第11話「日常の一コマ②」

「はい、これが奏多さんの分のお弁当です」

「お弁当?」

「はい」


 朝、ひよちゃんは俺に向かって弁当の入った包みを手渡した。


「今日からお弁当が必要だったので自分で作ったんです。二人分も一人分も同じなので、一緒に作りました」


 朝食を作るだけでなく、そんなことまでしていたのだ。本当に頭が下がる。

 普段は学食を利用したり、コンビニで弁当を買って行ったりしていた。今日も同じように済ませようと思っていたのだが、せっかく作ってくれたものを無下にすることはできない。


「じゃあ、ありがたくいただくよ。おっと、今日は早朝指導の当番だから、もう出ないと」


 俺は慌てて、弁当箱を鞄にしまう。


「はい、では、また学校で」


 彼女は玄関で小さく手を振っていた。




「ふう。ようやく、昼時か」


 四時間目の授業の始まりを告げるチャイムが鳴る。うちの学校は基本的に七時間制で、四時間目の授業の後に昼休みがやってくる。

 生徒は昼休み以外に食事をすると「早弁」などと言われ指導が入るが、もちろん教師には関係ない。いつ、食事を取るのも個人の自由だ。むしろ、昼休みは生徒が質問などをしに来る可能性もあるので、教師は授業の空き時間に食事を取るのが普通だ。


「お、学食に行くか?」


 同僚の先輩教師の一人が俺に声をかけてくる。


「あ、今日は弁当があるんですよ」


 俺がそう応えると「そうか」と言って、先輩教師は他の教師と連れ立って学食の方へと向かった。

 そのとき、別の教員が俺に声をかけてくる。


「建屋先生、お弁当なんだったら、休憩室で皆で食べない?」


 同僚の女性教員である鈴木先生だった。俺が生徒だったときから勤務してたベテランの先生だ。二児の母でもあり、小太りな体格も相まっていわゆる「肝っ玉母さん」といった感じの雰囲気を持っている。

 俺はろくに考えもせずに返答をする。


「そうですね。せっかくなんでご一緒させてもらいます」


 特に断る理由もなかったので、俺は鞄から弁当を取り出し、職員室内の休憩室に向かった。

 休憩室には机とソファが置かれている。給湯器なんかもあるので、熱い茶やカップラーメンのためにお湯を沸かすことも可能だ。新聞なんかも置いてあって、年配の教員がよくここで新聞を読んでいる。

 俺たちが休憩室に足を踏み入れたとき、そこには何人かの先客が居た。他の教員たちだ。

 その中には――


「あ……『千瀬先生』」


 『歩美』と名を呼び掛けて、慌てて修正する。


「あ……どうも」


 歩美は気まずそうな表情で返事をした。

 歩美とは初日顔を合わせ、挨拶をしたとき以来、何度か会話をしている。しかし、それはほとんど業務連絡に終始していた。プライベートな会話は、ほぼできていない。

 だから、休憩室という業務外のことを話す場に至るとどうしても少しぎこちない感じになってしまう。

 俺たち二人に微妙な空気が漂っていることは誰の目にも明らかだった。そうでなくても、ほとんどの教員は俺たちがここの学校の卒業生でクラスメイトだったことを知っているし、当時から俺たちを見知っている先生も多い。


(これはお節介を焼かれたか……?)


 俺と歩美の関係性を完全に把握しているかまでは定かではない。だが、こと教師というのは人間関係には聡いものだ。全部筒抜けであってもおかしくはない。


「せっかく千瀬先生も、建屋先生も居るんだし、昔話に花を咲かせましょうよ」


 鈴木先生は、そんな風に言って、俺をソファに座らせた。


(まあ、いいだろう。ここは乗ろう)


 どっちみち歩美とは向き合わなくてはならないのだ。気まずいからといって、いつまでも避け続けるわけにはいかない。


「とりあえず、食べましょうか」


 そう言って、鈴木先生は自分の弁当箱を開け始めた。

 俺もそれに倣い、自分の弁当の包みを解く。

 そのときだった。


「う……!」


 俺は包みの中から現れた弁当箱を見て、言葉を失った。

 それは――


「あら、建屋先生、随分と可愛いお弁当箱ね」


 小ぶりの弁当箱は薄いピンク色。そして、その蓋には何かの『キャラクター』が描かれていた。


「それ、『詐欺うさぎ』だね」


 俺の弁当箱と覗き込んだ歩美は何気ない調子で言った。


「……『詐欺うさぎ』?」


 その『キャラクター』は全体としてはデフォルメされたうさぎなのだが、いかにも悪役っぽいサングラスをかけ、手にはなぜか携帯電話を持っている。


「『詐欺を働くうさぎ』って設定のキャラクターだよ。まあ、いわゆるマスコットキャラ的な奴だね」

「なんだ、そのいかつい設定は」


 サン〇オのパチモンみたいな印象だ。それにしては絶妙にかわいくないが。


「人気あるのか、これ?」

「いや、私も詳しくはないけど、少なくとも流行ってはいないかな……?」


 ひよちゃんはほとんど何も持っていなかったから、お金を渡して自分の弁当箱を買いにいかせた。そのときに、俺の分も買ってきてくれていたのだろう。……あえてこれを選んだのだとすれば、彼女はこんなキャラクターが好きなのだろうか……?


「なんで、そんなよく知りもしないキャラクターの弁当箱を使ってるの?」


 それは当然の疑問だった。


「あ、いや……」


 俺は咄嗟に脳をフル回転させる。


「た、たまたま福引でもらったんだよ。せっかくなら使わないともったいないだろ?」


 俺がこう言い訳すると、歩美は、


「ああ、確かに。昔から貧乏性だったもんね」


 そう言って、口の端を緩めた。

 なんとかごまかせたようだ。貧乏性というか、実際、貧乏だったから、どんなものでも丁寧に使っていたのは間違いなかったから、納得してくれたようだった。


(さっさと弁当を食って、この場を切り抜けよう)


 また何かぼろがでないとは限らない。俺は慌てて、弁当の蓋を開ける。

 そこには――


「あら、ハート」


 鈴木先生が俺の弁当を見て、言った。

 俺の弁当のご飯の上にはいわゆる桜でんぶがハートの形に敷き詰められていた。


(ひよちゃん――!!!!)

 

  ※   ※   ※   ※   ※   ※


「あー、奏多さん、お弁当、喜んでくれてるかなー」


 ひよは、奏多の顔を思い浮かべる。


(あ、あんな感じでいいんだよね。『愛妻弁当』っていうのは――)


 ひよと向かい合う琴子は言う。


「ひよ、弁当を見つめたままトリップしないで」


 ひよの手元には、奏多のところにあるのと同じ『詐欺うさぎ』が描かれた弁当箱が置かれていた。


  ※   ※   ※   ※   ※   ※


「いやあ、なんだろう? たまたま、こういう形になったのかな? あははは?」


(今度から弁当は持ってくる前にチェックしよう)


 俺は固く心に誓ったのであった。

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