第4話 兄貴と兄貴の兄貴
ラーメン屋のランチ営業が終わると、夕方からの営業に備えて、たけしは一時帰宅する。
普段なら、たけしと入れ替わる様に、忠勝は散策に出掛ける。しかし、その日は違った。
その日、たけしが帰宅した時、一階事務所の戸が開け放たれていた。中からは、不満を漏らす様な独り言が聞こえてくる。
違和感を感じ、たけしは事務所を覗きこむ。すると、PCの前に陣取り、紙の束をあさりつつ、キーボードを叩く忠勝の姿が見えた。
続けて、事務所の中を見渡すと、全ての窓が開け放たれている。
「兄貴、何してんすか?」
「何って、仕事だよ。今日は、申告の依頼を熟すって言ったろ」
「いや、そっちじゃないっす。何で色々開けっ放しなんすか?」
「あぁ、それか。空調が壊れたんだよ」
「こんな暑いのにっすか?」
「暑いからじゃねぇのか?」
「根性無いっすね」
「機械に根性はねぇよ」
たけしの問いかけに対し、忠勝はいつに無くぶっきらぼうに答える。
暑さで苛立っているのだろう。それを察したけしは、PCデスクの近くに有るテーブルに、買ったばかりのコーラを置いた。
「とりあえず、飲んで欲しいっす」
「あぁ、助かる」
「上の倉庫から、扇風機を持って来るっす」
「そんなもん、有ったか?」
「有るっす。業務用っすけど」
「業務用か……」
「駄目っすか?」
「領収書の束が有るんだよ」
「あ〜。それなら、保冷剤持って来るっす」
「ありがとうな」
たけしは事務所を出ると、直ぐに二階のリビングへ急ぐ。そして、冷蔵庫に駆け寄る。
しかし、冷凍室を開ける事は無かった。
この時たけしの脳は、いつに無く冷静かつ的確な判断を下していた。
たけしの脳裏に過ぎったのは、数日前に購入した暑さ対策グッズの数々である。
無論、空調の故障を予期して、購入したのでは無い。万が一の為にと購入したのが、今回ばかりは功を奏した。
兄貴の事だから、空調機器の修理は手配済みのはずっす。しかも、急がせたに違いないっす。少しの間だけ、暑さを凌げれば、良いはずっす。
たけしは数種類の、暑さ対策グッズを抱えて、階段を駆け下りる。そして、忠勝にグッズを手渡すと、使用方法を説明した。
兄貴分を思うが故の、迅速な対応だったのだろう。
その想い自体は嬉しい。それよりも、優秀な一面を垣間見た事は、忠勝にとって感慨深いものだったのだろう。
グッズを受け取った忠勝の表情は、穏やかなものに変わっていた。
「こっちはもういい。お前は少し休め。飯もまだだろ?」
「わかったっす。でも、何か有ったら、呼んで欲しいっす」
「あぁ、でも充分だ。夕方には、業者が来るからな」
「そうすっか。なら二階に行ってるっす」
「おう」
そして、たけしは二階のリビングへと向かい、忠勝は作業に戻る。
ただ、得てして災難は重なるもの。この日は、空調の故障だけで、終わる事は無かった。
忠勝が作業に集中し始める一方で、たけしは昼食を食べ終え、船を漕ぎ始めていた。
そんな時に限って、突然の連絡が飛び込んで来る。
当然ながら、事務所にも電話機は有る。しかし、たけしが在宅の際は、忠勝が電話を取る事は無い。
習慣とは恐ろしい。ウトウトとしても、ワンコール目で、たけしは受話器を取る。
そして、コードレスの受話器を持ったまま、一階に駆け下りた。
「兄貴、電話っす!」
「お前。何時になったら、転送を覚えるんだよ! 保留はしたのか?」
「してないっす!」
「こっちの会話が筒抜けだろうが! 相手に失礼だろ!」
呆れた様な口調でたけしを叱ると、忠勝は受話器を受け取る。そして、受話器を耳に近づけると、馴染みの有る笑い声が聞こえて来た。
受話器の向こうでは、笑い声が止まらない様子。対応に不手際が有ったとはいえ、失礼極まりない。
電話の先が見知らぬ相手なら、忠勝は直ぐに電話を切っていた。しかし、聞き覚えの有る声だけに、忠勝は笑いが収まるのを待つしか無かった。
幾ら待っても、受話器の向こうでは、笑いが止まる様子が無い。痺れを切らした忠勝は、徐に口を開く。
「そろそろ、止めちゃくれませんか? 兄貴!」
「悪かったな忠勝。お互い、ガキのお守りにゃ、苦労するな」
「まぁ、仕方無いですよ。所で、何の用ですか? このご時世です。兄貴からの仕事を、表立って受ける事は出来ませんよ」
「まぁな。一応お前は、カタギだからな」
「それで?」
「安心しろ。今回は、荒事じゃねぇよ。うちのシマで、毎年祭りをやるのは知ってるな」
「えぇ、勿論です」
「ただな。ちっとばかり、手が足りねぇんだ」
「俺に、テキ屋をやれと?」
「それこそ、このご時世だ。うちの奴らを入れる訳にゃいかねぇ」
「そうでしょうね」
「改めて、組合の連中に連絡入れさせる」
「わかりました。組合経由で、お受けします」
祭りの日時を確認すると、忠勝は電話を切る。そして、フゥと軽く息を吐いた。
その直後、階段を下りる音が聞こえる。恐らく、通話のランプが消えたのを見計らい、たけしが受話器を取りに来たのだろう。
忠勝は、受話器をテーブルに置くと、デスクチェアに腰を下ろし、背もたれに体を預ける。
そして、煙草の箱に手を伸ばし、煙を燻らせた。
「兄貴、受話器」
「俺は受話器じゃねぇ!」
「知ってるっす」
「ったく、お前は! それより、余計な事は言わなかっただろうな?」
「挨拶だけっす」
「なら良いけどよ」
たけしには、適切な応対を身につけさせねばならない。
今回は、相手が旧知の仲だった為、笑って済ませてくれたのだろう。これが新規顧客からの電話なら、信用を失いかねない。
だが、当のたけしは、あっけらかんとしている。忠勝は、片手でこめかみを押さえながら、白い煙を吐き出した。
「所で今の人は、兄貴の兄貴っすよね?」
「それがどうした?」
「兄貴の兄貴は、兄貴なんすか?」
「はぁ?」
「いや、何て言うか。その兄貴の兄貴は、兄貴になるんすか? それとも、でっかい兄貴っすか?」
「何度も連呼すんじゃねぇ! 何だよ、そのでっかい兄貴ってのは!」
「だから、何て呼べば良いのかなって」
「さん付けだよ!」
「そうなんすか?」
「別に俺は、盃を交した訳じゃねぇ。形式的に、そう呼んでるだけだ」
「ちょっと意味がわからないっす」
「お前にとっては、赤の他人って事だ」
「何か、つまんないっす」
「何を期待してたんだよ!」
何度目の溜息だろう。忠勝は深く息を吐き出すと、軽く首を回した後に、天井を眺める。
的外れな問いのせいか、煙草を手にしていた事を、忘れていたのだろう。煙草の灰が、ポトリと床に落ちる。
「あ〜!」
「うるせぇな、何だよ!」
「灰が落ちたっす!」
「あぁ、そうか」
忠勝は体を起こすと、灰皿に煙草を押し付けて火を消す。そして、再び背もたれに体を預けようとした時、たけしの反撃が始まった。
「兄貴! 灰を落とさないで欲しいっす!」
「わかったよ」
「いいや。兄貴はわかって無いっす!」
「何がだよ!」
「この間、カーペットが焦げてたっす!」
「良いじゃねぇか。交換したんだからよ」
「そういう問題じゃ無いっす! 火事になったら、どうするっすか?」
「なんねぇよ!」
「駄目っす! その油断が、火事を起こすっす!」
「あ、あぁ。そうかもな」
「後、落とした灰を、ぐしゃぐしゃ踏み付けないで欲しいっす! 掃除が大変なんす!」
「悪かったよ」
「ついでに」
「うるせぇな! 何で俺が叱られてんだよ!」
徐々に、忠勝のトーンが小さくなる。対してたけしは、ここぞとばかりに責め立てる。
真っ当な台詞が、たけしの口から出て来た事は素直に嬉しい。右も左もわからなかった奴が、正論を説くまで成長したのだ。
しかし、言い負かされた事には、腹が立つ。忠勝は、たけしの言葉を遮る様に言い放った。
癇癪を起こした様に、声を荒げた事が恥ずかしくなったのか、忠勝はくるりとデスクチェアを回すと、PCに向かう。
また、機微に聡いのか、それとも疎いのか。たけしは忠勝の背中を眺め、首を傾げながら、箒で灰をかき集めた。
「そうだ、たけし」
「なんすか?」
「今週末は、空けとけ」
「何でっすか? 週末は書き入れ時っすよ!」
「良いんだよ、そっちが本業じゃねぇだろ! ラーメン屋には、俺から伝えとく」
「それで、何するんすか? カチコミっすか?」
「しねぇよ! 寧ろカチコミなら、お前を連れてかねぇよ!」
「それならなんすか?」
「祭りで、屋台をやるんだ」
「兄貴が?」
「お前がだ!」
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