第17話「振り返る愛しい時間②」

「やっほー、お待たせ」

「おう」


 俺は地下鉄の階段を上ってきた歩美に向かって片手を上げる。

 下見当日、俺たちはウォークラリーのスタート地点である四条大橋で待ち合わせた。

 四条大橋は碁盤の目状に道が張り巡らされた京都の北から四番目に当たる道に存在する。一本目から一条通、二条通、三条通と呼ばれ、四番目だから四条通と呼ばれるというわけだ。京都市の中心部であり、それ故に様々な店が軒を連ねている。近くの学生にとっては良い遊び場所になる。

 故にこのこの辺りで待ち合わせをする人間は多い。大学生と思しき一団や仕事に向かうサラリーマン。もちろん、恋人同士と思しき者も多数居た。

 歩美は不意に、思い出し笑いでもするようにくすりと笑った。


「なんか、懐かしいね。こういうの」

「……そうだな」


 俺たちが付き合っていたときは、こんな風に待ち合わせをした。二人とも時間にはうるさいタイプだったから、いつも集合時間の十分前には顔を合わせていた。「どっちが先につけるかな」なんて冗談で意地を張りあって、二人とも待ち合わせの三十分も前に集まっていたこともあった。


「まあ、今日は仕事なんだけどな」

「むう、奏多はすぐそういう冷たいをことを言う」

「事実だろうが」


 歩美は目を尖がらせて、こちらを睨む。

 そして、両手を大きく広げて、俺に向かって言った。


「ねえ、どうこの服。似合う?」


 今日は仕事ではあるが、一日動き回ることになる。だから、今日は普段と違って、スーツではなく私服で集まることになっていた。

 歩美が着てきた服は、レースのあしらわれた白のブラウスに、シンプルな黒のスキニーパンツ。スポーティーな印象のシンプルな服装だった。今日は一日歩く予定だから、こういう動きやすい格好を選んだのだろう。


「いいな、よく似合っている。歩美にぴったりだ」

「えへへ、でしょ?」


 そんなやり取りをしていると、楽しかった昔が蘇ってくる。そして、あの頃の気持ちも――


「ほら、行くぞ。こんなところで油を売っている暇はない」


 俺はそんな気持ちを振り切るために、彼女に背を向け、歩き出した。




 下見で確認しなくてはならないことはいくつかある。

 まずは、既定のコースで学生が通るのにふさわしくない場所はないかということ。あまりに派手な歓楽街やいかがわしい店があるようなコースはふさわしくない。今回のコースは例年と同じ場所だったから、そういった心配は少ない。だが、一年もあれば街は簡単に表情を変えるものだ。去年は問題なかった場所も、今年は駄目なんてことはざらにある。ゆえに下見が必要なのだ。

 他にもチェックポイントにしていた寺社仏閣が工事のために通れなかったり、当日、別のイベントとかち合ってしまったためにやむを得ずコース変更をした年もあったと聞いている。その辺りのことはネットを使ったり、問い合わせをしたりすれば解るのだが、やはり、実際に現地に赴くのが確実だ。

 俺と歩美は事前に言われていた点を入念にチェックしながら決められたコースを回った。

 だが、歩美と二人でこの道を回れば、自然と俺たちが高校一年生だったときの記憶が蘇ってくるのは無理からぬ話だった。


「ねえ、見て。ここ覚えてる?」

「三枝の奴が転んだ場所だろ?」

「そうそう! よりにもよってこけたら三年で死ぬなんて謂れがある場所でこけるから、彼、大騒ぎで――」

「まあ、今でもぴんぴんしているらしいから笑い話だな」


「ここでの海老根、すごかったよね」

「あいつ、手に鳩乗せてたもんな」

「そう。ここの鳩、さすがに警戒心なさすぎだよね」


「確か、みこちゃんたち、ここでサボってて怒られたよね」

「そうそうチェックポイントに行かずに誤魔化そうとしたんだよな」

「ばれるに決まってるのにね」


 そんな風に語り合いながら、俺たちは一日をかけて、京都の町を回った。




「さすがに疲れたね」

「そうだな」


 このウォークラリーは、「ウォーク」ラリーというだけあって、歩く距離が長い。そこを各スポットで問題がないか確認しながら回るのだから、一日仕事になってしまった。

 最終地点の吉田神社の側のベンチに腰を下ろす。


「いやあ、学生時代なら余裕だったんだけど」

「俺らも年を取ったってことだろ?」

「部活の指導がてら運動してるつもりなんだけどね」


 歩美は陸上部の顧問をしている。学生時代も、陸上部に所属していた関係で抜擢されたらしい。

 歩美はベンチに座ったまま、首を上げて、空を見た。俺も釣られて、同じように空を見上げる。

 夕焼けが空を赤く染めていた。なぜか夕焼けというものは見ているだけで切なくなってくる。太陽なんて毎日沈んでいるはずなのに。だけど、俺だって毎日そんな悲壮感を覚えているわけではない。きっと、そんなもの悲しさを感じるのは、隣に一緒に空を見上げる人間が居るからだ。


「楽しかったね」

「……そうだな」


 ただ、歩美は今日一日、そんな一言でまとめた。だけど、それ以外の言葉は、俺にも思いつかなかった。

 歩美は空を見たまま、言った。


「ねえ、奏多、何か悩んでいることあるでしょ?」


 俺は思わず、彼女の方を見た。


「わかるよ、付き合い長いからね、私たち」


 彼女はそう言って、目を細める。まるで、小さな子供に接するときみたいな優しい表情をしていた。

 そして、彼女はそっとベンチから立ち上がる。ぼろく小さなベンチが幽かにきしむ。


「それが私に助けられることなら言って」


 そして、歩美は俺の方に振り返って言った。


「私は奏多の味方だからさ」


 赤い夕焼けに照らされた彼女は、まるで天女のようだと俺は思った。

 俺はひよちゃんのことを考えた。

 彼女の問題を解決するためには、俺一人では及ばないときが来るかもしれない。そうなったときに俺は彼女を頼ってもいいのだろうか。

 歩美は信用できる人間だ。秘密を吹聴することはないはずだ。だが、問題は極めてデリケートだ。ここは慎重になる必要があるだろう。


「ああ、もし、俺一人で解決できなければ、歩美を頼ることにする」

「うん、そうして」


 歩美はそう言って、優しく微笑むのだった。

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