第32話「もう一度始まる②」
「では、奏多さん」
それは俺たちの関係は元に戻った日の夜のこと。
「一緒のお布団で寝ませんか?」
彼女は笑顔でそう言った。
俺は毅然とした態度で言う。
「それは駄目だ」
すると、彼女は目を丸くして叫んだ。
「え! なんでですか!」
そして、俺に縋りついて叫ぶ。
「奏多さん、私のこと好きなんですよね! 女として見てるんですよね!」
「恥ずかしいことを大声で言うな!」
俺は彼女をたしなめ、そっと肩を抱いて、彼女を引き離す。
「いいか、誤解のないように言っておく」
俺は彼女を正座して座らせ、俺も同じように正座する。
「俺は君が好きだ。愛している」
「か、奏多さん――」
「だから、ふしだらな真似はやらん」
「なんでですかぁー!」
彼女は眉を吊り上げて叫ぶ。
「おかしいですよ! 両想いなんですよ! 一つ屋根の下なんですよ! やることは一つしかないじゃないですか!」
この少女は一体何を言っているのだろうか。彼女の将来が本気で、本気で、心配になる。
「俺たちの関係は『教師』と『生徒』だ」
俺は彼女をなだめながら言う。
「当然、社会的に許されるような関係じゃない」
「じゃあ、どうする気なんですか」
「卒業するまで待て」
「へ?」
彼女はきょとんとした顔をする。
「卒業って……私、まだ一年生なんですけど」
「そうだな」
「まだ、三年近くあるんですけど……」
「そりゃそうだな」
「じゃあ、それまで全部お預けなんですか」
「そうだよ」
「うわああああああっ!」
彼女は狂ったように叫びながら布団の上で転げまわる。
「やだよぅ! いい雰囲気で『あんなこと』や『こんなこと』したいよぉ!」
「だから、恥ずかしいこと叫ぶな!」
うちは壁が薄いんだぞ。下に聞こえたらどうするんだ。
というか――
「ひよちゃんって、そんなキャラだったっけ……」
「え……?」
俺にマジなトーンで指摘されて、冷静になったのだろうか、すっと何事もなかったように座りなおしてすまし顔をする。
「そういう知識、どこで仕入れてるんだよ……」
彼女は俺が買ってやるまでスマホはおろかパソコンすら持っていなかった。そういう知識を仕入れる定番ともいえるネットにつなぐ手段はなかったはずなのだが……。
俺の追及をごまかす手段はないと観念したのか、彼女はぼそりと呟く。
「主に……」
「主に?」
「母に……」
「いや、マジか……」
これはさすがにドン引きである。
「え……親子でそんな話を……」
「えっと……はい……」
彼女は顔をゆでだこのように真っ赤にしていた。
俺は思わず黙り込んでしまい、二人に気まずい沈黙が落ちる。
すると、彼女は遠い目をして呟いた。
「だって、あの母ですよ……」
俺の中にある彼女の母、静井花像は――
『奏多くん、やっぱり、いい身体してるわね……どう、お姉さんと一晩一緒に遊ばない?』
うん、言いかねない。
悲しいかな、俺は納得せざるを得なかった。
それはそれとして――
「お母さんと話したりはしてたんだな」
そう俺が言うと、
「そうですね。ほとんど家には居ませんでしたけど、居たときには割と話してました。話好きな人でしたし」
俺は彼女の家の中は冷え切っていたのかと思い込んでいたが、それは少しばかり違ったのかもしれない。
「でも、母娘というよりは年の離れた友達……それも違うかも……なんて言うんだろう」
「どっちかというと『悪い友達』だな」
「あ、そんな感じです」
ひよちゃんは苦笑する。
「まあ、ほとんど帰ってこなかったのは事実で、捨てられたのも事実です。寂しくない、なんて言うと嘘ですけど、あの人らしいなとは思います」
「そうか」
俺には二人の関係性をどうとらえるべきなのか、まだよく解らない。彼女がやったことに関しては、俺はまだ許していない。もし、見つけたら一発くらいはぶんなぐってしまうかもしれない。だが、ひよちゃんが自分の母をただ恨むだけの相手だと思っていなかったことは純粋に嬉しかった。
「ともかくだ」
話は逸れたが、うやむやにするわけにはいかない話だ。俺は改めて宣言する。
「君が卒業するまでは、いかがわしい行為はなしだ」
「……はい」
彼女は捨てられた子犬のようにしょんぼりとうなだれる。そんな姿を見ていると俺にも罪悪感が湧いてくる。
俺だって男だ。そういうことに興味がないわけではない。子供ではないのだから、経験もある。だからこそ、余計に衝動を抑えるのは辛かった。
そんな俺の逡巡を見て取ったのかひよちゃんは、かわいく微笑んで言う。
「じゃあ、せめて――」
「これでいいのか?」
「はい!」
俺たちは布団を二つ並べて横になった。
そして、
「手を繋げば、つながっているって思えますから」
彼女はぎゅっと俺の手を握る。小さな手だ。だが、暖かい手だ。俺はそんな手を優しく握り返した。
俺たちの行く先にはきっとたくさんの困難が待ち構えている。きっと辛いことや苦しいこともたくさんあるだろう。
「奏多さん」
だけど、きっともう大丈夫だ。俺たちは自分の想いを確かめあった。きっと、それだけで俺たちは前に進んでいける。
暗い部屋の中、彼女は言った。
「私をお嫁さんにしてくれますか?」
俺は彼女の手を強く握り返す。
「ああ……」
いつか、きっとそう遠くない未来に。
俺はそんな未来を見据えて、そっと目を閉じた。
【春編 了】
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