第5話 兄貴と夏祭り
株式市場が休みの土日は、少しゆっくりとした朝を過ごす。また、朝食のメニューは、固定されていない。
ご飯と味噌汁を主とした和朝食が有れば、トーストとコーヒーの時も有る。
たけしは、様々な要因を考慮して、朝食のメニューを決める。
例えば、昨晩の忠勝がどんな様子で有ったか、当日の予定が多忙か否か。無論、体調も考慮する。
また、朝食が何で有ろうと、忠勝が不満を口にする事は無い。そして、この日のメニューは、昨夜に残したカレーであった。
「兄貴、今日っすよね」
「あぁ。食ったら出掛けるぞ」
「こんなゆっくりで、良いんすか?」
「準備は、組合の連中がやってくれる」
「そうすっか」
「所でお前、いくつだ?」
「ふたつっす」
「はぁ?」
「なんすか? ふたつは、多いっすか? ブラックは、苦くて飲めないっす」
「誰が、砂糖の量を聞いたんだよ! 年だよ!」
「令和二年っすね」
「今年じゃねぇよ! お前の年齢だよ!」
「知らないっす」
「それじゃあ、話になんねぇよ!」
スプーンを投げつけたくなる気持ちを堪え、忠勝はカレーに視線を落とす。
忠勝とたけしが出会ったのは、つい最近の事では無い。かれこれ、一年が経とうとしている。
しかし未だに忠勝は、たけしという存在を掴みかねている。
人を良く観察していると思えば、何て事の無い場面でヘマをする。話を理解していると思えば、わざと恍けて話題を逸らす節さえ有る。
基本的には賢いのだろう。若しくは、ずる賢いのか。
「何で年齢なんて、聞いたんすか?」
「十八を超えてたら、免許を取らせようと思ってな」
「車っすか? 捕まるっすよ」
「その為の免許なんだよ!」
「いや、人をひいて」
「轢くな!」
「なんすか? ピアノの話題っすか?」
「そっちの弾くじゃねぇ!」
「わかってるっすよ」
「そもそも車の運転は、舎弟がやるもんだろ!」
「力になれなくて、残念っす」
「そうかよ」
時折、上手く躱され、忠勝はしてやられた気分に陥る。やはりたけしは、ずる賢いのかもしれない。
朝食を食べ終えると、忠勝は片付けが終わるのを待つ。片付けが終わると、たけしを助手席に乗せて、忠勝は車を走らせた。
「今回の上がりは、どの位っすか?」
「売り上げの三割だ」
「渋いっすね」
「仕方ねぇよ。今回は売るだけだ、バイトと変わりゃしねぇ」
「それだけっすか?」
「材料代や宿泊代なんかの諸々は、向こう持ちだ。それと、俺の分は歩合に入らねぇ」
「兄貴は、サボる気っすか?」
「そんな訳ねぇだろ! 俺は警備だ!」
「あぁ、喧嘩の仲裁って言いながら、日頃の鬱憤を晴らす気っすね」
「人聞きの悪い事を言うんじゃねぇ!」
たけしが忠勝に話しかけのは、最初のうちだけ。暫く経つと、たけしの口数が減り始める。忠勝がちらりと横を見やると、たけしは寝息を立てている。
これが極道の世界なら、拳骨どころでは済まない。一般的な企業でも、キツく叱られるだろう。
だが、忠勝のルールは、それ等の枠組みには収まらない。
忠勝が命じた事とはいえ、たけしは家事全般を熟している。しかも、日中はバイトをしている。
疲れて当然だ、それなりの配慮が有っても、構わないだろう。
しかし忠勝が、小言を言わずにたけしを放置するのは、優しさとは少し異なる。実の所、寝てくれていた方が、運転に集中出来る。
たけしを放置しつつ、やがて現地に辿り着く。
忠勝は、依頼者である組合の責任者と、段取り等を確認すると、ガス台やボンベ等の道具類をチェックする。また、指定した材料に不足が無いかを確認した。
そんな中たけしは、ぼうっと屋台を眺めた後、ポツリと呟いた。
「りんご飴の方が好きっす」
「お前の好みで、屋台のメニューは決めねぇよ!」
「え〜!」
「え〜じゃねぇ! 売り物を食う気かよ!」
「兄貴の作ったりんご飴は、気合入ってそうっすね」
「気合入ったりんご飴って、どんなんだよ!」
「かじったら、歯がかけるとか?」
「ガラスで作った、食品サンプルかよ!」
「まぁ、りんご飴より、チョコバナナの方が、好きっすよ」
「それ以上、引っ張るんじゃねぇ! その手のは、大して儲からねぇんだよ!」
「だから、焼きそばっすか?」
「そうだ。今から作ってやる。良く見とけよ!」
そう言い放つと、忠勝は両の手で一つずつヘラを持つ。そして、器用に手の中でヘラをクルクルと回すと、リズミカルにカンカンと打ち鳴らした。
忠勝の作る焼きそばは、一般的な屋台のそれとは一線を画す。
焼きそばの主体となる麺は、通常より太い物を用意している。合わせる具はキャベツ、モヤシ、ネギ、それと肉かす。そして味の決めてとなるソースは、市販の物に数種類のスパイスを加えてアレンジした。
また作り方にも、工夫を凝らしている。
先ずは背脂を細かく刻む。そして鉄板の端で、じっくりと火を通す。やがて、背脂から大量の油が出てきて、肉かすが完成する。
次に、出て来た油だけを鉄板の中央に移す。そして、麺をほぐしながら、広げた油の上に投下する。
最初のポイントは、ヘラで麺を鉄板に軽く押し付け、たっぷりの油で揚げる様にして炒める所だ。
これにより、コシのある太麺にカリっとした食感が加わる。
無論、麺に油を吸わせ過ぎない事、炒めた後に余計な油を脇に避ける事も、忘れてはいけない。
続けてキャベツ、モヤシ、肉かすを加え、麺と混ぜ炒める。野菜に火が通る頃を見計らい、混ぜ炒めた物を端へ寄せる。
次のポイントは、麺にソースを直にかけない事だ。あらかじめ鉄板で熱する事で、食欲を誘う香りが辺りに充満する。
その香りが客の足を止め、店に呼び込む。全体にソースを絡ませ、微塵切りにしたネギを加えれば、特性焼きそばが完成する。
「食ってみろ!」
忠勝は、味見用に小分けにした分を、たけしに渡す。それを口に入れると、たけしは目を輝かせた。
「旨いっす! すっげぇ旨いっす!」
「そうだろ!」
「流石っす。何で兄貴が作らないんすか?」
「俺が作ると、筋者にしか売れねぇんだよ」
「そっか、兄貴が怖すぎて、カタギの人等が逃げるんすね?」
「あぁ、ちくしょう! そうだよ!」
「兄貴……。わかる人には、わかるっすよ」
「妙な慰めは、要らねぇよ!」
独りで屋台を切盛りする場合、調理と接客を同時に熟さなければならない。
たけしは、日常的に家事を熟し、調理には慣れている。一度の見本で、模倣してみせた。
また、ラーメン屋での修行が成果を発揮したのか、接客に関しても大きな問題は起こらなかった。
混雑した為、警備の合間を縫って、忠勝が手伝う事は有った。また、予想外の繁盛で食材が足りなくなり、急遽食材を取り寄せる事も有った。
多少のトラブルが有れど、概ね順調に売り上げを伸ばしていく。
そして、土日を通し開催された祭りで、多くの屋台が軒を連ねる中、一番の売り上げを達成した。
「兄貴。たまには褒めて欲しいっす!」
「そうだな、良くやったよ」
「B級グルメグランプリで、優勝しちゃうかもしれないっす!」
「調子に乗るんじゃねぇ!」
「何でっすか? 行列が出来ましたよ!」
「そんなに、甘いもんじゃねぇよ!」
「甘いもんじゃって、チョコもんじゃっすか?」
「何だよ、その攻めたもんじゃは!」
「旨いらしいっすよ」
「いつから、もんじゃの話になったんだよ!」
「兄貴のせいっす」
「俺じゃねぇだろ!」
結局、たけしのペースにハマったのだろう。二人は、もんじゃ焼きで小腹を満たしてから、帰宅する事になる。
そして帰りの車で、たけしが助手席で熟睡したのは、言うまでもない。
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