第14話 判ってはいたけど。

 ふう、と彼女はため息をつく。  


「男の子って皆そうなのかしらね。それとも彼が特別そうなのかしら」

「何が?」

「いつもいつもクラスの男の子達とばかり遊んで」

「結構コノエ君に気があるのだったりして」

「そんなことないわよ!」


 いきなり彼女は大声を立てた。驚いた。さすがのワタシも目を丸くした。


「あ、ごめんなさい。だけど」

「いいよサエナ。だけどあんたは、そういうの、駄目なほう?」

「そういうの?」


 彼女は眉をひそめる。ワタシは注意深く言葉を選ぶ。


「だからさ、男子生徒同士が」

「嫌よ」


 言葉は半分まで言わないうちにかき消された。胸にひりつく痛みが走る。


「だって…… やぁよ」

「何で?」

「何でって…… そんなの判らないわよ。ただ、何となく、嫌なの」


 ふうん、とワタシはそれまで中断していた作業を再開させるフリをする。閉じた自分の唇が、微かにぶるぶると震えているのが判る。


「そうだね、何となくってのは確かに、一番強い理由かもね」

「信じられない、って思う――― そりゃ、個人の自由だとは思うけど…… 何か、やだ」


 ざっ、と鉛筆を走らす音が耳に届く。


「ほら、クラスの中にも時々、そういうの、好きな子いるじゃない。別にそういう話しているのは構わないけど…… その子達の持ってたマンガとかちょっと見た時、気持ち悪かった。だって…… 結構、露骨だったし……」


 ああ、腐女子ってやつか。どういうものを見せられたかは予想がついた。場をわきまえろ場を。


「ヤナセは?」


 ざっ。

 ワタシは唇の震えを一度かみ殺すと、顔を上げた。

 言葉を探す。当たり障りのない言葉を。この聡い彼女に、気付かれないよう大急ぎで。


「ワタシは別に」

「そう?」

「別にそれは人の勝手だし」

「それはそうだけど。だけど身近な人がそうだったら、何か、すごく、やだ。身勝手な考えかもしれないけど」

「だけどその人は本気かもしれないよ?」

「それはそれよ。あくまで私の感情のことを言ってるんだってば」


 そうだね、と短く言うと、ワタシは再び顔を紙の上に戻す。もう一度、唇を噛む。

 すると、ず、と椅子を寄せる気配があった。近づいてくる。


「何か怒ってる? ヤナセ」

「別に怒ってないよ」

「だけど不機嫌そう」

「気のせいだってば」

「うそぉ」


 そしてひんやりとしたものが、両頬に当てられたと思うと、ぐっと首は、上を向けられた。こんなに、冷たい手だった?


「ほら仏頂面してる」


 違う。知らなかっただけだ。彼女の手が、こんなにひんやりとした乾いたものということを。

 どんな火照りが頬にあったとしても、それを一瞬にして正気に戻すような。

 なのに、どうだというのだろう。彼女の顔を正面から見たことが無い訳じゃない。なのに、どうしてこうも、心臓の音が響いてくる?

 離して欲しい、とワタシは思った。

 笑顔を必死で作る。

 ああきっと歪んでいるはずだ。苦笑に見えたら上等。鉛筆を持ったままの手で、ワタシは彼女の手を外させる。

 舌はちゃんと回るだろうか。回ってくれ。回ってくれなくては困る。


「そんなことないって」

「そぉ?」

「うん。それよりサエナ、頼みがあるんだけど」


 何? と彼女は不思議そうに首を傾げる。


「あんたを描いてもいいかな?」

「私を?」


 本当はこの閉じたスケッチプックの内側は、彼女の姿で一杯だ。

 彼女が知らないだけで。きっとそう言えば彼女は許してくれるはず。そう思っていた。

 だが。


「ごめんそれは止して」

「何で」


 彼女の表情が曇る。これは予想外だった。


「私は自分の姿は好きじゃないから」


 そう言ってサエナは、笑顔を作った。そしてもう一度、ごめんね、と言って立ち上がった。


「じゃも少し仕事が残ってるから、行ってくるわ。遅くなると思うから、今日はここでさよならね」

「うん。あんたも気をつけて」

「ヤナセもね」


 ひらり、と軽快ないつもの足取りで彼女は扉を開けて、閉めた。

 ワタシはその音が耳に届いた途端に、大きく天井をふりあおいだ。手にしていた鉛筆が、力を無くした手から落ちて床に転がる。

 判っていた。判ってはいたけど。

 ひどく、胸が痛い。

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