第23話 兄貴と酒屋の改造計画
忠勝が一人の男を伴って、酒屋を訪れた時だった。店に近付くと、歌声が聞こえる。
そこは、一線を退いた者達の、憩いの場となっていた。
歳を取れば、家でも形見は狭くなる。家族が居るなら、マシな方だろう。孤独死が問題になる位だ、独り暮らしの老人は増えている。
そんな者達が集まり酒を浴びれば、自然と愚痴は増えていく。しかし、わきまえた行動が取れるなら、程よい発散になるはずだ。
ただ、皮肉が込められているかは別として、聞こえてくる歌の歌詞は、余りにも暗かった。
「明日は無いさ、明日は無い。歳を取ったし金も無い。明日は無い、明日は無い、独りで死ぬだけさ〜」
忠勝は、引き連れた男と顔を見合わせ、ため息をつく。そして勢い良く、店の入り口を開けた。
「なに陰気な替え歌を、合唱してんだ! 坂本九に謝れ!」
「おう、何だ坊主! いちゃもんつけんのか? あぁ?」
「おい、のも爺! いちいち絡むんじゃねぇ!」
「そうそう。宮ちゃんも、こっち来て一緒に飲んだら?」
「河婆。悪いけど、俺は昼間から酒は飲まねぇんだ」
「そうかい? なら、おやつはどうだい?」
「いや、これはサキイカだろ?」
「何だよ、突然現れたと思ったら、文句ばっかり言いやがって!」
「だから、でけぇ声を出すなよ! 血圧が上がるぞ!」
「坊主に心配される程、落ちぶれちゃいねぇ!」
「だったら、もっと明るいのを歌え! 暗くなんだろうが!」
「ったく、口の減らねぇガキだな!」
「もう! いい歳して、いつも喧嘩するんだから。宮ちゃんは、コーラが良いんだよね?」
「悪いな、花婆」
「いいんだよ」
忠勝が酒屋を訪れる度に、同じ様なやり取りが繰り返される。
常連客は、忠勝を孫の様に思っているのだろう。だから、悪態をつかれても、構いたくなる。
そんな常連達を眺めながら、酒屋の店主は笑う。
レジカウンター前のスペースに椅子を並べて、常連達は昼間から酒を飲み、時には管を巻く。
それ自体は、決して悪い事では無い。店から出て、通行人に絡むでも無く、仲間内で楽しんでいるだけだから。
「所で坊主。今日は何の用だ?」
「野本さんにじゃ無いと思うよ。長さんにでしょ?」
「当たりだ、花婆」
「ん? 何だ、俺にか? もしかして、また看板を変えろって、言いに来たのか?」
「長さん。それも言いてぇとこだけど、今日は違う」
「BAR御影は、そのままで良いんだな?」
「そうは言ってねぇだろ! 何を聞いてやがった!」
「宮ちゃんが俺に用事って、その位だろ?」
「他にも有るだろ? 後継者とかよ」
「そういえば、長さんの息子は、どっかの役員だったね」
「そうなんだよ、河ちゃん。トンビどころか、雀からイルカが生まれちゃったんだよ」
「盛るな、盛るな! イルカを産ませるな!」
「それより長さん。孫はどうしたよ? 前はしょっちゅう遊びに来てたろ?」
「あっさり流すなよ、のも爺!」
「はははっ。のもさん、それがな。最近は連絡もくれねぇんだ」
「そういう年頃か?」
「そうかもしれないな」
店主の表情が少し暗くなる。
息子達と離れて暮らし、妻にも先立たれた店主の生き甲斐は、店を訪れる常連客の笑顔だけになっていた。
仕方が無いと言えば、それまでだ。しかし、寂しさは募る。
歩くのが遅いと邪魔扱いされ、少しでも道徳を説けば老害扱いされる。現役世代からは悪口のネタにされ、仲の良かった者達は姿を消していく。
老いていく程に、孤独になっていく。居場所を奪われ、心の平穏を保てる場所は無いにも等しい。
常連達と店主にとって、この酒屋だけが最後の拠り所だった。
現在、どの位の個人酒店が存在している?
スーパーマーケットやコンビニエンスストアと、戦う事すら出来ずに多くの酒屋が潰れていく。そんな現状で、細々とでも生き延びている。
それこそが、足掻いた証だ。
しかし老いた体で、後どれだけの時間、この店を開けていられる? 体力の持つ限りは、続けていたい。それは数年だろうか? それとも、明日には終わってしまうのか?
考えれば考える程に、不安は募る。だから、仲間の顔が見たくなる。ほんの少しの酒と笑顔が、一時の間だけ不安を忘れさせてくれる。
誰もがそんな思いを、抱えているのだろう。誰もがそんな不安と、戦っているのだろう。
それがわかるから奮い立つ、抗い続けられる。そして、今を抗うならば、応援する者も現れる。
商店街の仲間達、常連客、忠勝、たけし。そしてもう一人、忠勝と共に店を訪れた男が、入り口を潜る。
「じいちゃん、久しぶり」
「洋太! 洋太か? おっきくなったな! 元気でやってるのか?」
「まぁね。元気だけが取り柄だし」
「洋太ちゃんかい? 元気そうだね」
「花川さんも、元気そうで何よりです」
「おっきくなったから、直ぐにわからなかったよ。おばちゃんの事は、覚えてるかい?」
「子供の頃ですし、少し記憶は朧気ですが、河本さんは覚えてます」
「でかくなったな、洋太。いくつになった?」
「野本さん。今年で二十五になりました」
洋太の登場で、店内は賑やかになる。
当然だろう、孫の声すら聞けてないのは、何も酒屋の店主に限った事ではない。
成長しても、幼い頃の面影は残っている。記憶と共に、腰が曲がっていなかった頃へ、戻った気にさせる。
中には、懐かしさの余り、涙ぐむ者もいた。それも仕方が無い。鮮明に蘇ろうとも、それは思い出でしかない。
手を伸ばしても、何も掴めはしない。そこに有るのは、シワだらけになった己の手だけ。
それをノスタルジーの一言で括るのは、些か拙かろう。常連達は、込み上げる様々な想いを、飲み込んだ上で笑うのだ。
側にいれば、その力強い笑顔が眩しく見える。そして忠勝は、洋太に視線を送る。その視線を受け、洋太は大きく頷いた。
「じいちゃん。俺に店を継がせて下さい!」
声を張り上げた後、洋太は深く頭を下げる。事情を察した常連達は、見届けるべく押し黙る。
「洋太、いきなり何言ってんだ?」
「いきなりじゃない。ずっと考えてた」
「でも、お前……」
「俺は、この場所を無くしたくない!」
「だからって、お前が背負う事じゃないぞ!」
「この為に、準備して来たんだ。頼む、じいちゃん。俺に跡を継がせて下さい!」
「はぁ。そんで宮ちゃんは、どこまで関わってんだ?」
店主は、ため息をついた後、忠勝に視線を向けた。それは、子供を守る為なら、どんな脅威にでも立ち向う。そんな強い意思の籠った、鋭い視線だった。
「感が良いと言いてぇがな。俺は、事業計画書を作って、銀行の融資担当を紹介しただけだ」
「銀行って? 金を借りるのか?」
「そこに食い付くな! ひとまず、洋太の頑張りを聞いて見ろ!」
「宮ちゃんが、糸を引いてるんじゃないのか?」
「俺が動いたのは、長さんの為じゃねぇ。洋太に依頼されたからだ!」
孫の目を見れば、本気か否かはわかる。
それでも店主は、真偽を確かめる為に、協力者であろう忠勝を問いかけた。そして、洋太の真剣な眼差しは、店主の心を揺さぶる。
「じいちゃん。俺は造り酒屋で、修行させて貰ってる」
「それを辞めて、こんな潰れかけの店を継ぐのか?」
「潰れかけじゃない! 俺が継ぐんだ! その為に、中学を卒業してから、日本酒を勉強して来た! 日本全国の造り酒屋も、回って来た! 日本中の上手い酒を、この商店街に集めるんだ!」
「お前……。蔵元には、話したのか?」
「相談した。応援してくれるって、言って下さった」
「それなら、俺にも相談してくれれば」
「言っても、あんたは聞かねぇだろ? だから、外堀から埋めたんだ」
「なんだよ! やっぱり、宮ちゃんの入れ知恵じゃないかよ!」
「怒るなよ、長さん。もう、断れないだろ? それに、洋太の夢だ。あんたも、応援してやれよ」
「ったく、仕方がねぇ馬鹿野郎達だな! 本当によぉ!」
ただ嬉しかった、思わず涙が溢れた。酒屋を開いたのは、特に理由がない。だが、この店には思い出が詰まっている。
代が変わり、若い力によって生まれ変わる。それでも、思い出は残り続ける。店と共に生き抜いた証は、消える事はない。
これより嬉しい事は、世の中に有るだろうか?
「まぁ、少しばかり改造が必要だ」
「あぁ? そうか、確かに手狭になるな」
洋太の計画なら、店には多くの酒が並ぶ事になる。店内の改装も必要になる。狭い店舗で、多くの酒を並べるなら、溜り場に出来るスペースは有るまい。
それにいち早く気がついた野本は、声を荒らげる。
「おい! その言い方だと、俺達の場所を、無くすって事だろ? ふざけんなよ坊主!」
「のもじい、勘違いすんな」
「そうです、野本さん。皆さんの場所は奪いません。隣に移って貰うだけです」
「隣は、空き店舗よ」
「確か、前はスナックだったわね」
「当たりだ、ばあちゃん達。まだ呆けてなさそうだな」
「皆さんのご意見を取り入れて、空き店舗を憩いの場にします」
「でもな洋太。隣の家主は、随分前に亡くなったんだぞ。息子さんの連絡先も知らないし」
「心配ねぇよ、長さん。所有者は俺だ」
「はぁ? いつの間に?」
「前に言っただろ。時代の流れに逆らってでも、足掻き続ける覚悟なら、俺が協力してやるってよ」
「でも、宮ちゃん。俺達の為に、改装までする事は無いよ」
「長さん、それも心配すんな。いずれは洋太の嫁さんが、喫茶店をやる」
「何? 嫁さん?」
「これが落ち着いたら、結婚するよ」
それは、唐突な朗報であった。訪れた驚きは、直ぐに喜びへと変わる。そして、再び店内は賑やかになる。
「良かったね、洋太ちゃん」
「良い事は、続くもんだね」
「ここらで、いっちょ締めようか! よ〜おっ、よよよい、よよよい、よよよい、よい! こりゃめでてぇな!」
「のもじい! 長ぇし、ネタが古過ぎんだよ! 田七捕物帳なんて、誰が知ってんだ!」
「私は覚えてるわよ、中村梅之助」
「私が好きだったのは、片岡千恵蔵!」
「萬屋錦之介も、いい男だったね」
「そうねぇ」
昔話に花が咲き始めた所で、忠勝はコーラの代金をカウンターに置くと、入り口に向かって歩きだす。
「何だ、坊主。もう行くのか?」
「あぁ、俺の用事は終わりだ。近い内に、設計事務所を寄越すから、打合せしろ。じゃあな」
「宮ちゃん……。ありがとう」
「よせよ、長さん。仕事だ、礼を言われる事じゃねぇ」
店内では、思い出とこれからの夢を語り、いつまでも笑い声が絶えなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます