第38話「新たな出会いと夏の匂い④」

「………………」


 どこか気まずい空気が部屋に満ちていた。

 土砂振りの雨はまだまだやみそうにない。

 俺のスウェットを貸し与えられた馬淵は借りてきた猫のようにおとなしくなり、膝を抱えて座っていた。

 だが、俺はあえて何も言わずに待っていた。

 すると、沈黙に耐えかねたのだろう。馬淵の方から俺に声をかけてきた。


「……聞かないの?」

「……何を?」

「……なんで傘も差さずに歩いてたんだ、とか」


 正直、問いただしたい気持ちはあった。自分は担任だし、シャワーを貸してやってもいる。それくらいのことを尋ねる権利はあるだろう。

 だが――


「聞いてほしいのか?」

「え?」

「話したいなら話せ。言いたくないなら、今は聞かない」


 彼女の憔悴しきった目を見ていたら、とても詰問するような気にはなれなかった。担任教師として、この判断が正しいのかどうか、それは定かではない。もし、彼女が何らかの事件に巻き込まれているなら、早く聞き出さねば手遅れになる、という可能性はある。情報は多いに越したことはない。

 だが、そうすることで馬淵を傷つける可能性を考え、俺はあえて口をつぐんだのだ。


「誰にだって、言いたくないことの一つや二つある」


 俺にだって、人に言えない秘密はある。


「おまえが話して楽になるならいくらでも聞いてやる。そうでないなら、今はそっとしておくさ」

「………………」


 馬淵は俺の顔をしげしげと見ていた。まるで、宇宙人と出会った子供みたいな瞳をしながら言った。


「前から思ってたけど、せんせーってせんせーっぽくないよね」

「なんだよ、それ」


 正直、「先生らしくない」と言われるのは少し堪える。俺は俺なりに一生懸命教師をしているつもりだからだ。


「まあ、その言葉は甘んじて受け止めよう」


 俺はまだまだ未熟者だ。「教師をなめるな」などとは口が裂けても言えないし、言いたくもない。生徒に「先生らしくない」と思われているなら、「先生にふさわしい」と思ってもらえるように精進するだけだ。


「……そういうことじゃないけど」


 馬淵はぼそりと何事かを呟いたが、外の雨音にかき消され、俺の耳には届かなかった。

 そして、再び満ちる沈黙。

 雨音が一層大きく感じられる。

 俺は窓の外を見やる。

 ひよちゃんは大丈夫だろうか。やむを得ないとはいえ、しばらく戻ってくるなというのは、なかなかひどいことを言ってしまったかもしれない。

 そんなことを考えていると、


「ねえ、せんせー……」


 膝を抱えたまま顔を上げた馬淵は俺の方を見ていた。


「しぇりー、ふられちゃったんだ……」

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