第41話「新たな事件の火種①」
「おはよー、せんせー!」
月曜日、立ち番で校門に立ち、登校する生徒たちに挨拶をしていた俺に馬淵しえりは目を輝かせて朝の挨拶をしてきた。
「……ああ、おはよう」
俺は昨日の出来事を思い出し、一瞬、ひるんでしまう。
「あれ? せんせー、元気ないの?」
馬淵はとぼけた顔をして、俺に問いかける。その表情で悟る。こいつ、わざと解ってて煽ってやがるな……。割といい性格をしている。
俺は弱みを見せたくなくて、できるだけ快活な調子で応えた。
「そんなことはないぞ。先生は今日も元気だ」
「ふーん、本当かな」
馬淵の背丈は俺の胸の位置くらい。ちょうどその辺りから彼女は上目遣いで俺を覗き込むような姿勢になる。
そして、そこから不意に一歩前に詰め寄って、俺の耳元で耳打ちする。
「元気ないなら、しぇりーが慰めてあげてもいーよ」
そんなことをどこか色っぽい調子で言うのだ。
こいつ……!
俺はわりと本気で腹が立ってくる。こんな様子を見られて、あらぬ誤解を受けるわけにはいかない。俺はすでに生徒と婚姻関係にあるという巨大な爆弾を抱えているのだ。これ以上、危険物をしょい込むわけにはいかない。
俺は露骨に距離を取ってから言う。
「馬淵、人と話すときは適切な距離感をわきまえろ」
「適切って?」
「一定の距離を取れ」
俺は感情的にならないように努めて落ち着いた調子で諭すように語った。
しかし、馬淵は口元を緩めて言った。
「ひよりんとは、同じ屋根の下に居るのにねー」
「馬淵!」
俺は思わず激してしまう。
そして、俺は昨日の出来事を思い返した。
「ふーん、つまり、二人は同じ家にいるけど、恋人同士というわけではないと?」
「……ああ」
ひよちゃんが家に帰ってくるという決定的な場面を見られてしまった以上、もう誤魔化すことはできなかった。俺は馬淵に事情を開示することにした。
ただし、以前、乾に語ったのと同じように教えたのは、事情によって同じ部屋で暮らしているということだけ。婚姻関係のことは黙っておいたし、俺が彼女との将来の関係を認めたことも黙っておいた。
馬淵には「恋人同士なのか?」と問われたから「違う」と答えた。実際、俺たちは「恋人」ではなく、「夫婦」だから、これは嘘ではない。
「ふーん、そうなんだ……」
俺の説明を聞いた馬淵は、俺とひよちゃんを探るように交互に見た後に言った。
「ひよりんに聞いてもいい?」
「わ、私ですか……?」
俺の後ろで正座して縮こまっていたひよちゃんに向かって馬淵は言った。
「ひよりんは、せんせーのこと好きなの?」
そう尋ねる馬淵の顔は無表情。いったい何を考えているのか読み取れない。
(うまくごまかしてくれよ……!)
俺はひよちゃんに頼れる相手が居ないために家に置いているだけ。それ以上でも、それ以下でもない。馬淵には、そう説明したのだから、適当な言葉でお茶を濁さなくてはならないのだが――
「ふえっ?!」
ひよちゃんは顔を赤信号のように真っ赤に染め上げた。
「い、いや、その……好きと言いますか……もちろん、好きですけど、それはその……そういうのではなくて……あの……」
嘘がへたくそすぎる。
素直なのは美徳かもしれないが、今、このときに関しては最悪だった。
「ふーん、なるほどね……」
馬淵はにやりと笑った。
「だいじょーぶだよ、せんせー。昨日も言ったけど、しぇりーはちくるつもりはないんだから」
登校する生徒でごった返す校門前で馬淵は言う。
「もし、しぇりーがちくったら、せんせー、学校に居られなくなっちゃうでしょ? そうなったら、嫌だし、言わないよ」
馬淵は子供のように無邪気な笑みを浮かべて、そう言った。
「しぇりーは、わりとせんせーのこと気に入ってるからねー」
まるで昨日見たテレビの話でもしているかのような軽い調子でそう語る馬淵。
果たして、彼女のことは本当に信用してよいものだろうか。
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