第20話 兄貴と無頼漢
ビル一階の事務所入り口近くには、PCや事務机が置いて有る。その奥には、各種トレーニングマシンが有り、忠勝が体を鍛えている。
更にその奥には、八畳程の畳が敷いてある。
そこでは、たけしの時間が有る時に、忠勝が護身術の指導をしている。また作業の合間に、忠勝が体を動かす事も有る。
そしてこの日、畳のスペースから激しい音が鳴っていた。
畳の上には、忠勝と男が一人。
男は、忠勝よりも十は歳が離れている様に見える。そして体躯は、忠勝よりも一回りは小さい。しかし身に纏う闘気は、忠勝と比べても、負けてはいない。
そして、両者共に得物を持たず、無手で戦っていた。
ただ、彼らの戦いぶりは、異様であった。
肉体だけの勝負で、何故にグゥァン、ガギンと、鉄骨がぶつかり合う様な、金属音が鳴るのだろう。
拳がぶつかる度に、激しい音が金属加工場の様に、ビルの外まで響いている。
それだけでは無い。スーパースローで撮影しないと、彼らの動きを捉える事は出来ないだろう。
風斬り音と共に、振り出される忠勝の拳は、男に容易く往なされる。対して男が放つ攻撃を、忠勝は受け流しつつ反撃をする。
目では追えない攻防は、数十分を経過しても、決着がつく様子はない。やがて互いが示し合わせた様に、両者は拳を振るうのを止めた。
「忠勝。腕は鈍ってねぇな」
「所で、あんたは何しに来たんだ?」
「いいじゃねぇか。年中暇だろ?」
「暇じゃねぇよ!」
「まぁよ。これから、息子の相手をしなきゃなんねぇんだ」
「あんたの息子って、まだ小さいだろ?」
「そうだけどよ、あいつは化物だからな。その前の、腕慣らしだ」
「腕慣らしは構わねぇけど、自分の息子を化物扱いすんなよ」
数十分も休む事なく動き続けた割に、両者共に息が上がっている様子はない。
やがて忠勝の後に続いて、男は二階へ上がっていく。リビングに入ると、忠勝は男を上座に座らせた。
たけしが居れば、言葉を失っただろう。
傲岸不遜とも言える忠勝が、何も言わずに上座を譲り、自ら飲み物を運ぶ。そんな姿は、見た事がない。
「何だ、ビールじゃねぇのか?」
「昼間から、酒を飲ませるかよ」
「ケチくせえ野郎だな」
「常識人と言え」
「その面で、常識人かよ」
「あんたも大して変わんねぇだろ!」
「けっ、つまんねぇ野郎だな」
男は、不満を口にしながらも、お茶に手を伸ばす。共に出された煎餅を、バリバリと音を立てて頬張る。
明け透けの無いもの言いは、親密度の深さを感じさせる。男は、明るく笑いながら会話を楽しむ。
忠勝もまんざらでは無いのか、いつに無く表情は明るい。
「所で、いつ日本に帰って来たんだ?」
「昨日だな。空港近くのホテルで一泊してから、ここに来た」
「何で、真っ先に俺の所に来てんだ! 家に帰れよ!」
「あぁ? どうしようが、俺の勝手だろ?」
「そうじゃねぇ! 母親は、もう居ねぇんだろ? 小さいガキを一人残して、フラフラ出かけんなよ!」
「仕事だし、仕方ねぇよ。それにあいつなら、心配ねぇよ。金は渡して有るんだ」
「ったく、グレても知らねぇぞ」
「心配は要らねぇ、真っ当に育つ」
「親父がクソだからか?」
「あぁ、反面教師ってやつだ」
親がなくても子は育つ。そのことわざは、子供を放置して良いという意味では無い。
ただ、男の本質を良く知り、抱えている事情も把握しているのだろう。忠勝は、それ以上の追及をする事は無かった。
やがて男は、お茶請けを食らい尽くす。そして忠勝は、追加のお茶請けを、男の前に置く。
気紛れに訪れた者に、忠勝が甲斐甲斐しく動くのも、相当に珍しい。たけしが居れば、ツッコミの台詞を吐いたに違いない。
しかし、当のたけしはバイト中で、ここには居ない。それ故だろう、大人の時間は続いた。
「おっ、そうだ忠勝。俺に娘が出来るぞ!」
「はぁ? あんた、なに言ってんだ!」
「そろそろあの馬鹿にも、母親が必要だろうと思ってな」
「確かに、息子を放置するより、遥かにましだな」
「そうだろ? それに娘は、金髪の美少女らしいぞ」
「これから産まれるんじゃねぇのかよ!」
「いや、連れ子だ」
「出張先で、嫁を見つけたのか?」
「いや、さっきナンパした」
「いい加減過ぎだ、馬鹿野郎!」
「いいじゃねぇか、訳有りそうだったし」
「相変わらずだな、あんたはよぉ」
「そう言えば、お前が拾ったガキはどうした?」
「あんたが見つけて、俺に押し付けたんだ!」
「そう言うな。ガキを育てると、色々と勉強になるだろ?」
「まぁな」
「そうだろ? 教えてるんじゃ無くて、教わってるんだ。育てるんじゃ無くて、育てられてんだ」
「あんたが言うな」
確かに尤もな言葉だが、風来坊の様な男に言われたくは無かろう。ただ彼らにとっては、些末な事だ。
そして話題は、旅先での出来事に移る。忠勝は男の話を、興味深く傾聴した。
忠勝は、金を設ける為に経済関連の知識を身につけた。生きる為に、料理の腕を磨いた。
忠勝は、貪欲に知識と経験を求めて来た。己の身を守る為に、格闘技を身につけた。
それ等の一つ一つが、忠勝の地位を確立させた。しかし忠勝とて、知らない事の方が圧倒的に多い。
男の話は、忠勝の好奇心を満たすには充分であった。
そして、時間はあっという間に過ぎ、昼時を超えても会話は続く。お茶請けを貪った男は兎も角、忠勝は多少の空腹を感じ始める。
そんな時、タイミング良く玄関が開いた。
「おい、客か?」
「いや、たけしだな」
「何でわかる?」
「玄関を開けられるのは、俺とたけしだけだ。それと、セキュリティに登録してねぇ奴が玄関を通過したら、アラームが鳴る」
「徹底してやがんな」
「俺を恨んでる奴は、少なくねぇからな」
男は、多少呆れた様子で口にするが、注目すべきは別に有る。二階で会話していたにも関わらず、一階の玄関が開いた音に、男は気がついた。
この様な者を、達人と呼ぶのかもしれない。
暫くすると、たけしがリビングの戸を開ける。そして目に飛びこんで来た光景に、たけしは立ち竦んだ。
それは、達人が放つ闘気を感じた等と、格闘家の様な理由ではない。忠勝が、上座を譲っているからだ。
この瞬間、たけしの脳は目まぐるしい勢いで、回転していた。やがて答えが出たのか、たけしは深々と頭を下げる。
そして頭を上げた時、振り向きつつ、にやけた笑みを浮かべる、忠勝の姿が映った。
「はじめまして、たけしっす」
「お前、覚えてねぇのか?」
「仕方ねぇよ忠勝。あの時のこいつは、死にかけてたんだ」
「よくわかんないっす。それで、どちらさんすか?」
「それはな、こういう事だ」
そう言うなり、忠勝はキッチンの方角に指を指し、同時に顔もキッチンへ向ける。男は、忠勝に釣られて、キッチンに視線を向ける。
たけしも、同様に覗き込もうとした。
次の瞬間、忠勝はテーブルに突いた手を支えにし、体を回転させて対面の男に蹴りを放つ。
一秒もない刹那の時間。たけしは未だ、顔を動かしている途中。そして遅れる様に、激しい音と風が、たけしを襲う。
たけしは、慌てて視線を戻す。そこには、表情すら変える事なく、忠勝の蹴りを受け止めている、男の姿が有った。
「わかったか?」
「いや、無理っす」
「おい、忠勝! 紹介するなら、ちゃんとしろ!」
「そうっす。兄貴は、脳筋っす」
「そうだ、考えなしの馬鹿野郎!」
「兄貴の、拳骨魔神!」
「忠勝の、アドレナリン星人!」
「ただの悪口じゃねぇか! 調子に乗るんじゃねぇ!」
紹介にしては、乱暴過ぎる。罵声を浴びせたくなるのも、仕方がない。しかし男の脅威は、たけしにも理解出来たに違いない。
忠勝は、再びソファーに腰を下ろす。たけしは、リビングに足を踏み入れる。
そして男は、ようやく自己紹介を行った。
「東郷遼太郎だ。一応、こいつの師匠だ」
「何の師匠さんっすか?」
「見てただろ! 武術だよ!」
「お前、面白ぇな!」
「たまに言われるっす」
「おい! 無視すんじゃねぇ!」
「よし。お前にも、稽古をつけてやる」
「遠慮するっす」
「そうか? 忠勝と違って、俺は優しいぞ」
「嘘つくな! あんたは、鬼だろ!」
「所でお前、なに持ってんだ?」
「まかないの、野菜炒めっす。三人で分けたら、ちょっと足りないっす」
「それなら忠勝、カップ焼きそばを出せ!」
「そんなもんねぇよ! ここで食わねぇで、商店街に金を落とせよ!」
「忠勝のケチ!」
「そうっす、兄貴の意地悪!」
「言いたい放題だな、てめぇら!」
何だかんだと言いながらも、手早く一品を作り上げるあたり、忠勝が遼太郎を慕っている証であろう。
そして騒々しい食事が始まる。
思い出を語るには、足りなかろう。時は駆け足で過ぎ去っていく。たけしはバイトへ戻り、遼太郎はビルを後にする。
しかし、この日の思い出は、それぞれの心に刻まれた。
笑顔と共に。
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