第7話 兄貴と面倒な魚屋

 商店街には、一風変わった店が存在する。

 やけに行列を作るパン屋だったり、人見知りのマスターが切り盛りするレストランだったり、ヤクザの事務所に間違われる何でも屋だったり。

 中でも、一際変わっているのが、魚屋であろう。


 日が登る前には目を覚まし、車を走らせて市場へと向かう。そして、先代から叩き込まれた、目利きの技術を活かし、同業者に奪われない様に素早く買い付けを行う。

 日によっては、もっと早く出掛け、セリに参加する事もある。

 

 全ては、新鮮かつ良い物を、お客に届ける為。それは、先代より前から伝えられて来た理念で有り、今代の挟持でもある。

 また、明るく威勢の良い様子は、商店街の面々からも、高い評価を得ている。


 ただ今の時代は、個人商店に逆風が吹いていると言えよう。

 多くの個人商店が、コンビニへと姿を変えて、契約の更新が出来ずに閉店している。

 個人商店をコンビニへと追いやったスーパーマーケットでさえ、大型のショッピングモールに押され、生存をかけた方針転換を余儀なくされている。

 

 今代が先代から店を継いだ時には、そこは既にシャッター商店街であった。

 せめて再開発が行われず、商店街が未だ生活道路として利用されていたら、彼の能力は遺憾なく発揮されたのだろう。

 それ故だろうか、今代の魚屋は少々空回りするきらいが有る。


「え〜いっしゃいらっしゃい。安いよ、安いよ〜。今日は鯵がお買い得だよ。塩焼き、南蛮漬け、なめろう、フライ、どんな料理でも旨いよ〜」


 毎日の様に声を張っていたせいか、だみ声になった掛け声が、周囲に響き渡る。

 店の前を通る者がいれば、すかさず声をかける。


「おっ! 奥さん! パン屋の帰りだね! どうだい? 寄ってきなよ! 安くしとくよ!」

「いや、いいです」

「そうかい。今日は、良い鯖も入ったんだ。買ってきなよ」

「だから、いらないって」

「わかった、わかった。奥さんなら、一匹おまけしちゃう」

「ちょっと! しつこい!」


 元々、商店街は人通りが少ない。魚屋は、貴重な機会を逃さんと、食い下がる。しかし、グイグイと迫られれば逃げたくなるのも、人の性であろう。


 ただ、彼は諦めない。

 店の前で、通行人が来るのを待つ事をせずに、大通りまで出て声を上げる事もしばしば有る。

 そこに恥じらいが介在する余地は無い。彼にとって、収入が得られない事よりも、自慢の目利きで仕入れた魚が、お客の口に入らない事の方が怖い。


 そして、無人にしている時に限って、店に寄る者が現れたりもする。何故ならその店は、知る人ぞ知る穴場で有るから。


「鯵っすね。刺し身用なら捌くっすよ」

「じゃあ、お願い」

「美人さんだから、一匹おまけするっす」

「あら良いの?」

「勿論っす」

「それなら、せっかくだから、そこのカンパチも貰おうかしら」

「お目が高いっすね。今日のは脂が乗ってるっすよ」

「一緒に捌いて貰える?」

「わかったっす。すぐにやるっす」


 手早く三枚におろして、刺し身用に切る。ツマや青じそと共に、美しく盛り付けて渡す。そして代金を受け取り、笑顔で送る。

 

 店が無人の際は、商店街の誰かが変わりに対応する。それについて、不満を口にする者はいない。

 それは、商店街の事を思い、魚屋が呼び込みをしているのを、知っているからだろう。

 ただ得てして、しわ寄せを食うのは若手であろう。


「兄貴。そろそろ、店に戻って良いっすか?」

「もう少し居てやれ」

「え〜」

「え〜じゃねぇ! こういうのは、持ちつ持たれつなんだよ」

「何すかそれ? 胃もたれの仲間っすか?」

「誰が、食べ過ぎの話をした!」

「あ〜、兄貴は仙人っすからね。食べる量を増やすと良いっす」

「うるせぇ! 食い物から離れろ! もうすぐ昼だから、政の野郎も帰ってくんだろ」

「店長に怒られたら、兄貴のせいにするっす」

「それで良いから、店番してろ!」


 別段、たけしが来店を察して、駆けつけたのでは無い。

 己の作業を進めながらも忠勝は、防犯カメラで商店街の様子を観察している。適宜たけしに指示して、向かわせている。

 言わば、魚屋が店を空けられるのは、忠勝の功績が有ってこそであろう。


 程なくして、魚屋が戻って来る。そして、たけしの姿を見るや、明るい笑顔を浮かべ手を振った。


「店番、ありがとな。今日は、お前だったか」

「兄貴の命令なら、仕方ないっす」

「いや、ほんと有り難いよ」

「そうすっか。なら、差し入れを期待してるっす」

「ははっ、お前も変わったな。最初の頃は表情が無くて、ロボットみたいだったしな」

「否定はしないっす」

「それにしてもさ。何やっても、上手く行かなかったのにな。ここ一年で、お客さんが増えた。みんな、あんちゃんの、おかげだよ。あんなのを、天才って言うのかね」


 この瞬間、たけしの表情が変わった。明るい笑顔が消え、真剣な面持ちへ。それは、ピリっとした緊張を、魚屋に与える。

 

「兄貴は、天才じゃないっす。誰よりも努力してるっす。天才なんて言葉で、片付けて欲しくないっす。兄貴は、凄いんす!」


 声を荒らげる事なく、その声は低く響く。

 有らぬ誤解を受け続けても、真っ直ぐに前を向く。そんな忠勝を、見てきたからこそ、伝えたい想いが込められていたのだろう。


「半人前なのに、仕事が貰えて、飯が食えて、寝る場所に苦労しなくて。居場所をくれたのは、兄貴っす!」


 矢継ぎ早に、たけしは言い放つ。そして、たけしの言葉は止まらない。


「商店街に人が増えたのも、この街の治安が良くなったのも、全部ぜ〜んぶ兄貴のおかげっす! 兄貴は正義の味方なんす!」

「ったく、うるせぇな、たけし! 政が戻って来たんなら、ラーメン屋に戻れ!」

「でも、おっちゃんが! って、何で兄貴が?」

「お前がいつまでも、ウダウダしてっからだろ!」


 突然、後ろから声を描けられ、驚いた様にたけしは振り向く。その瞬間、忠勝から拳骨を貰い、たけしは蹲る。続いて忠勝の説教は、魚屋に向かった


「政、てめぇもだ! 呼び込みは良いけど、てめぇの客を人任せにすんな!」

「何だよ、あんちゃん。少しでも、お客さんを増やそうと思ったたけだぞ!」

「それが余計だって言ってんだ! お前は、ちゃと足元を見ろ! それに何だこの看板は! てめぇんとこの店名は、魚政だろ!」

「カッコイイだろ? War政!」

「どんなセンスだよ! それに誰と戦うんだよ!」

「世間の荒波と?」

「てめぇが戦うのは、お客様とだ!」


 そして忠勝は、昼時になり増え始めた人通りを指差す。


「いいか? どいつも、てめぇの店には見向きもしねぇだろ!」

「それは、兄貴が怖いからっす!」

「そうだよ。あんちゃんが、怖いからだ!」

「違うわ、ボケ! たけし、お前は、黙ってろ!」

「はいっす」


 忠勝は、こめかみを押さえ、深く溜息をつく。そしてひと呼吸置くと、言葉を続けた。


「この時間に通る人達は、飯を食いに来てんだよ!」

「魚だって、食い物だぞ!」

「違うっすよ、おっちゃん。主食が無いっす!」

「そうだ! その時間に合った物を、提供しろ!」

「そうっすよ。肉屋のおっちゃんみたいに、弁当を作ると良いっす」

「そうなると、寿司か?」

「寿司なら、兄貴が得意っす!」

「それは、すげぇ! あんちゃん、すぐ握ってくれ!」

「黙れ!」


 やかましくなり始めた所を、忠勝が一喝する。そして二度目の拳骨は、たけしと魚屋の両頭に炸裂した。


「たけし! この馬鹿が、寿司を握れるまで、何年かかると思ってる」

「何だよ、あんちゃん。握ってくれないのか?」

「だから、直ぐに頼ろうとするな!」

「なら、どうすれば?」

「簡単っすよ。刺し身弁当なんて、どうっすか?」

「えっ? 何?」

「たけし、それだけじゃ弱い。肉屋とコラボさせろ!」

「良いっすね。ついでに、レストランともコラボっすか?」

「ちょっと待って」

「そうだな。肉屋の弁当、刺し身弁当、それとコラボ弁当が三種類くらい加われば、バリエーションは充分だろ」

「昼限定も、良いかもしれないっす」

「二人共、無視しないで!」

「あぁ。わかって来たじゃねぇか、たけし」

「いやいや、凄いのは兄貴っす!」

「あのさ、俺の話も聞いて!」

「よし! 善は急げだ、連中に伝えて来い!」

「わかったっす!」

「だから、ちょっと待てっよ〜」


 魚屋を置き去りにして、トントン拍子に話は進んだ。そして、たけしは商店街を駆け巡り、忠勝はバイトが欠けたラーメン屋で味噌ラーメンを注文する。

 そして魚屋は、目を回しながら、弁当を作る事になる。


 暫くして、昼限定の弁当が話題になり、昼時の商店街が、更に活気付く事になる。

 それは、忠勝の無茶振りに応えた者達が、勝ち取った証なのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る