第23話「最後の安息②」
「さて、行くか」
俺は洗面台で身支度を済ませて玄関先へとやってくる。俺を見たひよちゃんは、口元に手を当てて叫ぶ。
「え! 奏多さん、その格好は?」
「ああ、変じゃないか? いつもと違う服装だが……」
普段の俺は出勤時はもちろん、スーツだ。公立学校なんかでは、体育教師でなくてもジャージで過ごしている先生なんかも居ると聞いているが、うちは私立。原則スーツで出勤だ。また、普段、プライベートで外出するときも大抵はポロシャツにテーパードパンツ辺りの社会人として無難な格好で通している。夏目漱石の『ぼっちゃん』ではないが、どこに生徒や保護者の目があるか解らないから、あまり奇抜な格好はできない。
だが、今日はむしろ逆だ。
教師らしい無難な格好をして、俺とひよちゃんが休日に二人で居るところを見られる方がまずい。だからこそ、普段とは違うような服、つまり、多少責めたファッションをしなくてはならなかった。
今日の俺の格好は、ラフなTシャツに薄手のロングコート。それに、大きなポケットのついたアウトドア風のカーゴパンツ。いかにも、大学生が好みそうな服装だ。
そして、普段はいじらない髪型もワックスを使って、崩し気味のオールバックに。仕上げにシックなブロータイプサングラスで目元を隠す。
正直、やりすぎかとも思ったが警戒しておくにこしたことはないかと思い、やってみたのだが――
「変ならやめるが――」
「へ、変じゃないです! 似合ってます!」
ひよちゃんは、ぐっと両手で握りこぶしを作りながら叫ぶ。
「すごくかっこいいです! 普段の十倍イケメンに見えます! あ、ふだんの奏多さんも100点満点なんですけど、今日は1000点です!」
「ははは、ありがとう」
彼女は何でもオーバーに言うところがあるから、誉め言葉は話半分に受け取っておくとしても、そう言って褒めてもらえるのは純粋に嬉しい。
「若作りしすぎたかと思ったが」
俺が苦笑いしながらそう呟くと、
「いえ、むしろ、若めの恰好してくれた方が、私は嬉しいです」
彼女は俺の目を覗き込む。
「だって、その方が年の差がなくなったみたいな感じがしますから」
ひよちゃんはそう言って、楽しそうに笑うのだった。
「ショッピングモールなんて、久しぶりに来ました」
ひよちゃんは、きょろきょろと周囲を見回しながら呟いた。
俺たちは電車を乗り継ぎ、とあるショッピングモールにやってきた。ここはこの辺りの地域では最も規模が大きく、売り場面積は関西有数らしい。今日は休日ということもあり、大勢の家族連れや若者で賑わっている。
「ひよちゃんは、あんまりこの辺りには来ないのか?」
「そうですね。まず、あんまり買い物に出ません。出るとしても、もう少し近場ですね」
「まあ、今日はあえて少し足を延ばしたからな」
大阪にはいくつか主要な繁華街が存在する。本当は自宅からもう少し近くにも適当な買い物スポットは存在した。しかし、近場だと、知り合い、特に生徒に目撃される可能性は高くなる。その可能性を考慮し、あえて少し遠方を選んだのだ。
「普段来ない場所ですから。楽しみです」
ひよちゃんはそう言ってはにかんだ。
そして、俺たちはまず第一の目的であるひよちゃんの服探しを始めることにした。
だが――
「正直、どこの店に行くべきなのかわからん……」
俺とひよちゃんは途方に暮れていた。
まず、当然のことながら俺は女性のファッションに明るくはない。どこの店が、女子高生にふさわしい店なのか、判断が付かない。
「私も目移りしてしまいます……こういう場所で服を買うのは初めてなので」
ひよちゃんもショッピングの経験は浅いらしく、特段、好きなブランドや店があるわけではないらしい。
(もう少し、リサーチをしておくべきだったか……)
とはいえ、ネットで情報を仕入れるのも限界がある。誰かにアドバイスをもらうにしても、俺がコンタクトをとれる女性はそう多くはない。すぐに思いつくのは、歩美だが――
(元カノに「女子高生に服を買ってやる」相談をするのはな……)
彼女とは昔のようにだいぶ気安い関係に戻ってきてはいるが、それでも踏み込みにくい領分はある。
というわけで、俺たちは早速、指針を失ってしまったわけである。
だが、俺とて大人だ。ひよちゃんにあまりかっこ悪いところは見せたくない。それに、俺は完全に無策というわけではない。
「ひよちゃん」
「はい?」
俺の呼びかけに彼女は振り返る。
「解らないことがあったときはどうするんだ?」
俺は教師然とした態度で彼女に尋ねる。
「えっと……調べてみる? ……それでも解らなければ、人に聞いてみるとか?」
「その通りだ」
俺はゆっくりと頷く。
「解らないことは質問する。それはどこの世界でも通用する真理だ」
「女子高生に人気のお店でしたら、三階の南エリアに集まっています」
インフォメーションセンターのお姉さんは、にこやかに微笑んで、そう教えてくれた。
「この娘に服を見繕ってやりたいんですが」と言うと、戸惑いを見せることもなく、対応してくれる。ひよちゃんの服の好みを元に、ふさわしそうな店をいくつかピックアップしてもらった。こういう質問も、どうやらよくあることのようだった。
「親御さんやご家族の方が年頃の娘さんと一緒に服を買いに来ることもありますので」
さすがは接客のプロということか。
「ありがとうございます」と礼を言って、教えてもらった店へと向かった。
「うわあ、かわいいお洋服です」
どうやら、インフォメーションセンターで尋ねるという作戦は当たりのようだった。ひよちゃんの受けは上々だ。
彼女も年頃の女の子だ。お洒落にも興味はあるのだろう。色々な洋服を手にとっては目を輝かせている。
「気になるお洋服がございましたら、遠慮なくご試着してください」
品のよい感じ店員さんがにこやかに声をかけてくる。
「は、はい!」
急に声をかけられて驚いたのか、ひよちゃんは固い声で返事をした。
店内をぐるりと見て回り、その中で少しでも気になったというものを選び出す。
「えっと……こんなにたくさんは……」
選んだ服は籠の中に山積みになっている。どうやら、彼女の琴線に触れる服は割と多かったようだ。
「一度、着てみたらいいよ。その中で気に入った奴を買おう」
「わ、わかりました」
こうして、ひよちゃんの試着が始まった。
俺は小さな試着室の前の椅子に座り、彼女の着替えが終わるのを待った。
しばらくすると、彼女はそっとカーテンの隙間から顔を出してきた。
「着られたか?」
「えっと……はい」
「見せてくれよ」
「は、はい」
ひよちゃんはそう返事をしたものの、カーテンを固く握ったまま硬直している。
「ひよちゃん?」
「ちょ、ちょっと緊張してしまいまして……大丈夫です、いけます!」
そう言って、意を決したのか、彼女はカーテンを勢いよく開けた。
「どうでしょうか……変じゃないですか……?」
彼女が着ていた服はフリルとリボンのあしらわれた白のブラウスに、藍色のサスペンダースカートだった。お嬢様チックなしっとりとした井出達だ。
「いいじゃないか。よく似合っているよ」
彼女はどちらかというと童顔で幼めな容姿をしているから、フリルなどの多い甘めなファッションははまっている。すっきりと美しいというよりは、かわいさを求めた服が似合うタイプだ。
「そ、そうですか! ありがとうございます!」
彼女は不安げに曲げていた眉をぱっと開いて笑う。
「よし、どんどん着てみよう」
「え……これだけでも十分なんですけど」
「でも、他の服も気になるんだろ」
「それは……まあ、そうですけど」
「なら、着てみなさい。せっかくなんだから」
「そうですか、じゃあ――」
彼女は色々な衣装を身にまとう。
ニットにキュロットを合わせたフェミニンな格好から、シンプルなブラウスにフレアスカートを合わせてシックな大人の装いをしてみたり、逆にTシャツにロングスカートといったラフな井出達をしてみたり、ありとあらゆるタイプのコーディネートを試した。ひよちゃんもだんだんと楽しくなってきたようでにこにこと笑っている。
こうして、ひよちゃんは一通りのファッションを堪能したのだった。
「えっと、買ってもらうのは一番最初の服にしようと思います」
そう言って、彼女は微笑む。
「あれが一番良かったと思うので」
「そうか。それは良かった」
俺はそう言って、彼女に紙袋を差し出す。
「え? もう買ってくれたんですか?」
彼女が紙袋の中を覗き込むと、
「え?」
彼女はもう一度、今度は一層大きな声を上げる。
「さっき着てた服全部入ってます……」
「ああ、全部買ったからな」
彼女が元の服に着替えた端から俺はすべて会計を済ませておいた。
彼女ははっとした表情になって、叫ぶ。
「こ、こんなにもらえないです! 一着だけで十分ですから」
「別にいいよ、君が想像しているほど大した値段じゃない」
実際、この店は彼女位の年齢層を狙った店なので、そこまで高価な服はなかった。確かに学生が買うには少し背伸びかもしれないが、社会人からすればそこまで驚くような金額ではない。まあ、もちろん、これを毎月などと言われればさすがにきついが。
「実際、外出着は必要だろ? これから梅雨で洗濯物が乾かないなんて時もある。そんなときに一着や二着では生活できないだろうし」
「でも……」
彼女はまだ戸惑い、困惑しているようだ。
だから、俺は言ってやる。
「言っただろ。遠慮なんかするより、思いっきり喜んでくれた方が嬉しいって」
「奏多さん……」
「もし俺に感謝してくれるんだったら、ひよちゃんが色んな服を着て、見せてくれよ。それが俺にとっても楽しいことだからさ」
「う……」
俺がそう言うと、なぜかひよちゃんはひるんだような顔になる。そして、さっき渡した紙袋を掲げて、顔を隠しながら呟いた。
「すぐにそういうこと言うところ、本当にずるいです……」
彼女は手に持った紙袋の上からそっと顔を出して言った。
「ありがとうございます。この服は大事に着ます」
そう言って、彼女は目を細めた。
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