第12話「変わるもの、変わらないもの①」

「『建屋先生』」


 固くこわばった声に俺は振り返る。


「なんでしょう、『千瀬先生』」


 背後に居たのは千瀬歩美。俺の同僚で、元クラスメイト。そして――元彼女でもある。


「学年の回覧です。確認出来たら印鑑を押して、次に回してください」

「はい、わかりました」


 俺は彼女から手渡された回覧板を受け取った。すると、彼女は踵を返して、自分のデスクへと戻って行った。

 本格的に仕事が始まって、そろそろ一週間が経とうとしている。だが、俺たちの関係はどこか気まずいままだ。以前、弁当を一緒に食べたときは、もう少し砕けた喋り方ができたのだが……。

 同僚の距離感としては正しいのかもしれないし、ある意味、「元恋人」に対する距離感と考えても自然なものかもしれない。だが、かつてのクラスメイトとしては、やはり寂しい関係だった。


(やはり、このままではよくないよな……)





「私と琴子ちゃんが仲良くなった経緯ですか?」


 俺は台所で夕食を作っているひよちゃんに対して、質問してみた。


「いや、二人って仲良いよなって思ってさ」


 一年E組の学級が始まって、数日が経つが二人は本当に仲が良いようで始終、行動を共にしていた。入学してすぐは同じ学校出身者で固まる傾向があるのは普通だが、ひよちゃんの表情を見ていると本当に乾に気を許しているのだということがよく解った。

 ひよちゃんは、手慣れた調子で夕食を作り続けながら、俺との会話に応じる。


「小学四年生のときに同じクラスになって琴子ちゃんの方から話しかけてくれたんです。それ以来、大体ずっと同じクラスで仲良くしています」

「そうか。クラスメイトだったんだな」


 四年生というと、ちょうど俺がこちらを離れたときあたりか。道理で俺が乾のことを知らないわけだ。ちょうど、俺と乾は入れ替わりでひよちゃんと仲良くなったようだ。


「クラスメイトか……」


 俺と歩美の関係も、一人のクラスメイトとして始まった。

 よく教師は「みんなと仲良くしましょう」などと言うイメージがあるが、少なくとも俺はそれが絶対的な価値観とは考えない。人間、気の合う相手も居れば、合わない相手も居る。もちろん、どんな相手でも付き合う必要はある。だが、合わない相手と無理に仲良くすることまで正しいこととは思わない。俺はそれを教師になってから様々な生徒たちから学んだ。

 だが、少なくとも俺と歩美は一時、恋人同士だった。あのときの俺たちは確かに心が通じ合っていた。今でも俺の心を温める彼女との大切な思い出はいくつもある。すれ違ってしまったとはいえ、今のような関係になるには、あまりに寂しすぎた。


(やっぱり、一度話そう……)


 俺は改めて決意を固めた。

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