第48話「部活動スタート④」
「せんせー、さっきの授業で質問なんだけどー」
翌日、現代文の授業の後、馬淵しえりはノートを片手に教壇に居た俺の元へやってくる。
「しぇりーが書いたこの答え、模範解答と違うけど、これだとバツかな?」
「見せてみろ」
馬淵の書いた答案を読み、俺は答えの内容を吟味する。
「まあ、これも正解でいいだろ」
馬淵の答えは良く書けていた。
「ほんとに? よかった。せんせー、ありがとう」
そう言って、にへらと笑う。
馬淵は遊んでそうな見かけに反して、意外に真面目な奴だ。成績はトップというわけではないが、どの科目も平均以上を取れている。
これでこいつに変に秘密を握られていなければ、「かわいい生徒」としてみることができるというのに。
「あと、もう一個聞いてもいい?」
「なんだ?」
休み時間の教室はうるさい。男子生徒同士がじゃれ合いふざけている声や女子生徒の姦しい声が響き渡っている。
「せんせー、文芸部の顧問になったの?」
俺は先程の授業の最初に文芸部の勧誘をしていたのだ。
「そうだよ」
「なら、しぇりーも見学に行っていい?」
馬淵はそんなことを楽しそうに笑って言った。
正直、部員は一人でも多く欲しいところであったし、彼女の提案自体は渡りに船であった。
「いいぞ。また、来週部会があるから、そのときに見に来るといいだろう」
「わかった、そうするね」
馬淵は無邪気に笑ってそう答えた。
このときの俺はまだ考えが甘かったのかもしれない。
馬淵しえりが何を考えて、文芸部に見学に行きたいと言い始めたのか。その意味をもっと考えてみるべきだったのかもしれない。
そして、迎えた部会の日。
「今日は、よろしくお願いしまーす!」
馬淵しえりは、元気よくそう叫んで、文芸部の部室に入ってきた。
そして、ぺこりと一礼して言った。
「馬淵しえりです」
それに対して、綾崎は先輩らしい落ち着いた調子で馬淵を迎え入れた。
「綾崎紡です」
そんな綾崎に馬淵はにっこりと微笑んで言った。
「私、そこまで本を読むわけじゃないんで、解んないことは多いと思いますけど、興味はあるので、色々教えてほしいです!」
なぜか普段俺に接するときとは違い、敬語で話している。多少、砕け気味ではあるが。
(なぜ、普段からその言葉遣いができないのか……)
言いたいことはあったが、今ここで水を差すのはさすがに無粋。とりあえずは、俺は口をつぐむ。
対する綾崎は、友好的な態度の馬淵に多少気を緩めたのか、先程よりも、やや軟化した口調で言った。
「そうなんだ。でも、私も人に教えられるほど文学に精通しているわけではないわよ」
「そうなんですか? でも、本は結構読むんじゃないですか?」
「……そうね。この部室にある本は全部読んだかしら」
「ええ! これ全部?」
馬淵は部室の壁面を覆いつくす本棚をぐるりと見まわして言った。
「すごい、さすが部長って感じですね」
「ただ、本の虫ってだけよ」
「あ、じゃあじゃあ、この中でおすすめの本とか教えてくれませんか?」
「いいわよ。どういう感じの本が好きなのかな?」
「私は――」
二人の雰囲気はいい感じだ。短時間でだいぶ打ち解けている印象だ。彼女は人づきあいがうまいのだろう。誰に対しても如才なく応対する。そういう辺りはひよちゃんとは対照的だ。
部会ということで仮入部中のひよちゃんと乾も部室に居る。ひよちゃんは、パイプ椅子に座って、楽しそうに会話をする二人をじっと見つめていた。
「………………」
ひよちゃんは、何かを言いたげにしていたが、結局、二人の間に割り込んでいくことはなかった。
「我々の第一の目標は部誌を作ることです」
一しきり交流が終わった後、部会は始まった。
結局、既存の部員たちは誰も顔を見せていない。この一週間で全員に一度、声はかけたのだが、皆煮え切らない返事だった。しかし、無理強いしても仕方がないので、無理矢理に引っ張ってくるような真似はしなかった。
(あまり活動実態そのものがなかったみたいだな)
部員の話や去年度から居た教員に話を聞いた限りでは、文芸部の存在は有名無実化していたようだ。
(上級生の部員が戻ってくるのに乗り気でないのは、戻ってもやることがない、と思っているからのようだ)
今、綾崎が語ったように文芸部の主な活動は部誌を作ること。部誌とは、要は自分たちで書いた小説などを載せた雑誌のことだ。こういう形で自分たちの作品を世に出すのを目標にするのが文芸部なのだ。
「しかしながら、去年出せた部誌はたった一冊というのが現状です」
高校の文芸部が、普通どのレベルで活動するものなのか。俺はその辺りに明るくない。だが、一年一度というのは少ないことは確かだろう。
「色々高すぎる目標を定めても空転するだけです。まずは、確実な目標から詰めていきたいです」
そう前置きして綾崎は言った。
「当面の目標は九月の文化祭に部誌を一冊発行すること。すなわち、皆さんには九月までに一作、作品を作ってもらうということになります」
「九月というと、今五月の末ですから、まだ三か月以上あるということですか?」
乾はそっと手を挙げて、発言する。
「一つの作品を仕上げるのに、三か月が長いと見るか、短いと見るかは人それぞれでしょう。しかし、慣れていない人も多いことを考えると、とりあえずは、それくらいの期間を見ておくのは妥当だと思います」
何事にも慣れない内には時間がかかるものだ。綾崎の言っていることは的を射ていると思う。
そんな風に二人が喋っている間、ひよちゃんはきょろきょろと落ち着かなさげに皆の顔を見ていた。俺には解る。彼女は何か発言をしたいのだろうが、今、自分が声を上げてよいものか迷っているのだろう。いかにも引っ込み思案な彼女らしい。
助け船を出すべきだろうか。助けてやりたい。そういう気持ちはある。だが、何でもかんでも手を差し伸べて、手を引っ張ってやることが良いことだとは限らない。時には、自発的な行動に任せることも大事だ。俺はここはぐっとこらえて、何も言わないことにした。
俺がそういう判断を下した直後だった。
「ひよりん、なにか言いたいことあるんじゃない?」
「え?」
口を開いたのは馬淵だった。
「なにか言いたげな顔だったからさ」
「えっと……」
馬淵から助け舟を出されるなんて予想もしていなかったのだろう。動揺が表情に滲んでいる。
「静井さん、何か言いたいことがあるなら言ってください」
綾崎からも背中を押されて、ひよちゃんはようやく覚悟を決めたのか、一度、息を吐いてから呟いた。
「わ、私、小説なんて書いたことなくて……本は好きだから来てみたんですけど……その……」
「自信がないですか?」
「はい……」
親に叱られた子供みたいにしょんぼりと身を縮める彼女に俺は言う。
「大切なのはできるかどうかより、やりたいかどうかじゃないか?」
ひよちゃんは、俺の方をちらりと見た。
「もし、本当に興味があるんだったらやってみるべきだ。やりもせずにできないかどうかなんて解らないだろ?」
「そうですね。私もこの部活に入って初めて書き始めましたので。そういう、しり込みしてしまう気持ちは解ります」
綾崎も俺の言葉に乗る。
「私もできるかどうかわからないけれど、一度挑戦してみようと思っているわ」
乾もまた、ひよちゃんに向かって言った。
みんなからの言葉を受けて、ひよちゃんは目を瞑ってどうするかを考えている。
彼女には新しいことに踏み出すことをためらう癖がある。それはきっと子供のときから、染みついたものだ。そういう考え方はなかなか消えない。だけれど、殻を破らなければならない日は必ず来る。それはきっと今なのだろう。
ひよちゃんはそっと目を見開いて言った。
「や、やれるだけやってみたいと思います」
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