第22話 兄貴と悪巧み

 それは唐突の出来事だった。

 朝食の最中に、電話の音が鳴り響く。慌てて口に詰め込んだ物を飲み込み、たけしは受話器を取る。

 時折たけしは、首を傾げながらも、メモを取る。その様子に、忠勝は違和感を感じていた。


 たけしへの個人的な用事なら、持たせているスマートフォン宛に連絡をして来るはず。忠勝への個人的な用事でも、変わりはない。

 固定電話にかかって来るのは、仕事の依頼が殆どだ。この場合、たけしが受けて、その場で忠勝へ繋ぐ。

 要件をメモするのは、忠勝が不在の時だけだ。それなのに、たけしはメモを取った。


 妙な事に巻き込まれなければ、良いのだが。

 忠勝の不信感は募る。そして、忠勝は箸を置くと、鋭い目つきでたけしに問いかけた。


「誰からだ?」

「宗岡の兄さんっす」

「あぁ? 宗岡だと? 何で、固定電話にかけてきたんだ?」

「何か、兄貴には内緒で、頼みたい事が有るらしいっす」

「お前にか?」

「そうっす」

「内容は聞いたか?」

「はい。でも、よくわかんないっす」

「取り敢えず、言ってみろ」

「え〜っと、アキバでもえもえきゅん、だそうっす」

「はぁ? 何かの暗号か?」

「宗岡の兄さんって、スパイなんすか?」

「そんな訳ねぇだろ! どうせ、ロクでもねぇ事だ! ほっとけ!」

「わかったっす」


 宗岡が悪い人間でない事を、たけしは理解している。船釣りロケの際は、予定外の出演が発生した為、依頼料の倍額を支払ってくれた。

 しかし、何かと疲れるのだ。特に相手をするのが。


「でも、兄貴。どうするっすか?」

「どうするって、何が?」

「宗岡の兄さん、乗り込んで来ますよ」

「そん時は、通報しろ。不審者だって言えば、警察だって引っ張るだろ」

「流石に可哀想っす」

「可哀想なのは、絡まれる俺だ!」


 たけしは、忠勝の言葉に頷くと、珍しく顔をしかめた。

 大方の予想通り、宗岡に関しては、通報しても無駄だ。その際、潔白か否かは、関係ない。


 口達者な宗岡は、軽々と警察を言いくるめるだろう。そして、気が付いた時には、リビングのソファーに腰を下ろしている。

 忠勝の親友を自称するなら、その位はやってのける。

 

 宗岡が詐欺師であれば、どれだけの大金を手にしただろう。そうで無い事が、唯一の救いだ。そう考えると、鬱陶しい位は我慢すべきだと、思えてくる。

 何だかんだ言いつつも、忠勝が相手をするのは、そんな理由が有るからかもしれない。


「そうだ、たけし! 守島を身代わりにしよう!」

「はぁ? 兄貴、なに言ってんすか?」

「お前は、未成年だろ? だからバイトの時間は、夕方までだ」

「兄貴が決めたんす。夕飯が遅くなるからどうのって」

「守島は、ラストまで働いてる」

「偉いっす、働き者っす。でも、家事だって大変なんす。理解して欲しいっす」

「そんな守島に、褒美をあげたいと、思わねぇか?」

「思うっすけど、こっちの話は無視っすか?」

「なら、仕方ねぇだろ」

「何が仕方ないか、さっぱりわからないっす」

「たけし。お前は守島と一緒に、秋葉原に行って来い!」

「はぁ? 何で、そうなるんすか?」

「お前ら二人に、休みをくれてやる!」

「宗岡の兄さんと一緒なのを、休みとは言わないっす!」


 守島は、忠勝の信奉者に近い。指示に対して、首を横に振らない。また、宗岡にどんな絡まれ方をされようと、怒りを露わにしないはず。だからこそ、心配にもなる。

 たけしとて、面倒事に巻き込まれるのは嫌だ。しかし、忠勝の指示に逆らいたくない気持ちは、守島には劣らない。

 

 たけしは、葛藤していた。

 宗岡の餌食になる未来しか、想像が出来ない。どうすれば、この事態を上手く乗り越えられるのか。


 答えが出ないまま、時間が過ぎ去る。朝食を食べ終えた忠勝が、リビングのソファーへ移動する。


「まぁなんだ。社会経験になると思って、行って来いよ」

「そんな気分に、ならないんすよ」

「俺らと居る時のあいつは、完全に素だからな」

「余所では、違うんすか?」

「当たりめぇだろ! ウザ絡みする奴が、仕事仲間と上手くやれるはずねぇよ!」

「なら、仕事用の感じで来いって、伝えて欲しいっす」

「無理だな。お前は、ダチ認定されてる」

「うぇ〜!」

「変な声を出すな!」

「だって、無視したって、喜ぶんすよ!」

「大丈夫だ。守島なら、喜んで盾になる」

「守島さんが可哀想っす!」


 珍しく、たけしが声を大にした。そんなたけしを見て、忠勝は表情を和らげる。


 守島は、たけしより少し年上だ。ただし十代においては、たかが一年ですら、大きな経験の差が生じる。

 たけしの様子を見れば、守島が良い影響を与えているのはわかる。

 

 かつて守島は、悪がきグループのリーダー的存在であった。悪がきグループと言っても、大した悪さをしていた訳では無い。

 集まって遊んで、時には行き過ぎて軽犯罪を犯す。喧嘩をして、補導された事も有る。多少は、世間に迷惑をかけだろう。だが、その程度だ。

 ましてや子供とか大人とか、そんなものは関係なく、引き下がれない時は有るだろう。祭りの際に起きた大喧嘩が、その最たるものだ。


 何より仲間が集うのは、社交性の高さに他ならない。それは、接客を卒無く熟す、守島の仕事ぶりを見れば、一目瞭然だ。

 だから、忠勝は期待した。守島ならば、たけしと同じ目線で考え、引っ張ってくれるだろうと。

 そして守島は、忠勝の期待に応えた。


 これまでの守島を見て、忠勝は考えた。

 相手がモンスター級の面倒臭さなら、こちらは、コミュニケーションのモンスターをぶつければ良い。

 これで、ようやく対等な勝負になると。

 

「単に兄貴が、宗岡の兄さんを、苦手なだけっすけどね」

「お前もだろ! それより、守島に連絡を入れておけ」

「二人も抜けたら、ラーメン屋はどうするんすか?」

「今日だけは、俺が厨房に入る」

「兄貴が? いやいや、駄目っすよ」

「あぁ? 俺の腕は、唯一おやっさんに認められたんだぞ!」

「そっちは、心配してないっす。心配なのは、お客さんっす。兄貴が怖くて、麺が喉を通らないっす」

「こんな時の為に、覆面が有るんだろ?」

「プロレスっすか? 余計に怪しいっす!」

「なら、こんなのはどうだ?」

「ヒーローっすか? 何戦隊なんすか?」

「なんだよ、不満かよ! 前に買った、フェイスマスクを付けるか」

「ラーメン屋に、面白さは要らないっす」


 なぜプロレスのマスクや戦隊モノの被り物が、リビングに存在するのか。

 忠勝に、こんな収集癖は無い。たけしが購入した物でも無い。これは、守島が持ち込んだ物で有る。理由は面白そうだから。


 ただ、そんな物が有れば、被りたくなるだろう。忠勝はプロレスのマスクを、たけしは戦隊モノのマスクを、それぞれ被る。

 そして二人は、顔を見合わせ、互いを指差し笑い合う。


 ただ、せっかく被ったのだ、どうせなら誰かを驚かせるのも一興だろう。それに、そろそろ宗岡か守島のいずれかが、ビルに訪れる頃合いだ。

 忠勝とたけしは、互いにサムズアップをして、配置につく。何の打合せも無く行動出来るなら、もはや以心伝心の類いだろう。そして、二人は息を潜めて、時を待つ。

 まぁ、驚かす相手は一般人なので、気配まで消す必要は無いのだが。


 二人の心境を語るなら、かくれんぼの鬼から逃げる子供か、若しくはお化け屋敷のお化け役だろう。

 何れにせよ、ワクワクしている事に違いは無い。


 そして、偶然は重なるものである。まるで運命の様に。


 宗岡と守島が忠勝のビルを訪れたのは、ほぼ同時だった。無論、彼らは初対面である。

 いわゆる猫を被った状態の宗岡は、紳士的な大人に見える。また、本来の守島は、明るく真面目な好青年である。

 そんな彼らが、ビルの玄関先で挨拶を交わす。これから、何が起こるかも知らずに。

 

 ロックが外れると、彼らは揃って入り口を潜る。そして互いに探りながら会話をし、ゆっくりと階段を登る。

 相手が忠勝の友人だとわかれば、守島は無下な態度を取らない。反対に宗岡は、忠勝の知り合いには、気兼ねなく接する。

 しかし、互いを知るには、二階までの道程は短過ぎた。


 彼らがリビングの前に立つと、勝手にドアが開く。ゆっくりと、そして静かに。

 忠勝は言わずもがな、たけしすら出迎える事をしない。不自然に感じた宗岡と守島は、ドアが半分開いた所で中を覗き込む。そして彼らは見た!


「レッド、参上! シャキーン!」


 仮面を被り、ポーズを決めた何者かが、入り口を塞ぐ様に立っていた。

 宗岡と守島は、一瞬は驚くものの、直ぐに冷静に戻る。


 何故なら、ヒーローと呼ぶには、余りにも細い体躯で有ったから。

 ましてや不審者ならば、ポーズなど決めずに逃げ出すだろう。そもそもこのビルは、不審者が出入り出来る程、甘いセキュリティでは無い。

 おまけに、よくよく見なくても、体つきで正体が誰だかわかる。


「たけしさん、なにを」


 鍛え上げた肉体の忠勝ならば、その仮面は似合ったかもしれない。明らかに、たけしには似合わない。

 しかし、たけしは嬉しそうにポーズを決めている。笑うに笑えない状況で、守島が話しかけようとした時、事態は一変した。


 三階からバァンと、大きな音が鳴る。宗岡と守島は、音がする方向へ視線を向ける。そこには、プロレスのマスクを被った、筋骨隆々の男が立っていた。


 注目を集めると、男は水泳の飛び込み宜しく、二階へ向かってジャンプする。男は、途中の踏板に両手をついた後、体を大きく跳ね上げる。

 そして、空中で綺麗に体を回転させて、リビングのドア近く着地した。


 とても人間業とは思えないアクロバットに、宗岡と守島は口をポカンと開ける事しか出来なかった。


「びっくりして、漏らしたか?」

「宗岡の兄さん。漏らしたなら、帰ると良いっす」

「も、漏らして無いし!」

「嘘つけ! ビビリのくせに!」

「そうっす。お漏らしズボンで、ソファーに座らせないっす」

「あの。自分、漏らして無いです」

「よし守島。小遣いやるから、たけしと遊んで来い!」

「ちょっと待って、自分も漏らして無いです」

「真似しても駄目だ。宗岡、着替えて出直せ!」

「せっかく来たのに?」

「宗岡さん。自分が付き合いますよ」

「守島君。君は優しいね」

「守島さん。宗岡の兄さんには、優しくしないで良いっす。調子に乗るっす」

「いや、そんな訳には」

「いいから、秋葉原でも何でも行って来い! 土産は、チーズケーキかプリンな!」

「わかったっす〜!」

「たけしさん。自分もいいんですか?」

「守島さんは、歓迎っす。宗岡の兄さんは、着替えるまで他人っす」

「相変わらず辛辣だよ、たけし君」

 

 たけしは仮面をつけたまま、駅までの道を練り歩き、たいそう宗岡を困らせたとか。

 また、欲しいゲームソフトが有った守島は、希望の商品を手に入れ、宗岡とのゲーム談義に花を咲かせた。

 無論、宗岡の目的で有る、メイド喫茶の取材も済ませて。


 この日、サブカルチャーを思う存分堪能した三人は、土産を沢山買い込む。そして、忠勝のリビングに商店街の面々が集まり、パーティーが開かれた。

 明るい笑い声が、リビングに響く。それは、夜が更けるまで続いた。

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