第18話 窓を開けはなっても、真夏の夜は暑い。
「絵を…… 彼女の絵を描いているから視点が、だんだん妙になっていくんだ、て思って、いたんですよ。だけど違う。スケッチブックを閉じてもそうだった。頭の中が、だんだん混乱してく。どうして自分がこんなこと考えているのか、判らなくなってく。なのに、考えることを止められない。止められないんです。彼女が、あの一つ年下の子のことを話すたびに、ワタシは、胸の中がざわつくのが判る。判るんです」
「……俺も」
「先輩も、そうでした?」
「今でもそう。奴が彼女と一緒に居る。彼女は奴の腕に触れる。奴は彼女の腰に手を回す。その手に力が籠もる。それでいて俺も一緒に呑みにいかないかって誘う。悪気が無いから、俺は余計に」
悪気はない。そう、悪気は、絶対に、無いのだ。
ただ、「違う」のだ。サエナも、イクノ先輩も、それを見ているワタシやナオキ先輩とは。「違う」だけなのだ。
そしてその「違い」は、それだけのことなのに、ひどく圧倒的で。
「時々、何で、そんな奴を好きになってしまったんだろう、って思う。だって、長いつきあいだから、色んなとこを見てきてる。いい所もあるし悪い所もある。どうしようもなく許せない部分もあるんだ。だけど、それでも、奴がそこに、そうしていると、その全てが、どうでもよくなってしまうんだ。そう思う自分が時々、嫌になるのに、それなのに、俺はどうすることもできない」
ワタシはうなづく。
「言ったら、終わり」
「そう言ったら終わりだ。奴は、俺がそんなこと考えてるなんて、夢にも思わない。いや、世間にそういう奴が居るってことも、自分とは絶対的に別世界だと思ってるんだよ。永久に出会わないって」
「サエナもそう。気持ち悪いって言っていた。頭がどう判っても、気持ちが、って」
なのに。
「なのにワタシはそういう彼女に、どうしようもなく、惹かれるんですよ。ワタシには、絶対に無い部分だから」
「それはあるよ。俺にも――― 俺は、どう転んでも、奴のようにはなれない。なりたくもない。絶対なれない。だけど、絶対に無いものだから、どうしようもなく、それが時々欲しくなるんだ。無い物ねだりだ。判ってる。判ってるけど―――」
「だから」
ワタシは背中に当てられたままの、彼の手を取った。
「先輩には、触れてもいいんでしょう?」
「ああ。俺も、お前には、触れてもいいんだろう? お前はここに来たんだから」
誰かに、触れたかった。どうしようもなく、触れたかった。
彼女に対する気持ちが、脹らめば脹らむほど、彼女に触れられないことが、ひどく辛くなった。
身体は、それを求めている。だけど、頭が、それをいけない、と止める。彼女が好きなら、一緒に居たいなら、絶対に、触れるな。
床に座っていたワタシ達は、そのまま床に、転がった。
「どうしたのこの腕」
何度もかきむしられた左手を取ると、彼は、つぶやいた。
何でもない、とワタシは彼の背と首に手を回した。
窓を開けはなっても、真夏の夜は暑い。なのに、この、じっとりと汗ばむ程の、熱さが、手に、腕に、胸に触れる質量が、ひどく心地よい。
欲しかったのだ。
現実の、重さを持った、それが、どうしても。
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