第46話「部活動スタート②」

「え、部活の顧問になったんですか?」


 その日の夜、食卓で俺はひよちゃんに部活を見ることになったから、今まで以上に遅くなると告げると、捨てられた子犬のような顔をして言った。


「そうですか……でも、お仕事ならしかたありません……」


 口ではそう言っているが、寂しいと思っているのは、表情で丸わかりだ。ひよちゃんは、そういうあたりがかわいい。俺は思わず、口元を緩めてしまう。


「ちなみに、何の部活なんですか?」

「文芸部だよ」

「文芸部、ですか?」


 俺は簡単に文芸部の活動内容を説明してやる。


「へえ、お話を書くんですか……ちょっと面白そうですね」


 そう言って、彼女は目を輝かせた。

 そんな彼女を見た俺は言う。


「なら、一度見学に来てみるといい」

「え?」


 彼女は意外そうに目を丸くしていた。


「実際に入部するかどうかは、見学してから決めたらいいから」

「部活、入ってもいいんですか……?」


 なぜかひよちゃんは、そう言って首を傾げた。

 俺は彼女の言っている意味が解らず問い返す。


「ひよちゃんが部活に入りたければ入ればいいし、そうでないなら、無理に入る必要はない」


 学校によっては特待生は勉学に集中するために部活に制限を設けているような学校もあるらしいが、うちには特にそういう規則はない。あまりに成績が落ちれば別だが。

 俺がそう説明すると、


「でも、家事をしないといけないから」

「……そんなこと気にしてたのか」


 俺はまだ彼女の気持ちをきちんと理解できていなかったようだ。これでは「担任」としても、「夫」としても失格だ。

 俺は改まった調子で言う。


「ひよちゃん」

「はい」

「俺は君に誰よりも幸せになってほしいと思っている」

「え……?」


 彼女は大きな瞳を目いっぱいに見開き、口をぽかりと開けた。


「だから、俺にできることなら君に何でもやらせてあげたいんだ」


 彼女は幼い頃、経済的な事情や家庭の事情で自由にできないことが多かった。だから、彼女は本当の自由というものを知らない。だから、目の前にそれが転がっていても、それを拾おうとすることができない。


「前にも言ったけど、家事は無理にしなくてもいいんだ。もちろん、やってくれるのは助かるし、嬉しい。だけど、ひよちゃんが学校生活を楽しんでくれる方が俺は何倍も嬉しいんだ」


 それこそが俺がこの場所に居る一つの理由なのだから。


「無理にしろって言うんじゃない。だけど、少なくとも家事をしなくちゃいけないから興味のある部活に入れないなんてことは言わないでくれ」

「奏多さん……」


 ひよちゃんは目をしばたたせ、俺の名を呼んだ。

 彼女は俺の言葉の意味を噛みしめているようだった。俺の想いがうまく伝わってくれたならいいが。

 しばらくの逡巡の後、彼女は言った。


「じゃあ、一度見学してみたいと思います」

「ああ、そうしなよ」


 彼女が新しく興味を持てそうなことが増えるのは大歓迎だ。


「部員が少なくて困っていたからな。きっと歓迎してくれるよ」


 俺がそう言うと、


「今、何名なんですか?」


 彼女は俺にそう尋ねた。


「現時点で六名だが、そのうち五人は幽霊部員らしい。だから、ある程度、部員を集められないと廃部の可能性もある」

「それは大変です」


 ひよちゃんはうんうんと頷いた。

 そして、突然、何かをひらめいたというようにぱっと目を見開いた。


「奏多さん、ということは仮に私が入部したとして、実質的な部員は二人だけということですか?」

「まあ、現状はな」


 もしかしたら、幽霊部員が復帰してくるかもしれないし、一年生に入部希望者もいるかもしれないから何とも言えないが。


「と、ということは放課後の部室で、私と奏多さんが二人きりになる可能性も……」

「まあ、それはあり得るかもな」


 部長の綾崎だって常に部室に居るわけではないだろうから。


「放課後……二人きりの部室……密室……男女……」


 ひよちゃんは熱に浮かされたような表情で呟いた。


「何も起こらないはずがない……!」

「起こらないよ」


 それを言い出したら、今も密室で二人きりなんだがな……。

 この娘はたまに変なスイッチが入る。普段は基本的にいい娘なんだけどな……。

 

(まあ、ある意味、小説を書く文芸部には向いているかもな……)


 俺は心の中でそんなことを考えた。

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