第19話 何を今更、と

「何か」


 彼女は頬杖をついて、ため息をついた。そのため息をついた様子はなかなか悩ましげでよろしい。不埒な考えが頭の中をよぎる。


「疲れちゃった」


 何を今更、とワタシは思う。



 新学期が始まり、秋風が吹くようになると、サエナの生徒会の仕事はクライマックスに近づいた。

 学園祭があるのだ。

 とりあえずこの学校はお祭り騒ぎは嫌いではないので、それなりに事前準備も当日もにぎわう。

 ただ、それは伝統であって、それ以上のものではない。講堂がその日ばかりはライヴハウスのようになろうが、劇場になろうが、それはあくまで伝統であって、それ以上でもそれ以下でもない。

 先輩がそうしてきた。それを先輩から聞いてきた。だから自分達もそれをやろう。それだけのことだ。

 ところが、サエナはどうもその状態を「もっと」活発にさせたいと思ったらしい。

 ワタシはそれを彼女の口から聞いた時、不安は走ったが、あえて口にはしなかった。


「生徒会主催で人気投票をしようと思うの」


 なんて楽しそうに言う彼女の前で、それは失敗するよ、なんて言える訳がないではないか。



 実際、それは失敗だった。

 いや、一応投票も行った。それを発表する準備もあった。

 どちらかと言うと、その発表の方に彼女は心が向いていたらしい。

 そこには彼女の思い描く、何やらの明るい光景があったはずだ。想像はつく。とても正しい彼女だから。

 だが。

 文字通り、ふたを開けてみると、そこにあったのは、白紙の投票ばかりだった。

 ちらほらと「一番良かったもの」を書き込む票が無かった訳ではなかったが、講堂を出る生徒の手から離れた投票用紙には、何も書かれていないものが大半だったのだ。

 そして時々、妙に文字が書き連ねてあるな、と思えば、「学園祭は皆が楽しむ場であって、決して競う場ではないでしょう?」という意味の感想とも忠告ともとれる文章があったともいう。

 ワタシは、と言えば、彼女の好きな一つ下の「カナイ君」がその友達と組んだバンドが奇妙に記憶に残っていた。記憶に残っていたことに、自分でもなかなかびっくりしたのだが。

 彼には特徴が無いと思っていたが、どうも声には特徴がありまくっていたらしい。あの声は、異質だ。

 そしてまた、意外なことに、あの「マキノ君」がベースを持ってステージに上がっていたことだ。それもかなり上手い。

 他のメンバーが、カナイ君を含めて、おそらくはこの学園祭のために組まれた、急こしらえのバンドであるのが丸わかりなのに、彼だけは、ずいぶん上手かった。

 そのことをサエナに言ったら、彼女はこう答えた。


「ああ、あの子ピアノやってるから、他の楽器もやっていたんじゃない?」


 それは初耳だった。

 そういえば、時々ピアノ室方面から、放課後に音が聞こえることがある。彼とは限らないが、彼かもしれない。

 彼女はカナイ君がバンド出演することに妙に気を揉んでいた。


「何で?」


 追いかけて、捕まらなかったという日に訊ねてみた。


「教師ウケが悪くなるって冗談はヌキにしようよ」

「ヤナセは最近どうしてそう勘がいいのよ。そうよ、私あの子が、声いいの知ってるし、舞台映えいいの、知ってるのよ」

「そうだったの?」

「近所の子供会とかで、劇とか歌とかやった時。別にこれと言って、熱心に練習とかする訳じゃないのよ?なのに、本番になると強いの。妙に、度胸が座るらしいわ」


 はん。ワタシはその時ぴんと来た。


「もしかして、サエナあんた、そういう時の彼を見て、好きになった?」

「そうよ」


 そう言って彼女は眉を寄せ、顔を伏せる。照れているらしい。頬が染まっている。


「だけど、それはこの学校の連中は大して知らないはずなのよ。だってあの子は学校ではそういう活動していないはずだもの。動きの一つ一つが目を引くの。それにあの子、ちょっと変わった、妙に響く声してるのよ。音楽の授業とか向きじゃないけど、何かそういうとこ出ると、すごく映えるの」

「それであんたは、それを、他の女子に見せたくないんだ」

「ヤナセは意地悪だわ」

「だってそういう時のあんたは実に可愛い。そういうあんたを見せればいいのに。彼にも」


 実際そう思うのだ。本当に好かれたかったら、彼女は姉さん顔でもなく、生徒会長でもなく、この姿をも見せればいいのだ。


「ホントにヤナセって、いい性格。夏休み終わってからあなた絶対そうよ。何かあった?」


「―――市に行ってきたけど」

「―――市って」

「先輩のとこ」


 うめくように言っていた彼女は、伏せていた顔を上げた。


「先輩のとこって…… 例の?」

「そ。んでもって、泊まってきました。聞きたい?」

「言ってくれるの?」


 顔全体が笑みにあふれる。ああ全く、何て。ワタシはうなづく。


「行ってきて、泊まって、彼としました」


 どぉ? という視線をワタシは彼女に向ける。それは彼女の期待するものだ。ワタシに彼氏の一人も居た方がいい、という。


「良かった! それでずいぶんヤナセ、夏休みのあの後、変わった感じがしたんだ」

「変わったかな?」

「うん。だってあなた、何かしばらく夏休み前、元気なかったから」

「―――ああ」

「でも好きな人と会うってのはいいわね。やっぱり」

「サエナは?」

「何? 好きな人にはどうにもならないの、ヤナセだって知ってるじゃない」

「そうじゃなくて、サエナは、彼としたいと思う?」

「え」


 彼女は目を大きく広げて問い返す。こんな質問が来るとは思わなかった、という顔だ。

「……したいって」

「だから、彼とやりたいかって。セックス」

「ヤナセ」


 困ったように、目を細める。だが今度ばかりは、はぐらかさない。


「駄目だよ、サエナ。だって、好きってのは、そういうことだよ。結局」


 これは、本当だ。結局、そういうことなのだ。


「時間と、生身の身体がいつもそばにありたいってことだよ。距離を縮めたいってことだよ」

「ヤナセ!」


 そんな泣きたいような顔をされても。

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