第19話「古き都にて②」
「先生、見てよ。ほら、大吉」
「ほー、よかったな」
幾人かの女子生徒が自分が引いたおみくじの結果を見せにくる。
男子生徒の何人かもおみくじを引いて、結果に一喜一憂して騒いでいる。男子たちは誰がよりよい運勢を引けたかで勝負をしているようだ。
イベントにはしゃぎ、笑う彼らを見ていると、なんだかんだで、まだ子供なのだなと思う。
そんな生徒たちの中で、浮かない顔をしているものが一人。
「静井は引かないのか?」
「え……?」
ひよちゃんは、ちらちらとおみくじの方を見ていたが、結局くじを引いてはいなかった。
「え、えっと……その……大丈夫です」
「………………」
おみくじなんて必ず引かなければならないものではない。別に彼女がおみくじなど興味がないというのなら、放っておけばいいことだ。
だが――
「本当は引きたいんじゃないか」
俺は彼女にだけ聞こえるような声で言う。
「う……」
ひよちゃんは、図星をつかれたのか、気まずそうに目を逸らした。
「遠慮してるんだろ。お金の無駄遣いじゃないかって」
「………………」
彼女の生活費は、今、俺が出している。彼女はほとんど無一文だったからだ。だから、彼女は生活必需品一つ買うのすら遠慮する。そういう性格の娘なのだ。
そんな彼女だから、おみくじにお金を使うのがはばかられたのだろう。
俺は周囲に話を聞かれないように注意しながら言う。
「おみくじくらい引きたければ引いたらいい。それくらいのことを禁止するほど、俺もケチじゃない」
まあ、子供の頃からの貧乏暮らしが染みついているせいで、普通の人よりは倹約家だとは思うが。
「そんなことより、その程度のお金を使うことを気にして遠慮して、ひよちゃんが後悔する方が、俺は悲しいよ」
「……奏多さん」
ひよちゃんから肩の力が抜け、いつものような自然な表情になる。
「奏多さんには、全部お見通しですね……」
そう言って、彼女は満開の桜のような笑顔を見せるのだった。
「琴子ちゃん、見てください! 大吉です!」
どうやら、ひよちゃんは見事に大吉を引き当てたようだった。いまにも、踊り出しそうな勢いで、ぴょんぴょん跳ねている。
乾はひよちゃんの持っていたおみくじを受け取り、眺める。
「恋みくじ……ね……」
「恋みくじ」とは、おみくじの中でも恋愛運を占うことに焦点を当てたおみくじだ。どうやら、ひよちゃんが引いたのは、その「恋みくじ」だったらしい。
「かな……建屋先生、やりました! 大吉です!」
「おう、よかったな」
俺が目を細めていると、
「先生、この後のコースって、どうなっていましたか?」
乾はちらりと横目でこちらを見ながら、そう尋ねた。
「この後か? 次は円山公園だな」
ここからは産寧坂を抜けて、北上。円山公園を昼食を取ることになっている。
「そうですか。残念です。『安井金毘羅宮』にはいかないんですね」
「『安井金毘羅宮』?」
「ご存じないですか?」
『安井金毘羅宮』と言えば確か――
「縁切り神社だったか?」
『安井金毘羅宮』とは、通称「縁切り神社」と呼ばれている神社だ。文字通り、そこにお参りをすれば不要な縁を切ることができるらしい。
「その通りです、先生。少し歩いたところにあるんですけど、一度行ってみたかったんですよね」
「そうなのか」
乾はくすりと口の端を歪める。彼女の表情に何か底知れないものを感じながら、俺は尋ねた。
「縁切り神社に行って、何か切ってほしい縁でもあったのか?」
俺の問いかけに乾は、
「ええ、そうですね。ちょっと……ね」
そう呟きながら、そっとひよちゃんを見やるのだった。
時刻は正午になろうかという頃、生徒たちは円山公園にたどり着き、昼食をとっていた。
円山公園は八坂神社の東に位置する大きな公園だ。池の上に渡された石橋といった日本式庭園を中心とし、豊かな緑が見られる。もう少し時期が早ければ満開の桜が見られた。その頃には、大勢の花見客がこの公園を賑わわせている。
そんな公園で昼食をとる生徒たちと見ながら、俺はあることを考えている。
乾琴子という少女はいったい何を考えているのだろうか。
彼女は明らかに何かを感じ取っている。その態度を見ていれば、それは察せられた。問題は、彼女がどこまで知っているのかということだ。
(俺とひよちゃんが結婚していることも知っているのだろうか)
それはないはずだ。
いくらなんでも16歳の少女が24の担任教師と結婚していると、普通は想像することすらないはずだ。
だが――
(少なくとも、俺とひよちゃんが幼馴染であることは知っている)
なぜなら、そのことは隠していないからだ。それを誤魔化そうとすることで怪しまれ、藪蛇になる可能性の方を恐れた故に、隠さないという方針を定めたのだが。
(乾はきっとそこから俺たちの関係を怪しんでいるのではないか)
彼女とひよちゃんは仲が良い。友達だからこそ感じ取れる何かというものもあるはずだ。
(もう少し探りを入れてみるか)
幸いにも、ウォークラリーはまだ半日残っている。彼女に自然に接触する機会もあるはずだ。
昼食と小休止を終えると俺たちはさらに北上し、南禅寺を経由して、哲学の道を歩く。
哲学の道とは、北は銀閣寺橋、南は若王子橋を境とする琵琶湖疎水に面した道のことを指す。名前は、多くの哲学者がこの道を歩きながら思索を深めたことからきているらしい。ここも桜の満開時には、川を埋め尽くす花びらが躍る幻想的な景色が広がる。
少々時季外れということもあって、桜の木は完全に緑になってしまっていたが、話をするにはむしろ落ち着いた雰囲気がしていいかもしれない。花は人を惑わすと言うから。
俺はタイミングを見計らって、歩いている乾琴子に声をかけた。
「どうだ、乾。疲れてないか?」
俺がそう声をかけると、彼女はなぜか一瞬きょとんとした表情を見せる。しかし、次の瞬間には、その表情を消し、鉄面皮を被って応えた。
「結構辛いですね。あまり、運動は得意ではないので」
彼女は淡々とした調子で言った。
俺はそのまま話を続ける。
「部活とかはやってなかったのか?」
「中学の時は、一応バレー部でした。でも、ずっと補欠でした」
彼女は問われたことに単純に返答する機械のような調子で答えた。
「そんなことより私も聞いてもいいですか?」
彼女はリュックを背負い直し、俺の方に向き直る。
「なんだ?」
「先生はひよのことをどう思ってるんですか?」
それはあまりに直球な質問だった。
俺はさりげなく、周囲を見回す。近くにひよちゃんは居ない。
俺は自然な調子を装って言った。
「あの子は俺の幼馴染だからな。まあ、妹みたいなもんだよ」
「本当ですか?」
乾はいぶかしげな顔で俺を見ている。
いつの間にか、俺たち二人は歩みを止めている。俺たちの後ろを幾人かの生徒たちが追い越していった。
俺は改めて言う。
「ああ。あの子は俺にとっては妹だ」
乾はまるで俺の中にある何かを探しださんとするみたいに俺の瞳を覗き込んでいる。そんな彼女の瞳には、俺が映っていた。
それはどれくらいの時間だっただろう。それほど、長い時間ではなかったはずだ。だが、俺にはその一瞬が永遠のようにすら感じられた。背中に嫌な汗がつたう。
乾は不意に、ふっと息を吐いて言った。
「なら、先生の言葉を信じますよ」
そして、彼女は振り返ることもなく、ひよちゃんの背中を探して歩いて行った。
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