第33話(番外編1)「テスト勉強」
【sideひよ】
それは春が終わり、夏の気配が漂い始めたある日のことです。
「もうすぐ中間テストだけど、勉強の調子はどうだ?」
奏多さん……私の旦那さんは、私にそう尋ねました。
私は高校生ですが、なんと結婚しているのです! 色々な事情が絡み合った結果、起こったことなのですが、奏多さんは世界一素敵な男性なので無問題です!
一応、両想いであることも確認できましたし……あんまり自信はないですけど、『お嫁さん』として頑張ってやっていく所存です。
しかし、それはそれとして、私は学生。まずはきちんと勉強をしなければ。学生の本分は勉強ですので。先日のエスケープでこってり絞られた後なので、いっそう頑張らないといけません……。
「勉強はしてます。いつもの予習に加えて復習も始めてます」
「お、さすがだな」
奏多さんは私の言葉に快活に笑います。
「まあ、わからないことがあったら聞いてくれ。国語ならもちろん解るし、他の科目でも高一レベルなら、おおよそ解る」
奏多さんは昔から勉強ができる人でした。子供の頃見せてもらったテストはいつも高得点でした。私も奏多さんに見合う人間になりたくて、勉強してきましたけど、やっぱり奏多さんには敵いません。
「ちょっと自信がないところがあって……教えてもらってもいいですか?」
「ああ、いいよ」
こんな風におうちで奏多さんに勉強を見てもらえるのも役得というものでしょう。これも『お嫁さん』の特権です。
なんて、このときの私はまだ安易な気持ちで居ました。まさか、初めてのテストがあんなことになるなんて予想もしていなかったのです。
「あ」
私はおうちで鞄の中をまさぐりながら声を上げました。
「辞書忘れちゃいました……」
英語の宿題をするために家に辞書を持ち帰ろうと思ったのですが、うっかり忘れてしまいました。私は電子辞書なんて便利なものは持っていないので、必要なときは紙の辞書を持ち歩いています。鞄が軽い時点で気がつけないあたりが、我ながら抜けていると言わざるを得ません。
「どうしよう……」
今から学校に取りにもどるというのも大変です。かといって、宿題の期限は明日なので、明日以降に回すというのも駄目です。もしかしたら、奏多さんが英語の辞書を持っているかもしれませんが――
「勝手に部屋に入るのは……」
夫婦といえど、今の私は居候の身。不在の家主の部屋に勝手に入るのは少し考えものです。
奏多さんの帰宅を待って、辞書を借りるお願いをするのも一つの手ですが、奏多さんが必ず英語の辞書を持っているという保証もありません。
どうするべきなのか。私が迷っていると、私の目にあるものが飛び込んで来ました。
それは奏多さんに買ってもらったスマートホンでした。
以前、琴子ちゃんが言っていたことがふと頭を過りました。
「私は最近、家で勉強するときはスマホを辞書代わりにしているわ」
私は今までスマホを持ったことがなかったので、あまり詳しくはないのですが、スマホさえあれば大抵のことは調べられるらしいのです。
私はスマホを手に取り、検索エンジンを起動します。慣れないフリック入力にあたふたしながらも、私はなんとか調べたかった英単語の入力に成功します。検索ボタンを押すとすぐに結果が表示されます。
「あ、これだ」
調べたかった単語の意味はすぐに表示されました。この調子ならなんとか宿題は終わらせられそうです。私はほっと胸を撫で下ろします。
宿題は思ったより早く終わりました。紙の辞書を使うよりスマホの方が効率が圧倒的によかったおかげでしょう。文明の利器さまさまです。
おかげで予定よりも時間が余ってしまいました。もちろん、テスト勉強をするべきなのでしょうが、すこしくらいなら休憩してもいいでしょう。
私はよく勘違いされるのですが、別に勉強好きというわけでも、生真面目というわけでもありません。勉強は特に好きでも嫌いでもないし、不良ではないですが優等生というわけでもありません。そんな私が特待生に選ばれるくらいに勉強したのは、一つは奏多さんに見合う人間になりたかったから。もう一つの理由は、勉強くらいしかすることがなかったからです。
家は貧乏なのでお洒落に精を出すこともできなければ、ゲームなんかで遊ぶこともできません。家に帰ってもほとんど母親はいないので、家事を自分でしなければならず、部活をすることもできませんでした。よって、私が空いた時間でできることが勉強か読書くらいしかなかった、というのが現実なのです。
「スマホって、何でも調べられられるんだなぁ」
「テレビも見られるんだ」
「ゲームもできるんだねー」
初めてスマホを手に入れた私がそれにはまっていくのは、ある意味、必然だったのです……。
それは、テストが始まるおよそ一週間前の出来事でした。
「前回やった漢字テストを返すぞ」
奏多さんの現代文の授業。私が一番楽しみにしている授業です。一人ずつ教壇の奏多さんのところに行き、答案用紙を受け取っていきます。このテストは確か……
「静井」
「は、はい!」
名前を呼ばれた私は慌てて、奏多さんの元へ駆けていきます。そして、渡されたテストは――
「う……」
十点満点中六点。
「珍しいな、いつも満点かせいぜい一問ミスなのに」
奏多さんは、そう言って首を傾げています。
繰り返しますが、私は別に勉強が好きなわけではありません。しかし、少なくとも奏多さんの授業に関しては好きです。それは教えてくれるのが奏多さんだからという理由はもちろんありますが、それでなくてももともと現代文は得意だし、好きなのです。
その現代文の小テストでこの体たらく。これは、かなりまずい状況になっていると言わざるを得ないのです。
「あはは……ちょっと、失敗しちゃいましたね……」
私は苦笑いをして、答案を受け取りました。
その後も――
「いつもより点が落ちたな」
「テスト前だから少し難しかったか?」
「油断するなよ」
軒並み小テストの点が悪かったのです。
理由は明らかでした。
私は最近一週間の自分の行動を振り返ります。
家に帰るとまず鞄からスマホを取り出します。ニュースサイトを巡回し、興味のある記事をチェックします。
「あ、詐欺うさぎの新しいぬいぐるみが出るのですか!」
「この料理、おいしそうだな。レシピをメモしておきましょう」
「あ、この作者の新刊出るんだ。図書館で予約しなきゃ」
一しきりチェックが終わると、動画投稿サイトをめぐります。
「この魚って、こうやって捌くんだ」
「あ、あの小説って映画になるんだ……見に行ってみたいな……」
「え、一日で10万円稼ぐ方法……?! これはチェックしないと――」
一しきり動画を見終わった後で、気が付きます。
「こ、こんなことしている場合じゃありません。勉強、勉強」
私は慌てて鞄から教材を取り出します。
しかし、しばらくすると――
「そういえば、今日のログインボーナスもらってなかった……」
ログインだけしようと思って、スマホを触った私。
「デイリーミッションだけこなしとこうかな……」
石は欲しいしね……。
そして、気が付くと――
「は! もう、一時間?!」
まったく、勉強は進んでいませんでした。
(まずいまずいまずい、まずいですよー!!)
こんな生活をしていて、小テストで良い点を取れるはずがありません。
私はスマホの罠にすっかりはまってしまったのです。
「最近、ひよちゃん、成績が落ちてるみたいだが……」
「どきっ!」
ある日の食卓で奏多さんは突然、そう切り出しました。
(はわわ……まずいです! スマホにはまってしまったことがばれて――)
内心冷や汗をかいている私に向かって、奏多さんは言います。
「体調でも悪いのか?」
「……え?」
体調が悪い? なぜ、そんな話になるのでしょうか?
奏多さんは心配そうに私を見ています。
「ひよちゃんは、ずっと頑張ってたからな。それが急に崩れちゃうってことは体調でも優れなくて、勉強に集中できなかったのかと思ってな」
「………………」
私は馬鹿です……大馬鹿です……。
優しい目で私を見る奏多さんを見ながら、私は考えます。
奏多さんは私を信じてくれているのです。私はこの人の信頼にもとる行為をしていたのです。
奏多さんに受け入れてもらえたことで気が抜けてしまっていたようです。私は人より優れたところなんてほとんどありません。そんな私が奏多さんの『お嫁さん』で居るためには、人より一層努力しないといけないのです。そんな基本的なことを忘れていたなんて……私はお馬鹿さんです。
「体調は……悪くないです。ちょっと、気が抜けちゃってただけです……」
私はぐっと両の手に力を込めます。
「次の中間テストまでに、ちゃんと取り返してみせます!」
その日から、私は心を入れ替えることにしたのです。
といっても、難しいことをしたわけではありません。ただ、スマホに触らないようにしただけです。こういうのも面はゆいですが、もともと私は成績は良いのです。だから、スマホを手にする前の状態に生活リズムを戻せばいい。そうすれば、成績は上向きになるはずなのです。
私はスマホ断ちをして、テストに臨みました。
そして、テストは終わり、結果が返ってきました。
「はい、静井さん」
千瀬先生から英語のテスト用紙を受け取ります。私は恐る恐る点数を確認します。
私の英語の点数は――87点。
「わりと難しくしたつもりでしたが、よく頑張りましたね」
千瀬先生はそう言って、私を褒めてくださいました。
他の科目の答案もおおよそ高得点。少なくとも平均を割っているものはありません。
こうして、どうにか私はテストを乗り切ったのでした。
「ふふふーん♪」
すべてのテスト結果がそろった私の気持ちは軽やかでした。これは何とか奏多さんの期待に応えられたと言っても差し支えのない成績でしょう。奏多さんは担任の先生でもあるので、もう私の成績は把握しているとは思いますが、この答案を見せるときが楽しみです。
鼻歌まじりでおうちに帰り、私は床にごろりと寝そべりました。今日くらいは少しゆっくりしたって、罰は当たらないはずです。
私は久しぶりにスマホを手に取りました。
今回はこのスマホに苦しめられましたけど、道具というのは何事も使いよう。きちんと自制心を持って接すれば便利なものです。羽休めにしっかり使わせてもらいましょう。
というわけで、ニュースサイトの巡回から始めた私だったのですが――
「あれ……なんか変なところ押しちゃった?」
スマホの操作にはまだ不慣れで、たまに変なボタンを押してしまうことがあります。そのせいで、私が意図しないページに飛ばされたようなのですが……
「これは……!」
そこに書かれていたのは――
『密室に閉じ込められた男女――そこから出るには互いの身体を――』
そんな文句と共に、ちょっと……というか、かなりアレな! マンガの絵が載っていたのです!
「はわわわわ!」
これは、これはまずいですよ!
私にも解ります!
これはまずい奴です!
すぐに元のページに戻ろうと思ったのですが――
ふと、私の頭にある記憶がよみがえります。
母が失踪する前に、こんなことを言っていました。
『今時はスマホ一つでエロいもの、いくらでも見られるから、今の子どもは幸せねー♡』
(これがお母さんが言っていたやつですか?!)
もちろん、私も常識というものを心得ています。こういうのは子どもが見てはいけないものなのです。知っています、もちろん。はい。
しかし、しかしながら――
「ま、まあ、私はもう結婚している大人なわけですしぃ……」
大人ということは、こういうことも学んでおかないといけない部分もなくはないわけで……。そういう意味では、これも勉強という考え方もあるのでは……。
「ご、ごくり」
私は生唾を呑み込みながら、震える手でマンガの広告をタップ――
「ただいまー」
「うわああああ!」
「うお! 何?!」
奏多さんが玄関先に立っていたのです。
私は咄嗟にスマホを隠しました。こんなものを見ようとしていたところを奏多さんに見られるわけにはいきません、絶対に!
「なんでもない! なんでもないんです!」
私は思った。
もう、スマホを触るのはやめよう、と。
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