第9話「新たなるスタート③」

「え、先生、東京の大学出てるんですか?」

「いいなぁ。私も東京行きたいんです」

「この学校の卒業生なんですよね?」


 放課後に入ると生徒から質問攻めに合う。こういうときに積極的に教師に絡んで来てくれる生徒は正直ありがたい。何か気になることがあったり、悩み事があるときも気軽に声をかけてくれるからだ。

 そんな生徒達の後ろ、少し離れた位置にひよちゃんは、ぽつんと立っていた。先程とは打って変わって、捨てられた子犬のような表情をしている。

 そんな姿を見て、俺は思わず声をかける。


「静井も何か聞きたいことがあるのか?」

「ひぇ!」


 急に話しかけられて驚いたのか、彼女は素っ頓狂な声を上げる。

 皆の視線がひよちゃんに集まる。すると、彼女は顔を真っ赤にして、余計に萎縮してしまう。


(急に話しかけたのは失敗だったか?)


 ひよちゃんの俺に対する人なつっこい態度を見慣れていたせいで忘れていたが、彼女は極度の人見知りであがり症だ。それこそ、昔の歩美なんか目ではないくらいのレベルだ。知らない人に話しかけられれば石像のように固まってしまうし、人前で話すのは大の苦手だ。

 一度心を開いた相手にならば、どこまでも懐くのだが、そこに至るまでがなかなか難しいタイプなのだ。

 俺がフォローをしようとすると、


「ひよ、ごめん、ちょっと来てくれる?」


 ひよちゃんに別の人間から声がかかる。

 彼女に声をかけたのは、先程、俺をにらんでいた乾琴子だった。

 彼女は自然な所作でひよちゃんの手を取ると、俺を取り囲む生徒の輪から離れていった。ひよちゃんの方も乾を自然と受け入れているように見える。


(二人は友達なのか? それで、彼女を助けに来たのだろうか?)


 ひよちゃんの今後の学校生活のためにも、担任として二人の関係は把握しておいた方がいいだろう。ちょうど、乾には学級委員として、話しておきたいこともある。

 俺は生徒達の質問がある程度、落ち着いた後に言った。


「乾、すまないが、学級委員の件で少し時間をくれないか」


 彼女は俺を見て、こくりと頷いた。 




「以上が、この学校での学級委員の主な仕事だ。これ以外にもイレギュラーな仕事を頼むこともある」


 俺は職員室で乾琴子に学級委員長としての詳しい仕事を改めて説明した。

 彼女は「わかりました」と澄ました顔で言った。


「時間をもらって悪かったな」

「いえ、立候補した以上、当然のことですので」

「そうか」


 非常にしっかりとした生徒だ。これだけの受け答えができる生徒は珍しい。

 だが、やはり、どこか言葉の端々に棘があるような気がする。そういう性格なのだと言ってしまえれば簡単なのだが……。

 やはり、ここは担任として彼女の人となりを理解しておかねばならないだろう。

 俺はあくまで何気ない雑談という体で切り出す。


「さっき、静井と喋っていたみたいだったが、仲が良いのか?」


 俺が「静井」とひよちゃんの名前を出した瞬間、明らかに彼女の目が鋭くなった。


「ひよ……静井さんとは、小学校からの仲です。仲は良いですよ」


 明らかに苦々しげな表情に反して、言葉の上は礼儀正しい。

 小学生のときからの仲ということは幼馴染とも言える。だが、俺は「乾琴子」という少女の名前に聞き覚えがなかった。俺が幼いひよちゃんの世話をしていたとき、彼女は「友達」について語ることがなかった。「友達」が居ないから学校に行きたくない、と泣いていた彼女を慰めた記憶もある。俺がこの地を去った後に友達になったのだろうか。


「逆に私からの質問してもいいですか?」


 乾はにこりともせずにそう言った。


「ああ、構わないよ」


 俺は彼女の質問を促す。


「先生と静井さん……ひよは入学以前からのお知り合いなんですよね?」


 それは予想できた質問だった。俺は想定していた通りの答えを返す。


「ああ。彼女は俺の家の近所に住んでいてね。昔はよく遊んであげたものだよ」


 俺たちの「真の関係」は絶対に隠し通さねばならない。だが、そのために嘘をつけば、必ずどこかでぼろが出る。特にひよちゃんは嘘が吐けるようなタイプではないから猶更だ。

 そのため、俺は彼女にできるだけ「嘘は吐かない」ようにしようと言った。もちろん、「結婚しているのか?」と聞かれれば、嘘をつかざるを得ないのだが、そんな質問をいきなり聞いてくるものはいないはずだ。

 俺たちが昔からの知り合いということは隠さない。下手に隠して痛い腹を探られたくはないからだ。

 俺の言葉に彼女は露骨に顔をしかめた。


「やっぱり……」


 どうやら、彼女は感情が表に出やすいタイプであるようだ。少なくとも俺のことを快く思っていないことは間違いないだろう。


(何か理由があって、俺たちの関係を疑っているのだろうか……?)


 俺だって、自分の友達が八歳も上の男と結婚しているなんて知れば、止めようと思う。彼女の懸念はもっともだ。


「まあ、今は静井も俺の生徒の一人だ。乾、もちろん、君もだ」

「………………はい」


 彼女は何か言いたげな表情して、こちらを見ていたが、結局何も言わずに去って行った。


(乾には気を付けた方が良さそうだな……)


 ひよちゃんに余計なことを漏らさないようにもう一度、口止めしておこう。

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