第13話「変わるもの、変わらないもの②」

 とはいえ、朝、職員室で顔を合わせ、開口一番というわけにはいかない。お互い、いい大人なのだから、時と場所は考えなくてはならない。

 俺は歩美の方を観察しながら、彼女と落ち着いて話が出来そうな時間になるまで待つことにした。


 結局、決定的なタイミングは昼休みまでやってこなかった。

 教師というのは、共通の休憩時間というものがない。自分の授業の空き時間が、基本的に休憩時間ということになる。実際は、その空き時間に授業準備や雑務を行うので、休憩している時間などほとんどないのだが。

 間が悪いことに、今日の時間割では、俺と歩美の空き時間が被っていなかったのだ。明日に持ち越すという手もある。だが、ずるずると先延ばしにするのは、もう嫌だった。

 昼休みの間になんとか話ができないものか。

 俺は歩美を探す。


(居た)


 彼女はちょうど職員室を出て行くところだった。俺は一瞬迷ったが、後を追うことにした。もし、彼女が何らかの仕事をしにいくところなら諦めて、この時間は引き下がろう。そう考えた。

 彼女が向かっていく方向は――


(もしかして、自販機か?)


 うちの学校の中庭に自動販売機が設置されている。その自動販売機は生徒はもちろん、教師も自由に使える。俺も学生時代はよく利用していた。


(俺も飲み物を買って、その流れで話してみるか)


 何かを飲みながら話すというのは悪くない。落ち着いて話が出来そうだ。

 俺は彼女の背を追った。




 だが――


「先生って、すごい美人っすよね? 彼氏とか居るんすか?」

「い、いや、私は……」


 昼休みの自動販売機など、生徒のたまり場だ。そこに教師が足を踏み入れれば、こんな状態になることは必然だった。

 うちの学校は決してガラが悪いわけではない。一般的には、進学校と言われる類いの学校だ。それでも、中学生を合わせると千人を超える生徒数が居れば、こんな風に調子に乗ってしまうタイプの生徒も出てくる。


「居ないんすか? じゃあ、俺、立候補していいっすか?」


 どうやら、一人の男子生徒に歩美は絡まれているようだった。


「その……教師に向かって、そういうことは――」

「え? なんですか?」


 歩美が何事かを言ったようだが、消え入りそうな声は周囲の喧騒にかき消されてしまう。

 歩美は昔から押しに弱い性格だった。それは彼女の人の好さの裏返しだったのだが、それが今は悪い方向に出ているようだ。絡んでいる男子生徒の体格が良いのもあって、少し萎縮してしまっているようだ。

 きっと――


(放っておいても、彼女はきちんと切り抜けるだろう)


 俺は『千瀬歩美』という人間を知っている。彼女は決して弱い人間ではない。困難にぶつかったときも、一人で乗り越えられる力を持った人間だ。だから、今、不意の出来事に気圧されているだけで、もう少しすれば教師として毅然とした態度を取り、事態を収められることは間違いない。

 だが――


(これは俺のわがままだ)


 俺はこれ以上、一秒でも歩美が困っているのを放っておくことはできなかった。

 俺は何気ない調子で歩美たちの方に近寄る。


「千瀬先生、どうしました?」

「あ……」


 彼女がこちらを振り向いたそのとき、彼女の大きな瞳はわずかに揺れた。


「楽しそうな会話ですね、私も混ぜてくださいよ」

「おい、やべえぞ」

「謝っとけよ」


 俺が介入したことで、先程の男子生徒の友人たちが、彼を小突く。

 そこでようやく頭が冷えたのだろうか。男性生徒は途端にしおらしくなる。


「す、すいませんでした。調子のってました」


 すぐに謝れるあたり決して悪い人間ではないことは理解できた。


「女性を困らせるようなことを言うのは、関心できないからな。気をつけな」

「はい……」


 こういう行為が酷くなると、校内の補導委員会に通告し、処分してもらう必要があるのだが、俺は男子生徒が反省していると判断し、歩美に改めて謝罪させた後、解放した。


「余計なことしたな」


 俺は気の抜けた顔をしている歩美に言う。


「え?」

「いや、俺が間に入らなくても、おまえなら自分で対処できただろ?」

「……まあ、そうだけど」


 一瞬の沈黙。彼女は何かに迷っているように視線をさ迷わせ、顔を伏せた。二人の間を音もなく、柔らかな春の風が流れていく。

 そして、彼女はそっと顔を上げた。


「ありがとう、助けてくれて嬉しかった」


 そう言って、彼女は昔と変わらない笑顔で言った。


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