第13話 『できれば、判らない方が楽だけどね』

「―――と思うんですけどね」


 向こう側で、笑う気配。

 卒業式の日、手首に書かれた住所と電話番号は、机の上の卓上カレンダーに引っ越した。

 さすがに遠距離も遠距離なので、そうそう回数も時間も掛けられないが、ワタシは時々、向こう側の先輩と連絡を取っていた。


「何で笑うんですか」

『だってあまりにもお前らしすぎ』


 ワタシも苦笑する。

 不思議なもので、それまで面と向かって話すと話せなかったことが、電話を通すと、妙に気楽に口から出てくる。

 それは向こうも同じだったらしい。ナオキ先輩の口調からは、同じ種類の、吐き出し口を求める気分があふれていた。


「そっちは、どうですか?」


 ワタシは「そっち」での彼の思い人のことを訊ねる。


『うん、元気だね。ちょっと前が、新入生歓迎シーズンの真っ盛りでさ。奴の大学、お城の門から入るだろ』

「お城の門ですか」

『そ。城下町だからね。俺のとこはそうでもないけど、あのあたりは結構観光地にもなってるからさ。歓迎会とかもうどんちゃん騒ぎ』


 へえ、とワタシはくすくす笑う。


「先輩はどうですか?」

『うちの大学も結構いいよ。エントランス入ると、でかいニケが居るの』

「でかいんですか?」

『でかいんだよ。一つ一つの教室は決してでかいとかいうんじゃないけどさ。ちゃんと図書館には、美術関係ばっかり』

「いいなあ」

『お前は何やりたいか、判ったの?』

「まだ。でもたぶん純粋絵画ですよ。先輩確か、商業デザインでしたっけ」

『そ。上級生の話聞くとさ、新しい店の開店を予想して、広告計画を立てる、とか、パッケージをデザインして紙の段階から考えて試作品を作る、とか何かすごい、トータルなことできそうで、俺は結構わくわくしてる』

「へえ」


 それは確かに、彼の口調からも想像できた。


『ま、そういうのもありだし、単にイラストレーションを卒業制作に作る人も居るみたいだし。ああ、卒業制作のパンフレット見せてもらったんだけど…… おいヤナセ、聞いてる?』

「聞いてますよ」


 何か妙に楽しい。今までただ突飛な行動はしてきても、ワタシ達の前では先輩先輩してきただけの人と思っていたのに、こうも、冒険に出かけたような子供の口調で話すとは。

 目を閉じて、端末の向こう側の相手の声に神経を集中する。


「ただそういう先輩の話、聞いてると、色々考えてしまうんですってば」

『考えるのはいいことさ。思考を惜しむとだんだん頭も鈍るからね』


 そうですね、と言いながらワタシは頭の半分で考える。

 何をしたいんだろう。

 確かに絵を描くことは好きだが、それを仕事にしたいのか、それともただひたすら趣味の範囲で好きな様に描いていたいのか。それすらもまだ今のワタシには判らない。


「やっぱり予備校とか行った方がいいですかね」

『まあ受験のテクニックとか知るにはな。あれは便利は便利だ。客観的に例えばデッサンの狂いとかは修正できる。だけど好きかどうかというと別だよな』

「そうですか?」

『俺はデッサンってのは、確かにちゃんと形を捉える訓練だとは思うんだけどさ、それ以上に、ちゃんと形を捉える目を作る訓練だと思うんだよ』

「と言うと?」

『だから、人間の目だからさ、絶対見ているものに何かの気持ちが入り込んでしまうだろ?だけど、だんだんそこにあるものを見つめていくうちに、何か、頭の中で考えることが消えてくんだ』

「思考を惜しむと馬鹿になるんじゃないですか?」


 ワタシはくす、と笑った。


『ったく揚げ足取りだなもう。つまり感覚と手が、直結するって感覚。お前判るか?』

「……ああ」


 思わずワタシはうなづいていた。


「それなら、判る」

『だろ? だからその感覚とか、目と手を直結させる訓練というのは判るんだけどさ、それを何時間以内に完成させるためのテクニックって奴をああいうとこでは習うんだよ。悪くはないさ。それは手順としては確かに正しいんだと思うんだよ。だけどさ』

「何か違う」

『そう』


 ワタシは再びうなづいた。


『いやたぶん、ある意味間違ってはないとは思うんだ。その学校でやっていける能力を推し量る意味だからさ。ただ、ああいう所に行っていると、どうも周囲が、訳判らなくなってきたからさ』

「どういう風に?」

『目的と手段がさ、逆転してる感覚って、お前判る?』

「いまいち」

『あくまで、デッサンも、平面構成も、その大学なら大学で、学ぶための基礎の基礎だと思うし、その大学だって、あくまで手段じゃないかな、と俺は思うんだけど』

「先輩」

『何だよ』

「もしかして、落ち込んでません?」


 ばれたか、と向こう側の声は答えた。


『で、お前はどうなんだよ』

「ワタシですか? 未だに判りませんよ。何にも。進学のことも、サエナのことも。先輩は、いつ気付いたんですか?」

『俺は外部生だったからね。高校入ってからちょっとしてから。別にその趣味はなかったから、気付いた時にはかなりのショックだったね』

「先輩でも?」

『そりゃそうだろ』

「じゃあ、それはどういう感じ、なんですか?」

『どういう感じって?』

「判らないんですよ、ワタシには。誰かを特別に好き、という感覚が」


 ヤナセ、と相手はワタシの名を呼んだ。


「いや特別、は判るんですよ。サエナは特別。だけどその特別が、先輩の言う特別とは、どう違うのかどう同じなのか、ワタシには判らないんですって」

『できれば、判らない方が楽だけどね』


 やや自嘲気味の声が届く。


「でも、判る時には、判ってしまうよ。それだけは俺も言える。判らなかった方が良かったかもしれないって、今でも思ってるからね』


 そういうものだろうか、とワタシは思う。

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