第37話「新たな出会いと夏の匂い③」
シャワーの水音が扉の向こうから幽かに聞こえた。
俺の部屋の扉を隔てた向こう側で、今「馬淵しえり」はシャワーを浴びている。
どうして、こんなことになってしまったのだろう。
「馬淵の家は確か、数駅は離れてたよな?」
傘をさしかけながら、俺は馬淵に尋ねた。
「え……そうだけど……せんせーなんで知ってるの?」
不思議そうな顔をしている馬淵に俺は言う。
「先生だからだよ」
生徒の住所は基本的に入学した際に回収する調査書に書いてある。担任ならおおよその住所を把握しているのは、そう特異なことではない。
「……なにそれ、ストーカーみたい」
教師に対してあまり適切とは言えない発言だったが、俺は聞き流した。びしょ濡れの少女にこの場で説教を始めるほど、俺は短気ではない。
「タクシー呼んでやる。それで帰れ」
「……やだ」
そこで彼女は俺の提案を拒んだ。
「こんなところタクシーすぐに来ないよ」
確かに、それはその通りだった。駅の近くならまだしもこの辺りは住宅街。たとえ、電話をしても五分やそこらでタクシーが来てくれる保証はなかった。
「そんなの待ってたら風邪ひいちゃう」
そう言って、彼女はどこか蠱惑的に笑った。
家までは遠く、タクシーも来ない。俺は自家用車を持っていない。となれば、残った手段は――
「……うちに来るか」
正直、色々な意味で気乗りはしなかった。
まず、事情があるとはいえ、男性教員が女生徒を自宅に招くとというのは適切とは言えない。あらぬ誤解を招く可能性がある。
そして、うちの家にはひよちゃんが住んでいる。
静井ひよ……「俺の嫁」の名前だ。
とある事情により、俺は幼なじみであり、自分の生徒でもある彼女と結婚することになってしまった。初めは彼女の将来を考え、身を引こうと考えていた俺だったが、結局は彼女の存在を受け入れることに決めた。俺にとって、彼女はかけがえのない存在であると気が付いたからだ。
とはいえ、世間的に許される関係ではないことは自明。ゆえに、俺はこの関係を隠し通さねばならなかった。
そんな家に他者を招き入れることは大変ためらわれた。だが、あそこで馬淵を放り出すと言う選択肢は取れない以上、こうする他なかったのだ。
彼女を風呂場に放り込んだ後、俺は急いでひよちゃんの痕跡を隠した。幸い、彼女はキレイ好きだったし、物もあまり持っていなかったから、彼女のもちものは一つの衣装ケースに収まっていた。俺はこれを押し入れの中に隠蔽した。
そして、ひよちゃんに与えたスマホに「すまないが、しばらく帰ってこないでくれ」とメッセージを送った。これで二人が鉢合わせするという最悪の事態は防げるはずだ。
そんなことをしている内に、俺に声がかかる。
「せんせー、お風呂あがったよ」
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