこみ上げる。
しかし守島は、この状況に少し寂しさを感じていた。
守島と違い、たけしは家業の手伝いとして、ラーメン屋を手伝っていた。そのラーメン屋が、忠勝から独立したのだ。
たけしが、そこで働く理由は無くなった。必然的に、顔を合わせる機会が減っていく。
これまで忠勝は、長期間に渡り自宅へ戻れない仕事に、たけしを同行させる事はなかった。
ここ数日の忠勝は、多忙を極めているのだろう。たけしを連れて出掛ける事が増えている。何日も見かけない時も有る。
思い返せば、ここ最近の忠勝は、帰りが遅かった。
酒屋の新装は、決して一筋縄では行かなかったはずだ。八百屋を開くにしても、誰が営むのか。店主を何処から探して来たのか。
ましてや、寂れた商店街にドラッグストアを誘致するのは、魔法の様な奇跡が無ければ成しえなかったはずだ。
それは忠勝が、寝る間を惜しまずに、日本中を周った成果だ。
この程度なら、勉強を遠ざけて来た守島でも、容易に推測出来る。
宗岡が抱いた感情は、忠勝とたけしの不在が齎せたものでは無かろう。恐らく、置いて行かれた感覚だ。
憧れは、更なる高みに登っていく。手が届きそうで届かない壁でさえ、新たな道を歩み始めている。周りの人達も、未来を見据えて頑張っている。かつての仲間でさえ、忠勝が興した会社で、技術を身につけようと、努力をしている。
自分独りが今の場所に留まり、成長出来ずにいる。
守島自身も、薄っすらと自覚していたろう。しかし、認めたくはない。認めてしまえば、彼等はずっと遠くに行ってしまう。もう二度と、一緒に笑えなくなる。
だから、がむしゃらに働いて抗おうとした。それでも、拭い切れない不安が残る。それが守島の心を、握り潰そうとする。
バイトを終えた守島は、いつもの様にビルへ向かう。そして、ペットルーム以外の灯りが消えているのを確認し、ため息をついた。
「そうだ、飯……。どうすっかな……」
何となく、そんな言葉が口から漏れ出た。
腹は減っている。だけど、食欲が有る訳じゃない。あの温かい食卓を知ったら、独りでは何を食べても美味しいとは思えない。
「まぁ、何でもいいか。スーパーでも寄ってくか」
食事は、体を動かす上での義務みたいなもの。つい、そんな事を考えてしまう。
お客さんに、美味かったと言われたら嬉しい。もっと喜んで欲しくなる。だけど独りになった瞬間、それ以外がどうでも良くなる。
「なんて言うか、情けねぇな」
独り言が増えていく。そして守島は、振り返ると一歩を踏み出す。
足取りが重いのは、疲れのせいか、気分の問題か。やがて商店街を抜けて、通りに差し掛かる。家路を急ぐサラリーマンが、守島を追い越していく。
何処にでも居そうなサラリーマンだ。その後ろ姿を漠然と眺め、守島はスーパーに向かって歩みを進めた。
道すがら、何を買おうか考えなかった。どうでも良かった。
店に入ると、守島はお弁当のコーナーに向かう。既に数が少ない、割引のシールが貼ってあるが、興味が湧かない。
次にパンのコーナーに向かうが、残り少ない商品では、選びようもない。
「こんな時間だしな。カップ焼きそばでも、買ってくか」
そして、加工食品のコーナーに、向かおうとした時だった。視界の端に、見慣れた後ろ姿を見かけた。
まさか、でも見間違える筈がない。
守島は、思わず駆け出していた。そして、勢い良く声をかける。
「たけしさん? 帰って来てたんですか?」
「あれ? 守島さんも買い物っすか?」
「ええまぁ。ボスは?」
「今回は、兄貴と別行動だったんすよ」
「ん? ボスの用事で、一緒に行ったんですよね?」
「そうなんすけど、暫く農家の手伝いをしてたんす」
「農家?」
「提携したばっかなんす。顔合わせに行ったら、流れで手伝わされたんす」
「帰って来て、良かったんですか?」
「野菜ソムリエのお姉さんと、カレー屋のシェフを案内したら、仕事は終わりだったんす」
「今度、店を出す方ですか?」
「そうっすよ。仲良くなって良かったっす」
たけしは明るい笑顔を見せる。
地方から戻ったばかりで、疲れているだろう。しかし、そんな様子は欠片も見せない。
数日振りに会えた事は、とても嬉しい。だが何故だろう、守島の心は更に締め付けられる。
「そうだ! 夕飯まだっすよね? 食ってくと良いっす」
「いや、流石に悪いですよ。これから作るんてすよね?」
「そうっすよ。シェフから、専門店のレシピを教えて貰ったんす。せっかくだから、試したいんす。味見をお願いするっす」
「なんか、嬉しそうですね」
「そうっすか?」
「ええ。そう見えます」
「それより、農家のおっちゃんとソム姉さんから、野菜のイロハを叩き込まれたっす。頭がボカンってなったんす。プロは容赦ないんす。守島さんも、気をつけるっすよ」
不満を口にしながらも、たけしは笑顔のまま。
その笑顔を見た時、守島は自身を取り巻くモヤが、晴れて行くのを感じた。そして笑みを零した。
「そうか。そういう事か」
「どうしたんすか?」
「いや。たけしさんの凄さを、再認識してたんですよ」
いつも思っていた。近くにいたから、その本質に気が付かなかった。
基本的には真面目だが、時折手を抜きたがる。面倒な事を平気で押し付けてくる割に、自宅ビル内はいつも綺麗だ。
常識に欠けるが、頭が悪い訳ではない。何にでも興味を持ち、覚えたことは忘れない。
感が鋭く、度胸もいい。人懐っこく、誰からも好かれる。
勝てないのは、喧嘩だけじゃない。
一歳しか違わないのに、何で自分とこんなにも違うのだろう。この飄々とした男を、何で尊敬して止まないのだろう。
自分に無いものを、沢山持っているからだろうか? 違う! 多分そうじゃない。
たけしは、出会った全てを、心から楽しんでいる。だから、色んな事を吸収していくのだ。いつも笑っていられるのだ。
まったく。独りで落ち込んで、馬鹿みてぇだな。
「せっかくだから、俺にも教えて下さいよ」
「良いっすけど、何か急にやる気っすね」
「先ずは、野菜の目利きから」
「何か、面倒くさいっす」
「次は、スパイスの調合!」
「もっと面倒くさいっす」
「ほら、行きますよ!」
「仕方無いっすね。まぁ良いっす。守島さんは、案外寂しがり屋だったっす」
「いや、そういうのじゃ」
「宗岡の兄さん辺りに、リークするっす」
「それだけは止めて!」
「変態兄さんに、弄ばれると良いっす」
「だから、嫌だって!」
きっと、変化を恐れるから、立ち止まっている様に感じるだけなんだろう。
季節が移り変わる様に、時代が変化する様に、人が歳を重ねる様に、誰もが前に進んでいる。
進む速度は、ひとりひとり違うから。他人と比べる必要は無い。だから楽しめばいい。
それでも不安になったら、隣を見ればいい。そこには、誰か居てくれるから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます