第18話 兄貴と船釣り

 とある平日の早朝、忠勝とたけしは知人に呼ばれ、漁港へ来ていた。

 別に、遊ぼうと誘われた訳では無い。また、新鮮な魚を貰えると、聞いた訳でもない。その理由は、忠勝も把握をしていなかった。


「兄貴。船がいっぱいっすね」

「そうだな」

「何しに、来たんすか?」

「知らねぇよ」

「ここ、どこすか? キャバクラ?」

「それを言うなら、鎌倉だろ!」

「そのカバ村に、何の用っすか?」

「そんな村が、何処に有るんだよ!」

「園内にカバだけって、攻めてるっすね」

「攻めてんのは、お前の頭だ!」

「なんすか? 七三分けとかの方が良かったっすか?」

「七三なら、普通だろ!」

「仕方無いっすね。トイチにして来るっす」

「悪徳金融かよ!」

「それで、結局どこすか? カバ県?」

「カバから、離れろ!」


 相も変わらず、不毛なやり取りなのは仕方が無い。また、忠勝が疲れた表情で、深い溜息をつくのも日常であろう。

 そんな忠勝に対し、たけしはテンションが高い。それは海という非日常が齎す、心の揺らめきなのかもしれない。


「かっこいい風に、まとめても駄目っすよ。結局、何しに来たんすか?」

「それは、俺から説明しよう」


 その時、後方から声がした。忠勝とたけしが振り返ると、妙なポーズを決めた宗岡が居た。

 そして、忠勝とたけしは唖然とし、言葉を失った。


 静寂の時が流れる、宗岡はポーズを決め続ける。

 時が動き出した時、忠勝とたけしは車に向かって歩き出していた。


「たけし。朝飯は何にする?」

「ファミレスがいいっす」

「ファミレスか? たまには行くか」

「ねぇ! 無視して、帰ろうとしないで! 待って、待って!」


 宗岡は、冗談だと思っていた。

 しかし、幾ら語りかけても、忠勝とたけしは歩みを止めない。それどころか、車に乗り込もうとさえする。

 土下座を敢行するしか、宗岡に忠勝達を止める手段は、残っていなかった


 ただ宗岡は、素面でも変わらない。無視されようが、衆目に晒されようが、決してめげない。それが、宗岡の強さで有り、鬱陶しさなのだろう。


「新しいイジメなのかな? そうなのかな?」

「うるせぇな、何の用だよ! 帰るから、ギャラ寄越せ!」

「やだよ。もう少し居てよ」

「宗岡の兄さん。飛び散るキモさっす」

「たけし君、辛辣だよ。僕好みだ」

「近寄らないで欲しいっす。知り合いだと、思われたく無いっす」


 冗談では無く、本音なのだろう。たけしの表情から、珍しく嫌悪感が滲み出ている。嫌いでは無かろう、ただただ相手をするのが面倒なのだ。

 付き合いの長い忠勝は、それなりの距離感を保っている。それを、たけしに求めるのは、些か難しかろう。


「宗岡、そろそろ本題に入れ。下らねぇ理由で呼びつけたなら、直ぐに帰るぞ」

「みゃーさんの、せっかちさん! 実はこのご時世、世代交代で困っている企業が増えてるのさ」

「ほんとっすか?」

「一部ではな」

「それで今回は、テレビの取材なんだよ!」

「あぁ? テレビだと?」

「タイトルは、頑張る二代目!」

「なんか、ドッキリ用の偽番組? みたいなタイトルっすね」

「あぁ、ドッキリだな。帰るぞ」


 実は、偽番組でもドッキリでも無く、とある情報番組のコーナーとして、実在している。所謂、いつもの金にならない依頼である。

 暫くすると、テレビクルーと思われる集団が、忠勝達の前に現れる。また、取材対象の人物も、少し遅れて到着した。


 到着早々に、ディレクターと思われる人物が、宗岡と取材対象の男に撮影の段取りを説明し始める。

 そして忠勝とたけしは、バスの中に連れられて行った。


 暫くすると、撮影準備が整う。そして、女性アナウンサーと取材対象の男が並び、撮影がはじまった。


「はい、今日は平塚市に有る、漁港に来ております。どうですか? 凄い活気ですね! さて、今日の二代目ですが、民宿を営んでいる香山頼母さんです」

「どうも、香山です」

「香山さんは民宿を営む傍ら、釣りを楽しむ方々の為に、船を出しているとか?」

「そうですね。皆さんに、船釣りを楽しんで頂いてます。釣り目的のお客様は勿論ですが、観光目的のお客様にも、楽しんで頂きたいと思ってます」


 かなり練習をしたのだろう、男はスラスラと質問に答える。順調に撮影は進むが、未だ忠勝とたけしの出番は訪れない。


「船釣りを体験出来る民宿は、他にも有りますが。香山さんの宿では、少し変わった工夫をなさっているとか?」

「はい。やはり、メインは釣りです。なので、釣具のレンタルから、販売まで行っています」

「では、手ぶらで訪れても、本格的な釣りが楽しめると」

「はい。初心者の方には、レクチャーを行ってます。気軽に訪れて、頂きたいです」

「さて。そんな香山さんが扱っている釣り用品を、ご紹介しましょう」


 その台詞を合図に、カメラマンが女性アナウンサーの横を撮す。そこには、ライフジャケットや偏光サングラス等、様々な船釣り用具を身に着けた、忠勝とたけしが立っていた。


 当然ながら、宣伝も兼ねている。見栄えを意識し、オシャレなコーディネートとなっていた。

 それ自体は、問題無い。しかし、カメラが忠勝達を撮した瞬間に、ディレクターが声を上げる。


「カメラ止めて! 背の高い方、もう少し笑顔で!」


 サングラス越しでも、忠勝の凶悪そうな顔つきは、隠せないのだろう。しかし、ディレクターの指示は無茶である。

 忠勝は指示に従い、笑顔を作る。何度も、何度も。


 繰り返させられる度に、忠勝は不機嫌になっていく。そして、スタッフ達震え出す。結局は、忠勝を除いて撮影をする事になった。

 また女性アナウンサーも、可愛らしくコーディネートされた衣装を身に纏い、再登場する。


「女子アナも良いけど、たけし君も良い仕事するなぁ」

「てめぇ、たけしを食いもんにするなよ!」

「無い無い! 純朴な少年が、カッコよく変わる。これで、売り上げが跳ね上がるぞ」

「そりゃ、今回スポンサーに入った、メーカーがだろ?」

「流石はみゃーさん、なかなかの慧眼だね。でもさ、香山さんにも、活躍の場を用意してあるんだ」

「それが船釣り体験か? 俺達は必要ねぇな」

「違うね、みゃーさん。賑やかしのお客さんが、欲しいんだ」

「馬鹿か、宗岡! 着替えたからいいけど、あの姉ちゃんは、漏らしてただろ! 俺が居たら、撮影になんねぇぞ!」

「ディレクターもだけどね」

「俺は、どっかで時間潰すから、撮影が終わったら呼べ」

「そうじゃ無いんだ。みゃーさんは、背中で語ってくれないと」

「必要性を感じねぇよ!」 

 

 一通り、釣り用品の説明が終わると、皆が船に乗り込む。しかしトラブルは、まだ終わっていなかった。


 忠勝が乗り合わせた事により、船上には緊張感が漂う。そして運悪く、この日は少し波が高かった。

 ポイントまで辿り着く間に、女性アナウンサーが船酔いでダウンする。その様子に、忠勝は頭を抱えた。


「兄貴が、ビビらせ過ぎたっす」

「俺のせいにすんな! あいつが勝手に、ビビったんだ」

「どうすんすか? 中止っすか?」

「女子アナの代わりを、お前がやるしかねぇだろ」

「嫌っす、無理っす、パワハラっす、セクハラっす」

「セクハラはしてねぇ!」

「まあまあ。もしかすると、好機かもしれないぞ、みゃーさん」


 画面に映えるのは、やはり女性だろう。その為の、女性アナウンサーと言っても、過言では無いはずだ。

 しかし初心者は、時に奇跡を起こす。もしかすると、それを本当のビギナーズラックと呼ぶのかもしれない。


 ディレクターと宗岡が相談した結果、女性アナウンサーに代わり、たけしが釣り体験にチャレンジする事になる。

 これにより、忠勝の眼光は更に鋭くなり、一層の緊張感が漂う。


 失敗しても、再チャレンジすればいい。録り直せばいい、編集で誤魔化せる。強烈な視線を前に、そんな考えは消え失せたのだろう。

 香山は、脳をフル回転させて、ポイントを探す。そしてスタッフ陣は、最高のシーンを撮るべく、意欲を燃やす。

 その一つ一つが、相乗効果を生み出す。


「香山の兄さん、何か引いてる気がするっす」

「慌てるな! 慎重にな! 食らいつく感覚だ! 引け!」


 初心者に、アタリやアワセ等と、専門用語で説明しても伝わらない。また、その技術を求めるべきでも無い。

 そこは、香山の感覚に頼るのが正解だろう。


「よっし! リールを巻け! 良いぞ、その調子! 負けるな、負けるな! 巻け、巻け! 良いぞ、良いぞ! 一気に巻き上げろぉ!」


 魚に針がかかっても、終了にはならない。魚にとって、生きるか死ぬかの瀬戸際だ、懸命に抗うのも当然だ。

 そんな魚と、真剣に向き合い勝負する。それが面白いのだと、香山の熱い掛け声が伝える。


 また、魚に集中しつつも、香山の声に耳を傾け、素直な反応を示す。たけしの真摯な姿は、青くも瑞々しい果実の様に映る。


 たけしは、冷静に闘志を燃やす。香山は、冷静な観察と的確な指示で、熱く、熱く、たけしを支える。

 そして興奮は電波していく。

 

 本来なら有り得ないはずの歓声が、スタッフの間から起こり始める。そして、魚が水面から顔を出した時、それは大歓声へと変わった。


「鰹だ! 大物だぞ、十キロは有るんじゃないか?」

「凄いっす! 凄いっす! 凄いっす!」

「頑張ったな」

「香山の兄さん。嬉しいっす!」


 満面の笑みが、朝日を浴びてキラキラと輝く。そして、ハイタッチと共に響いた音は、友情が芽生えた証にも見えた。


 釣果は充分、撮れ高も満足だろう。しかし、楽しみは残っている。それは、釣った魚を頂く事だ。


 船が港へ戻ると、空きスペースに長机が容易されていた。そこからは、忠勝の出番になる。

 香山が鰹を捌く。その間に忠勝は、硬めに炊いたご飯に、素早く作ったすし酢を合わせる。

 そして、刺し身状に切り分けた鰹を、忠勝は手早く握る。


「美味し〜い!」

「すげえ旨いっす」

「うん、旨い。良い鰹だ」

「たけし、楽しかったか?」

「最高っす!」


 最後は、ダウンしていた女性アナウンサーが持ち直し、撮影に参加する。食べるシーンを撮影し終えれば、後は皆で一緒の食事が始まる。

 鮨、刺し身、タタキ等、鰹尽くしの料理を堪能し、笑顔で撮影が終わった。


 番組の放映後、香山の宿に問い合わせが殺到する。また波及効果か、貧乏商店街にも、人通りが増えたとか。

 そして忠勝は、からかう商店街の面々に、拳骨を食らわせた。


「二度と、宗岡の頼みは聞かねぇ」

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