第14話「変わるもの、変わらないもの③」

「昔もこんなことあったよね」


 二人で連れ立って職員室へと戻りながら、彼女は言う。


「ああ、そういえば、あったかもな……」


 彼女が言おうとしていることはすぐに解った。

 それは俺たちが出会って間もない頃のこと。

 街中で男性に声をかけられている彼女を見つけた。きっと、あれはナンパだったのだろう。俺は歩美の表情を見た。彼女は明らかに困っていた。そんな表情をしたクラスメイトを見て、放っておけるわけがなかった。俺は男の前に立って、彼女の手を引いた。


「あんときは、全然スマートじゃなかったな」


 俺は苦笑する。うまく男を言い負かすなり、騙すなりして彼女を連れ出せればよかったのだけど、当時の俺はただ、彼女を連れ出さなくちゃという思いだけが先行して、彼女の手を引いて、脱兎のごとく逃げたのだ。結果としてうまくいったけれど、もう少し頭のいい解決法はあったかもしれない。


「でも、嬉しかったよ」


 歩美は遠い昔を見つめながら呟いた。


「建屋先生……ううん、奏多に助けてもらえて、私は本当に嬉しかったの……」


 俺は隣を歩いていた歩美の横顔を見つめる。


「あれから、私たちは仲良くなって、結局、付き合うようになって……」


 そして、すれ違いの末に別れてしまった。けれど、その先の言葉を歩美は言わなかった。


「ねえ、一個変なこと聞いていい?」


 歩美は一歩前に出て、俺の方に振り返りながら言った。


「奏多って、今付き合っている人いるの?」


 彼女の目は真剣だった。

 「付き合っている人が居るのか?」と問われて、最初に浮かんだのがひよちゃんの顔だった。だが、あれはあくまで無理矢理結婚させられただけで、付き合っているわけではない。今も、婚姻を無効にする手続きについて、仕事の合間を縫って調べているところだ。


「まあ、付き合っている人は居ないな」


 俺はそう答えた。ひよちゃんのことを考えれば、少し不誠実な言い方だったかもしれない。だが、彼女との関係が公にできない以上、今はこういう物言いをするほかなかった。

 俺の答えを聞いた歩美は――


「そ、そっか……」


 なぜか俺から目を逸らして、俯いた。


「そうなんだ……」


 そんな会話をしている内に職員室にたどり着いてしまう。さすがにこういう話は職員室に持ち込むべきではないだろう。


「じゃあ、また」


 俺が歩美にそう言って、背を向ける。

 すると、歩美は言った。


「うん、じゃあね、奏多」


 それは昔と変わらない彼女の明るい声。

 俺は思わず振り返る。優しく微笑んだ彼女の顔に、十六歳の頃の彼女の姿が重なった。




「やっほー、奏多、元気?」

「まあ、ぼちぼちだな」

「そっか、それは良かった。ここでは、私の方が先輩だからさ、解んないことがあったら聞いてね」

「ああ、助かるよ、歩美先輩」


 あの日以来、歩美は俺に学生時代と変わらないような調子で話しかけてくるようになった。彼女とぎくしゃくした関係を何とかしたかった俺としては渡りに船。俺も昔のように気安い態度で彼女と関わるようになった。

 もともと俺たちは仲が良かったのだ。一度、きっかけさえあれば、こんな風な良い関係に――良い「友人関係」に戻れる。そうなれたことが俺は本当に嬉しかった。


「奏多」

「ん?」

「私、奏多と再会できてよかった」


 ある日の放課後、帰りの時間が重なり、一緒にバスを待っているときに彼女は言った。


「再会せずに最後に別れたときのままだったら、私はきっと一生後悔を抱えたままだったから」


 俺たちの最後は決して円満ではなかった。だからこそ、再会したときにぎこちない空気が漂ったのだ。


「だから、もう二度と後悔しないように私、頑張るから」


 歩美は真剣な表情でそう言って俺を見た。

 そのとき、夜道を裂く、バスのヘッドライトが見えた。

 歩美が乗ろうとしているバスだった。


「じゃあ、また明日」


 彼女はバスに乗り込み、俺に向かって手を振った。俺が手を振り返したとき、バスの扉がゆっくりと閉まった。バスは走り出し、夜の町へと消えていく。

 俺は一人、バス停でひよちゃんの居る家へ帰るためのバスを待つのだった。

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