第28話 番外編 たけしとトイレの話
ここ最近のたけしは、忠勝に叱られる事が減っていた。
多少の生意気なら、忠勝は笑い流す。それは、心の成熟に併せた対応の変化で有り、たけし自身も己の成長を実感していた。
かつて心を失くした子供が、明るく振る舞えるようになった。笑える様にもなった。
紛う事なく、一つのハッピーエンドなのだろう。
しかし、人生はそこで終わらない。それは、経過の一つでしかない。
時には、間違いを正す事も必要になる。それが、大人の役割なのだ。
「たけしぃ! ちょっと来い!」
この日、珍しく忠勝の怒声が、屋内に鳴り響いた。久方ぶりに聞いた怒声は、たけしの体を硬直させる。
朝食後に食器を洗うたけしは、泡だらけの手を水で流し、慌てて声のする方へと駆ける。
そして辿り着いた先では、仁王の様にして待ち構える忠勝がいた。
「トイレは流せ! ガキでもやれる事だぞ!」
この瞬間に、たけしの緊張は和らいでいく。
忠勝の表情は変わらない。それにも関わらず、たけしが普段の様子に戻ったのには、理由が有った。
「なぁんだ、兄貴。それより、見て下さいよ!」
「もう、目に入っちまったよ」
「凄くないっすか?」
「まさかお前。これを俺に見せる為に、流さなかったのか?」
「そうっすよ」
「誰が他人の糞を、見たがるか馬鹿野郎!」
次の瞬間、たけしの脳天に鉄拳が降り注ぐ。そしてたけしは、頭を抱えて蹲った。
しかし、たけしはめげずに立ち上がる。
滅多に見る事が無い物を前に、驚きを分かち合いたい。
その想いには、悪意の欠片すら介在する余地が無く、極めて純粋とも言えよう。
受け止める側は、堪ったものでは無いが。
本来ならば、他人に配慮して然るべき。それは、たけしも理解しているはずだ。
それでも見せたい。その純心に触れ、忠勝は仕方ないとばかりに、表情を和らげた。
「にしても、何だこれ!」
「普通、出したもんは、底に沈むっすよね?」
「たまに、浮いてるのも有るけどな」
「確かに! 有る、有る有る! 有る有る有る有る!」
「有る有る、うるせぇな!」
「こいつは底から伸びて、水面にヒョンって顔を出してるんすよ!」
「水じゃなくて、封水って言うんだ!」
「そういう専門用語は、どうでもいいっす。極太の一本糞なんて、そうそう見れないっす!」
「ったく。こんだけ出せば、スッキリしたろ」
「ケツが痛いっす。尻穴ファンタジーっす」
「もう満足したろ? 健康うんこは、そろそろ流せ!」
「違うんす! 満足しない時が有ったんす!」
「あぁ? まだ続くのかよ!」
「前のも、凄かったんす!」
「はぁ? 何がだよ!」
「三兄弟だったんす。一郎です! 次郎だよ! 三郎さって感じで、三本も並んでたんす!」
「そりゃすげぇな。お前の腹は、どうなってんだ?」
「自分でも、ビックリっす!」
たけしは、身振り手振りを交えて、忠勝に感動を伝えようとした。対する忠勝は、半ば呆れながらも話に付き合う。
それが嬉しかったのだろう、たけしのテンションは上昇し続ける。得てして、そんな時こそ許容範囲を超えてしまう。
「そうだ! 守島さんにも、見せるっす!」
「見せんな! 直ぐに流せ!」
「せめて写真……」
「写すな! 流せ!」
確かに守島ならば、笑ってくれるだろう。あくまでも、付き合いとしてならばだ。
誰が好き好んで、他人の排便を眺めるだろうか? それは守島とて同じはず。
たけしとて、その辺りは弁えているだろう。しかし守島との関係は、純然たる友人とは異なる。
場合に寄っては、パワハラに近い感覚を与え兼ねない。
「つまり、そういう事だ!」
「どういう事っすか?」
「だぁかぁらぁ! 強要するなって事だ!」
「わかったっす」
「本当にわかったのか?」
「トークの腕を、磨くっす!」
「あぁ……、まあ……、ネタにするならマシか」
「それなら早速、写真を撮るっす!」
「だから! するな!」
何度目だろう、たけしの頭に鉄拳が降り注ぐ。流石にたけしは涙目になり、蹲りつつ忠勝を見上げた。
「流したら、早くバイトに行け!」
「片付けが終わって無いっす」
「なら、早く片付けろ!」
「晩御飯は、カレーにするっすか?」
「どうして、そんな発想になるんだよ!」
そうして、慌ただしい朝が過ぎる。
その後、気分を悪くした忠勝が、リフレッシュの為に酒を煽ったのは、言うまでもない。
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