第31話「もう一度始まる①」
こうして俺とひよちゃんは互いの想いを確かめあったわけだが、その後に起こったことを語っておく必要があるだろう。
まずひよちゃんは学校に戻るとこってり絞られた。罪状はエスケープ。これは確実に生徒指導案件ものだった。下手をすれば停学の処分も食らいかねない。彼女が特待生なのもまずかった。場合によっては、特待生の剥奪もありえる。そんなことになれば、彼女が学校に通うのは困難になる。
俺は彼女を弁護した。彼女が複雑な家庭環境に置かれていること(もちろん、俺と暮らしていたことは伏せた)、普段の素行が問題ないこと、初犯であることなどを理由に、担任である俺がよく注意することを条件に何とか停学処分は寛恕してもらえることになった。
「ずいまぜんでじだ……」
ちなみに彼女は処分を言い渡されている間、ずっと号泣していた。彼女らしいと言えば、彼女らしい。
「結果的には奏多の対応が正解だったってことだよね」
事態が落ち着いてから、俺は歩美を飲みに誘っていた。ひよちゃんを探すために急に授業を代わってもらった借りを返すためだ。
二人で酒を飲んだのは本当に久しぶりだった。
酒が入ると普段とは違う空気が二人の間に満ちた。ゆったりと気の抜けたような時間。二人でこんな時間を作り出せるのは、きっと歩美だけだろう。そういう意味で俺にとって歩美もまた特別な存在だった。
「ねえ、聞いていい?」
「……なんだ?」
彼女の声色に俺は何かを感じ取り、身構えた。
「あの子のこと好きなの?」
「………………」
俺は返答の前に握ったグラスをぐいっとあおった。
そして、口元を拭って言う。
「ああ」
「恋愛感情として?」
「………………」
俺は答えなかった。だが、それは答えているも同然の沈黙だった。
俺は歩美の顔が見られなかった。
「……しんどいことになるよ」
「……解ってる」
「どうだか……」
歩美も俺と同じように強く杯をあおった。
そして、吐き捨てるように言った。
「やっぱり、間違ったよ」
「間違った?」
「あのとき、別れ話を受け入れたこと」
「………………」
彼女のその言葉がどういう意図で放たれたのか、解らないほど俺も鈍くはなかった。
「あのとき、別れなかったら、変わってたのかな」
「………………」
あの別れは必然だったと思っている。別に歩美のことが嫌いになったわけではなかった。だが、人は大人になっていく。いつまでも変わらずにはいられない。ずっとずっと変わらずになっていられないのだ。
「ねえ、奏多……私は今でも――」
俺は隣に座る彼女の言葉にそっと目を瞑った。
数日後、俺は乾琴子を自宅に呼び出していた。
「結局、俺はこの家に戻ることにした」
新居の方はいずれ引き払うことにする。無駄に払った家賃は痛手だが、礼金も要らない格安物件だったことは不幸中の幸いだろうか。
「……そうですか」
てっきり、乾はそんなことは許さないと騒ぎたてるかと思ったが、彼女はあっさりと引き下がった。
乾は俺の考えていることを察したのだろう。俺が尋ねる前に先回りしてこう言った。
「前にも言いましたけど、別に私は先生に意地悪がしたいわけではないですから。それに――」
そして、乾はひよちゃんの方をちらりと見た。
「ひよには先生が必要だって、解りましたから」
そう言って、彼女はどこか寂し気に笑った。
「琴子ちゃん……」
そんな彼女を見て、ひよちゃんは感極まった様子で乾の手を握った。
「聞いて、琴子ちゃん!」
「え?」
ひよちゃんは乾に向かって前のめりになりながら言う。
「私が一番大好きなのは奏多さんだけど、次に好きなのは琴子ちゃんだからね!」
「………………」
ひよちゃんからの突然の告白(?)に乾はあんぐりと口を開けて呆然としている。彼女のこんな表情は始めて見た。
「ふふ」
ひよちゃんは楽しそうに笑っている。
すると、乾は不意に眉に力を込めて、俺を睨んで言った。
「先生、一応聞きますけど、まさかひよに手を出したりなんかしてないですよね」
「するわけないだろ!」
「私が認めたのは二人が一緒に住むことまでです。もし、間違いがあったりしたら――」
乾は藁人形に呪詛を込める呪術師のような表情で俺を睨んでいた。
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