第18話「古き都にて①」

「もう点呼してもらってない奴はいないか?」


 俺は自分のクラスの生徒たちに向かって呼びかける。だが、どの生徒もそわそわしていて、こちらの話などまともに聞いちゃいない。だが、それも無理はないだろう。なにせ、今日はこのクラスが始まって以来、最初の大きな学校行事だ。


「ウォークラリー、楽しみですねー」


 ひよちゃんが乾に向かって笑いかける。

 そう、今日は俺が下見をしたウォークラリーの当日。京都の街並みをあらかじめ決めた班で回るイベントだ。

 こういうイベントは雨天時は中止になってしまうのだが、今日は見事な快晴。四月にしては少し暑いくらいだ。生徒たちは水色の体操服のジャージを着ているが、上着を脱いでいるものも多い。


「ウォークラリーの間は、必ず班行動すること。チェックポイントの時点で班員がそろってないときは、そろうまで待機してもらうからな」


 四条大橋のたもとで俺は自分の生徒たちに最後の確認をする。彼らはこれから決められたコースを回り、そこで待つ教員にハンコをもらう。それが全部そろった上でゴールの吉田神社にたどり着けばウォークラリーは終了だ。

 ちなみに俺は生徒たちと一緒に歩く側に回った。チェックポイントで待機するのは、主に年配の先生が多い。俺のような若手は生徒が途中で余計なことをしないように見張るお目付け役に回っている。

 とはいえ、俺はこの役割を面倒には感じていなかった。身体を動かすのは好きだし、京都の街並みを散策するのも好きなのだ。むしろ、積極的に生徒たちについて回る役割を選んだ。

 それに一緒に歩く方が生徒たちと過ごす時間を多くとれる。新任で受け持ちの生徒のことをほとんど知らない俺は、こういう機会に生徒たちの性向の把握に努めたいと思っていた。

 故に俺は今日という日を待ち望んでいたといっても過言ではないのだ。


「では、出発! 各自、楽しんで来い!」


 俺が号令をかけると生徒たちは銘々に散っていった。

 



 俺は生徒たちの背後を歩きながら、街並みを見て回る。四条通の中心部はアスファルトで舗装された近代的な様相だが、清水寺へ続く産寧坂の方へ回ると京都らしい風情ある街並みが見えてくる。石畳の両脇には昔ながらの木造づくりの露店が並ぶ。そこに並んでいるものも、扇子であったり、簪であったりと、歴史を感じさせるものが多かった。

 生徒たちはそんな店を冷かしながら歩いている。うちの生徒たちは皆、体操服姿だから、遠くから見てもその姿は目立っていた。

 俺は彼らに時々声をかけながら、自分もチェックポイントへと向かった。




 最初のチェックポイントの清水寺へとたどり着く。

 有名な清水の舞台が見える。その背景には美しい山並み。穏やかな春の日差しがその新緑を優しく照らしていた。

 心地よい風を受けながら、俺は境内の中へと足を踏み入れた。

 清水の舞台からの眺めを堪能した後、俺は地主神社の方へと向かった。

 地主神社は、明治時代の神仏分離によって寺院の中にあった鎮守社が分離した神社を指す名称だ。中でも、この清水寺にある地主神社は、あることで全国でも有名だ。

 それは――


「どっちですか! 琴子ちゃん!」


 この「恋占いの石」である。

 神社の境内の真ん中に二つの大きな石が置いてある。その二つの石の間を、片方の石からもう片方の石まで目を瞑ったまま辿り着けたら、恋が叶うという伝説のある石だ。


「まっすぐよ、ひよ」


 このとき、誰にも助けを借りずに自力でたどり着けた場合は、自力で恋が叶えられる。誰かの手を借りた場合は、恋の成就にも人の助けが必要らしい。

 今はちょうどひよちゃんがその伝説に挑戦しているところのようだった。乾がその側でひよちゃんを声で導いている。まるで、スイカ割りでもしているみたいだ。

 目を瞑りながらそろそろと歩く彼女の姿は危なっかしい。思わず、手を出して助けてやりたくなるが、ぐっとこらえる。実際にこけたりしたのであれば話は別だが、この段階で手を出すのは我ながら過保護過ぎるだろう。

 よって、俺は離れたところから応援だけすることにした。


「静井、頑張れよ!」


 俺がそう声をかけると、


「わわわ、奏多さん――じゃなくて建屋先生!」


 彼女は目を瞑ったまま、俺の声に応えて振り向く。


「頑張ります! 絶対成功させます!」


 ただのおまじないに臨んでいるとは思えないような気合の入った調子で彼女は言った。


「まあ、怪我しないようにな」

「はい!」


 そう言って、彼女はおまじないを再開しようとしたようだが――


「あ! 振り向いたので、方向が解らなくなりました!」


 俺が声をかけてしまったせいで、どちらを向いて歩いていたのか解らなくなってしまったみたいだ。ひよちゃんは目を瞑ったまま、きょろきょろしている。


「大丈夫よ、ひよ。私の指示に従いなさい」


 声をかけたのは乾だった。


「ひよ、もう少し右に……そう。そのまま、まっすぐ――」


 どうやら、乾が彼女を助けてくれるようだ。ここでこれ以上、声をかけるのも野暮だ。俺は別の生徒の様子を見に行こうとしたのだが――


「きゃっ!」


 ひよちゃんの甲高い声がして、俺は思わず振り返る。

 まさか、怪我でも――


「あらあら、失敗しちゃったわね」


 ひよちゃんは乾に抱き着くような形で立っていた。背の低いひよちゃんは乾の胸元に顔をうずめるような形になっている。


「ええ! なんでですか!」

「ごめんなさい。ちょっと右に誘導しすぎたみたい」

「そんなあ! じゃあ、失敗ってことですか!」


 どうやら、乾が掛け声の調整を誤って、目を閉じたひよちゃんが彼女にぶつかってしまったらしい。


「まあ、こんな伝説なんて当てにならないわよ」


 乾が淡々とした様子でひよちゃんを慰め、優しく彼女の頭を撫でる。


「ふええーん、でも、成功したかったです……」

「ふふふ。あなたに恋はまだ早いわよ」


 乾はそう言って、妖艶に笑い――


「ん……?」


 なぜかちらりとこちらに視線を向けた。

 その視線には何か意味が込められているような気がする。


(まさか、わざと失敗させた……?)


「ふふふ、行きましょうね、ひよ」


 そう言って、彼女は軽やかにひよの手を引っ張って歩き出した。

 乾琴子。彼女はいったい何を考えているのだろうか。

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