第33話 兄貴と繋がる想い

 どれだけ優れた物でも、悪意を持って振るわれれば、ただの暴力だ。善意の下に使われるなら、平和に導く事すら可能だ。

 俺達は、これをボスに教えて貰った。


 俺達は、どんな犯罪さえ厭わない、最底辺のクソ野郎だった。ただ暴れるだけなら、ガキの喧嘩程度で済んだかも知れない。

 集団の中には必ず、頭の回転が早い奴や、弁が立つ奴が存在する。俺みたいに喧嘩の弱い奴は、頭を使って人を動かす他に、生き残る道は無い。

 だけど、そんな奴こそが、犯罪集団をより狡猾にしていく。


 俺達は、愚図で落ちこぼれで穀潰しで、下衆で醜悪でろくでなし。そんな存在だった。

 でも、俺達だって犯罪に手を染めたくて、産まれて来たんじゃない。周りの奴等が当たり前にする事を、出来なかったんだ。気が付いたら、そんな風になってただけだ。

 やがて、誰もが見ない振りした。誰もが、臭い物に蓋をした。そして、俺達は諦めた。


 俺達は、開き直るしか無かった。一般人の面をして、他人の利益を不当に掠め取る連中より、俺達の方が何倍もマシだと、何度も自分に言い聞かせた。


 段々と、感覚が麻痺していくのがわかった。目障りな連中は、薬中にしちまえば、何でも言う事を聞く。薬なんて、幾らでも手に入る。

 そうやって、俺達は手駒を増やした。


 遊ぶみたいに人を殺す。そんな連中が増えていった。そいつ等を使えば、より簡単に人を恐怖で縛れた。金をばら撒いて媚を売れば、権力を持った連中でさえ、取り込む事が出来た。

 

 俺達がやってる事は、絶対に間違ってる。そんなの言われる迄もない。知ってるんだ。でも、いまさら遅い。自分自身の事すら、制御が利かない。

 蟻地獄みたいなもんだ。足掻けば足掻くほど、ずるずる落ちていく。

 

 だけど結局、俺達は上手くやってる様で、使われていただけだった。俺達は、単なるスケープゴート。捕まった奴等は、マシな方だ。手駒のほとんどは、消されていった。

 世の中が、簡単過ぎたんじゃない。俺達は舐めていただけだ。


 暗闇の中で、どうして良いかわからない。それでも引き返すなんて、いまさら出来っこない。

 俺達は、いつだって救いを求めてた。でも、救われて良い筈がない。それだけの事をして来たんだ。因果応報ってやつだ。それこそ、何度殺されても、償いきれない程に。

 

 だけどボスは、こんなクソッタレの状況を、力尽くでぶち壊した。それだけじゃない、ボスは最悪のクソみたいな俺達に、手を差し伸べてくれた。

  

 ボスは、俺達を絶対に見放さなかった。

 何度もぶん殴られた。そして、一緒に悩んでくれた。圧倒的な力は、誰もが憧れた。何よりも、社会で生きる術を、惜しみなく教えてくれた。

 それは俺達にとって、温かい陽の下に出る、最後で最高のチャンスだった。


 今の俺達が在るのは、ボスのおかげだ。

 だから俺達は、救ってくれたボスに恩返しをする。迷惑をかけた人達に、償い続ける。


 ☆ ☆ ☆


 商店街の最奥に、忠勝が所有するビルが有る。裏手の路地を渡ると、大きなビルと社員寮が一棟ずつ並んでいる。

 二つの建築物を所有する会社は、忠勝が商店街に住まいを移したのを機に、移転して来た。


 その会社は、かつて忠勝が起業し経営基盤を作った。

 現在の忠勝は会社を離れ、ビジネスパートナーとして、役員達と連絡を取り合っている。

 ある日、忠勝は商談が目的で、その会社を訪れた。

 

 約束の時間に会社へ向かうと、入口の両脇に男達が並んでいるのが見える。それは、更に廊下へと続いている。

 忠勝が近付くと、全員が揃って両手を後ろで組む。「いらっしゃいませ、ボス!」と威勢良く挨拶をし、一斉に体を九十度に曲げた。


「お前ら、いい加減にしろ! ここは普通の企業だろ! 出迎えが大袈裟なんだよ!」


 忠勝は一喝した後、周囲を見渡す。声を荒げようが、皆は姿勢を崩さない。

 そして少し溜息を付くと、一人の案内役を指名し、他の者達に仕事へ戻る様に命じた。

 案内役を先頭に、忠勝は廊下を進む。そして一つの扉に辿り着く。


 変哲もない扉の先には、至極普通のオフィスデスクが一つと、幾つかの書棚が並んでいる。デスクの側には、応接セットが鎮座しているが、決して豪奢とは呼べない。

 まるで、仕事に意匠は必要ないと、言わんばかりの部屋。そして一人の男が、深々と頭を下げて忠勝を出迎える。


「すみません、若い衆が」

「その言い方は止せ。フロント企業じゃねぇ」

「それならボス、僭越ながら言わせて下さい」

「何だ?」

「一般の方々を、カタギの衆と呼ぶのは、お止め下さい」


 それには、苦笑いするしか無かっただろう。忠勝は口を閉じ、男に案内されるまま、ソファに腰を下ろす。

 直ぐに、女性のスタッフがお茶を運んで来る。その瞬間、忠勝は目を見開いた。


 元は忠勝が経営していた、会社の内情はよく知っている。

 当時は、むさ苦しい男ばかりだった。それが、いつの間に女性を雇える程になったのか。

 そんな忠勝の考えを読み取り、男は口を開いた。


「ボスが構築して下さった教育システムを、ブラッシュアップしています。女性スタッフ用のシステムも、稼働させてます」

「そうか、頑張ってるな」

「特に、コンプライアンスには、力を入れてます。ボスの顔に、泥を塗る訳にはいきませんから」

「一端の事を、言うようになったな」

「生意気を言いました。すみません」

「良いんだ。それと、俺には幾らでも迷惑をかけろ。お前らのケツ位、持ってやるよ」

「ありがとうございます」


 男の表情は、柔らかに変わる。そして軽く頭を下げた。

 ただ、本題はこれから。再び険しい面持ちとなった男は、静かに口を開いた。


「ボス。例の件、予定通り一区画を購入します」

「わかった。準備やらは?」

「イベントには、開店を間に合わせます。ただ有り難い事に、新規顧客が増えておりまして」

「資金面より、スタッフの不足って所か?」

「はい。先頃増やしたスタッフは、研修中です」

「焦っても良い事はねぇ。じっくりやれ」

「畏まりました、ボス。それとご報告が」

「朗報か?」

「ええ。うち以外にも、出店を検討しているオーナーさんが、何人かいらっしゃいます」

「願ってもねぇな」

「おわかりかと思いますが」

「全体の来客数が、水準を超えればだろ?」

「仰る通りです」

「誘致は、お前らに任せる。何れにせよ、既存店舗と競合しないようにな」

「それも含めて、宗岡の兄さんが動いて下さってます」

「あいつを甘やかすなよ。喧嘩しか能がねぇオタクなんて、糞の役にも立たねぇ。せめて顧問の役割くらいは、果たさせろ!」

「相変わらず、兄さんには厳しいですね。充分過ぎ去る程、貢献して頂いてますよ」

 

 それから二人は、書類の確認や予定の擦り合わせ等を行った。小一時間ほど過ぎた所で、忠勝はふぅと息を吐き、お茶を飲み干す。

 男はすぐさま、忠勝にお茶のお代わりを促す。それに対し、忠勝は首を横に振った。


「ボス。ようやく、スタートですね」

「そうだな。でも、まだまだだ。何もかもが足りてねぇ」

「我々がお手伝い出来る事なら、何でも仰って下さい」

「頼もしい限りだよ。これじゃ、どっちが世話になってるか、わからねぇな」

「ところでボス。もしお急ぎで無ければ、少し社内をご覧頂けませんか?」


 ソファから立ち上がり、ドアへと進もうとする忠勝を、引き留める様に男は声をかけた。

 忠勝は立ち止まると、ニヤリと広角を吊り上げる。


「そうか源吾。久しぶりに稽古をつけて貰いたいか?」

「そ、それは」

「冗談だ、本気にすんな」

「す、すみませんボス」

「お前には他の奴等が持ってねぇ、とっおきの武器が有る」

「ありがとうございます」

「じゃあ行くか。案内しろ」

「はい、ボス!」


 忠勝は柔らな笑みを浮かべる。そして源吾は、少しはしゃぐ様にドアを開け、忠勝を先導した。

 

 ☆ ☆ ☆


 廊下を進みドアを開けると、電話の音や話し声が聞こえてくる。勢いが有る、伸び盛りの会社で見られる風景だ。

 別の階には、キッチンや座学用の教室、他にはビジネス関連の訓練施設も存在する。

 更に別の階には、トレーニングルームや捕縄術等の訓練をする道場がある。

 

 各施設で、先輩が新人達を指導している。

 元半グレが、一般の人に技術を伝える。一般の人が、元半グレに知識を伝える。時には叱咤の声が飛び、時には励ます声がかかる。時には笑い声で包まれる。

 活気の良さは、忠勝の知る当時とは比べるまでも無い。それを源吾は、忠勝に見せたかった。

 

 そこは、誰もが平等に切磋琢磨を出来る場所。そこには、忠勝が求めた一つの答えが有った。

 

「ほんとに、よく頑張ったな」 

「はい。みんな、頑張ったんです。どんなに大変でも、食らいついて来たんです」

「こんなすげぇ奴等を見てるとよぉ、馬鹿みてぇに熱くなっちまう」

「確かに、仰る通りですね」

「馬鹿かお前? 俺はお前を尊敬してる! お前は俺の誇りなんだ!」

「ボス……」


 憧れの人に認められた。報われた気がした。目頭が熱くなり、源吾は上を向いた。

 

 一度貼られたレッテルは、容易に剥がせはしない。例え罪を償い出所しても、それは一生ついて回る呪縛の様なものだ。

 信頼を勝ち取る為には、死にものぐるいで努力するしかない。それでも、結果に繋がるとは限らない。

 

 誰でも、手を抜こうと思えば、幾らでも出来る。当然だ、その方が楽だから。

 他人を揶揄して、足を引っ張り、自らを肯定する。皆がやってるから、自分もそうするのか? 違う、それは一時しのぎでしかない。大切な事から目を逸らしているだけだ。

 何故なら、全力を出せる人間は、ほんの一握なのだから。


 ならばどうする? また諦めるのか?

 いや、もう諦めるのは辞めたんだ。辛くても苦しくても、憧れに近づこうと決めたんだ。

 弱いから、クズだから、独りでは出来る自信がない。でも、周りには仲間がいる。力を借りれば、乗り越えられる。

 そうやって、積み上げたものを、今度は次の世代に引き継ぐ。


「まったくよぉ、すげぇ嬉しいな。俺まで、貰い泣きしちまいそうだ」

「すみませんボス」

「謝るなよ、感謝してるんだ。ありがとう」


 源吾は、涙を抑える事が出来なかった。しかしその顔には、今日一番の笑顔が浮かんでいた。

 

 忠勝が彼等を導き、彼等が後輩へ伝える。そうして、想いは紡がれる。心は繋がっていく。

 そんな世界が有ってもいい。それも、幸せの形だから。

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