第24話 「ねえヤナセ、まだ私を描きたい?」

「やっぱり病気じゃなかったんだ」

「まあね」


 サエナは部屋の中にワタシを入れた。きちんと片づいた部屋。そして実に女の子な部屋だ。

 本や画材や紙やCDが散乱しているワタシの部屋とは大違いだ。

 それはそれで散乱しているなりに秩序はあるのだが、やっぱりそういうものが部屋の大半ではない女の子の部屋というのは、何か違う。それに輪を掛けてサエナだ。

 でも。


「机はないの?」

「あまり好きじゃないの。だいたいこの上で済ませてしまうわね」


 温かいお茶を乗せた白木のテーブルを指す。ワタシはお茶を入れたコップを手に取る。入っているのは、紅茶だ。そしてコップは、持ち手の無い淡い色の陶器。紅茶の色が良く映える。

 その手の中の暖かさに、ようやく何かワタシはこわばっていた身体がゆっくりと緩んでいくのが判る。


「で」


 とん、と彼女は一口自分の紅茶を口に含むと、コップを置いた。


「どうしたの?さっきひどい顔色だったのよ」

「そんなにひどかった?」


 彼女は迷わずにうなづく。


「痴漢に会ったんだ」


 え、と彼女の眉が大きく寄せられる。


「それホント?」

「ホント。後ろから抱きすくめられた」

「やだ…… ヤナセ…… それって……」


 声が震える。

 彼女はそういうのをひどく嫌う。

 時には、雑誌に書かれた相談や、ラジオのハガキに書かれたそういう内容にも、ひどく、そんなことがあることに対して怒るのだ。


「何とか、それ以上のことはされなかったけどさ」

「よかった」


 ふう、と息をつく音がする。テーブルの上に置かれた拳をぎゅっと握りしめる。


「ヤナセが、そんなことされたら、私は絶対その相手を許さないと思う。ううん絶対許さないわ」

「まあでも逃げていったから――― サエナも気をつけて」

「私のことは今はどうでもいいわ、あなたが心配なのよ」

「ワタシが?」

「どうして、ここに居るの? ヤナセ」

「どうしてって」

「私のこと、心配して来てくれた? そううぬぼれてもいいのよね?」


 ワタシはああ、とうなづく。


「ありがと。でも、そんなに…… 今は大丈夫」

「また、無理してるんじゃないの?」

「違うの。ただ、考える時間が欲しかったから」


 そう言ってから、彼女は一度目を伏せた。


「ヤナセのことだから、私が昨日ああだった理由、もう知ってるんじゃない? 私は結局生徒会室に行って、ああだったんだし」


 窓のことには、気付いていないのかもしれない。気付いていて言わないのかもしれない。


「コノエ君と、会ったけど」

「うん」

「寝てるような仲だけど――― でも別に、カナイ君が本命ではないし、カナイ君もコノエ君が本命ではないって―――」

「そうね」


 さらりと彼女は言った。落ち着いた声だ。言ったこちらのほうが、心臓がどぎまぎしている。

 まだ先ほどの興奮状態が治まっていないのか。薄い皮膚の、一枚下で、何かひどくわさわさとしたものが、動き回っているような感覚。思わずワタシは服の上から腕を押さえ込む。


「何となく、思ったわ」

「どうして?」

「あの子は、誰も本気で好きじゃないもの」


 冷静な目。


「奇妙なくらいに、彼はそういうの、が昔から無いのよ。すごく好き、とか、どうしようもなく好き、ってのが無いの。それは――― そうね。学校でやることにしてもそうらしかったし、部活動だって、こなしている程度だったらしいし――― だから私、あの子がバンドやるの、ちょっと怖かった」

「怖かった?」

「何か、それまでのものと違うように見えたの。―――何だろ。何って言うんだろ。歌うことは好きだったようだけど――― 何か―――」


 彼女は首を傾げる。 


「それでいて、あの子は、舞台映えするわ。本気になったら、どうなるのか、考えるのが怖かった」

「でも過去形?」

「今でも怖いわ。彼が本当に本気になったら、私のことなんか、もう見向きもしなくなるんじゃないかって、今でも怖いのよ。今はまだ、うるさくするからそれに逆らいたくなるって感じがあるじゃない。私に対しても。でもそれすら何か、飛び越して、何処かへ行ってしまうような気がするのよ」

「置いていかれる?」

「そ」


 彼女はうなづいた。


「だから何って言うんだろ…… ずっと、今日は考えていたのよ」


 勤勉な彼女が。わざわざ学校を休んで。

 確かワタシの知っている限りは皆勤賞ものだ。いまどきの高校生としては、滅多にいないくらいの。


「ヤナセ心配してくれたのよね。すごくそれは、私嬉しいのよ。ホントに。ねえ知ってる? 私この部屋に、友達入れたの、初めてなのよ?」

「ホントに?」

「ホント」

「何で」

「入れたくなかったんだもの。ここは私の部屋で、私の、私が私で居られる唯一の場所だったから。優等生とかいい子とかそういうのどうでもよくなるのがここだったから。でもそれもちょっと疲れていたのよね。きっと。だからきっとわざわざあの学校選んだんだわ。―――でもやっぱり優等生してしまうんだけど」


 彼女は苦笑する。


「でも、あの学校には、あなたが居た」


 ざわ、と皮膚の内側がざわつく。


「ねえヤナセ、まだ私を描きたい?」

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