第47話「部活動スタート③」
そして、迎えた部会の当日。俺は文芸部に与えられた部室を訪れていた。
うちの学校には部室棟と呼ばれている建物がある。教室のある校舎とは別の三階建ての比較的小さな校舎だ。その一階の一番奥。部室棟の片隅に文芸部の部室はある。
部室棟自体がかなり年季の入った建物だ。俺が高校生としてこの学校に入学した時点で、かなりぼろぼろな建物だと思った記憶があるから。古い木造の建物特有のどこか湿ったような匂いが漂っている。
一部屋の大きさは一般的な教室よりはやや狭い。部屋の中央には作業用の長机とパイプ椅子が並べられていて、部屋の奥にはデスクが一つ。その上には旧式のデスクトップパソコンとプリンターが一台置かれていた。部屋の四隅の壁をぐるりと囲むように本棚が置かれており、辞書や文庫本が所狭しと並べられていた。本棚のおかげで実際の部屋の大きさよりもかなり手狭に感じられた。本棚と本棚に挟まれるように、入口の側には掃除用具入れが置かれていた。
俺が入っていったとき、部屋に居たのは綾崎紡一人だけだった。
「先生……」
「一人か」
「はい……」
綾崎は肩を落としていた。どうやら、幽霊部員を呼び戻す作戦はあまりうまくいっていないようだ。
「まあ、来ない部員のことは、おいおい考えよう」
今はそれよりも新入部員の勧誘に力を入れるべきだろう。
「今日は見学希望者を連れてきたぞ」
「見学ですか?」
「ああ。二人とも入ってくれ」
俺が自分の後ろに居た二人に声をかける。
ひよちゃんと乾は、部屋の中に入ってきた。
「わあ、二人も見学に来てくれたんですね」
綾崎は先程とは打って変わって、目を輝かせて言った。
「よろしくお願いします」
「よ、よ、よろしくお願いします」
乾は落ち着いた様子で、ひよちゃんはあたふたと頭を下げた。
乾は文芸部の見学に行くというひよちゃんの付き添いとして、一緒に見学に来たのだという。
「私も元々本を読むのは好きですし。中学とは違う部活に入りたいと思っていたので」
乾はそう言ってから、俺にしか聞こえない小さな声で呟いた。
「後は、先生とひよが、放課後の部室で何かよからぬことをしないか見張らないといけませんので」
「なんで君らは放課後の部室にそんなにこだわるんだ」
まあ、何もしないので別に構わないのだが。
「うわあ、たくさん本があります。図書室で見たことない本も」
ひよちゃんは部室という未知の空間に対する好奇心で目を爛々と輝かせている。
「その辺の方はわりとマニアックな本もあるからね。大抵は卒業生が置いていったものよ。そのせいで、わりと整理には苦労しているんだけど」
綾崎は後輩相手ということで砕けた言葉遣いで、ひよちゃんに向かって言った。
「そ、そうなんですね」
ひよちゃんはまだ緊張しているのか、少しどもりながらも綾崎に対して返事をしていた。
「読みたい本があったら自由に読んでもいいからね」
「え、いいんですか?」
「ええ、いつでも借りていって」
「ありがとうございます!」
ひよちゃんは未だに人見知りの気があるが、同じ本好きという共通点がある分、綾崎とは打ち解けやすそうだ。文芸部に誘ったのは正解だったかもしれない。
「よし、自己紹介もかねて、一旦部会を開かせてくれ」
俺は三人を適当な席に着席させ、互いに簡単な自己紹介をさせた後に言う。
「生徒会の先生に確認してきた。部活動が存続するためには最低でも、四人の部員が必要だ。そして、その四人は最低限の活動実態がなければならない」
「活動実態、ですか?」
ひよちゃんが首を傾げる。
「要するに籍があるだけの幽霊部員じゃダメってことだ」
実際には、この決まりはそこまで厳密なものではないらしい。何を持って活動実態があると見なすのか。そこら辺の線引きが難しいからだ。なのでこの辺りは実質的に有名無実な決まりとも言える。そのため、今すぐ廃部、なんてことにはならない可能性は高いが、それでも一人でも多くの部員に参加してもらうに越したことはない。
「というわけで、二人が仮に入部するとしたら、最低もう一人部員が居た方がいいということだ」
「なるほど……」
ひよちゃんはふんふんと頷いている。
「では、今日は自由に交流してくれ。また、明日以降部員集めをしていこう」
「今日の部活見学はどうだった?」
その日の晩、俺はひよちゃんに向かってそう尋ねた。
すると、彼女は少し興奮したような面持ちで応えた。
「楽しかったです! 特に綾崎先輩はすごいです。私が読んだことのある本は、ほとんど読んだことあって、色々なお話ができました!」
「ほう、それはよかったな」
ひよちゃんは目に光を灯している。
「今度、綾崎先輩におすすめの本を貸してもらうことになりました。それもかなり面白そうなお話だったので、楽しみです」
「それほど、喜んでもらえたなら部活に誘った甲斐があったよ」
ひよちゃんは優しい表情で笑う。
「私一人だったら、部活に入ろうなんて考えもしなかったと思います。私は、普通の家の子じゃないんだから、何もかも我慢しなくちゃって思ってました」
「………………」
人間、幼いころからの考え方や癖というものはなかなか抜けないものだ。俺が想像していた以上に、彼女の精神は小さく凝り固まっていたのだろう。
「だから、改めてありがとうございます」
そう言って、ひよちゃんは、小さく頭を下げた。
「奏多さんは、いつも私の扉を開いてくれます」
俺はそんな風に言って微笑む彼女が微笑ましくて、そっと目を細める。彼女を愛おしく想う気持ちが、ゆっくりと高まっていく。
ふと、彼女を優しく抱きとめたい感情に駆られる。
そうして、彼女の気持ちを、ぬくもりを確かめたい。そう思う。
「奏多さん? どうかしましたか?」
だけど、それは許されない。
俺は彼女を誰よりも幸せにすると決めた。そのためには、俺は彼女に対して誰よりも誠実で、理性的であらねばならない。それが彼女を誰よりも愛する者としての責任だ。
だから、一時の感情に流されるなんてことがあってはいけない。
「いや、何でもないよ」
俺はそう言って、小さく首を振るのだった。
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